「そういや今日だったっけ。リヴァイ少佐が敵国から引き抜いた兵士を連れて出席するって」
「ばーか。もう少佐じゃなくて中佐だろ。そもそも今日はあの人の功績をねぎらうって意味も込めてお偉方がパーティーを開くんだ、公の場で間違えたら大目玉だぜ」
「いっけね」
 首都にある軍本部内のホールでは幾人もの下級兵士や今回のために外部から雇った専門のスタッフ達がせっせと立食パーティーの準備を進めている。戦時下と言ってもこちらの方が圧倒的に有利であり、しかもここは戦地からも遠い本国首都であるため、人々の雰囲気は和やかなものだった。
 時間通りにパーティーが始められるよう手は動かすが、噂話にも花が咲く。彼らの話題に上るのはプロパガンダを兼ねたアイドルのことや、軍上層部の真偽もさっぱりな面白おかしい話、自身の親類や友人のこと、そして今夜のパーティーの主役とも言える『人類最強』について。
 良家の出が多いこの国の佐官には珍しく、姓を持たない『人類最強』ことリヴァイ少佐――否、先日中佐に昇格した――は、この国の首都の端にあるスラム街出身とされている。今夜のように一介の中佐でありながらパーティーを催されるほどの目を瞠る功績と底辺から這い上がった素晴らしい実力の持ち主として市民から人気を得る一方で、たかがスラム街の住人に……と彼を良く思わない者もおり、色々な意味で注目の的になりやすい人物だった。
 そんなリヴァイが半年前に一人の副官を自身に随行させるようになった。小柄なリヴァイより十センチ程度背が高いが細身で、髪は黒、瞳の色は金、年は十代半ば。エレン・イェーガーという名で正式にこの国の人間として登録されているものの、少年の出身やリヴァイとの出会いについて正式なデータはない。だが軍関係者の間では、リヴァイが敵国生まれのエレンを戦場で見つけて引き抜いてきたというのが通説である。そしてリヴァイもその推測に関して、肯定はしないが否定もしない。
 本来なら敵国の人間かも知れないエレンをこの国の人間は警戒すべきなのだろう。だがリヴァイの庇護下にあること、そして何よりエレンがたった半年でリヴァイの命令に従って殺した敵国の人間の数を知れば、誰も表立って文句は言わなかった。正真正銘、エレン・イェーガーは『人類最強』と称される兵士の腹心に相応しい働きをしているのだから。
 エレンの境遇を指して自分の国を捨てた裏切り者と嘲る人間がいないわけではないが、その声は小さい。そういうことを声高に叫ぶのは実力の伴わない者達であり、誰も相手にしないからだ。
「話には聞いてるけど、どんな奴なんだろうな。まだ若いんだろ?」
「ああ。中佐の半分くらいだって」
「へぇー。本当に若いな」
「自分の国で軍人になってすぐ当時少佐だった中佐に見初められた、とか何とか」
「見初められたって……おいおい。嫁や愛人じゃないんだから」
「似たようなもんだろ。男の多い組織なんてそんなもんだ」
「え! じゃあお前も俺のこと」
「やめろキモい殺すぞ」
「冗談だって」
 話し相手に本気で睨まれた兵士は肩を竦め、手を動かす。
 彼らの背後にある大きな窓から見える広場の時計が示す時刻は午後二時。パーティーの開始まで残り四時間。


 今夜の主役に付き従う少年は美しかった。
 リヴァイ中佐つき副官のエレン・イェーガー。まだ完成されていない肢体は若木のようにすらりとしていて、動作は軍人らしい機敏さと良家の子息のような洗練された優美さを併せ持っている。顔の造作だけならば彼より優れた者はいくらでもいるだろう。しかし主役のオマケ≠ニして控えめながらも何故か人目を引く姿と珍しい金色の瞳が、大人になり切れていない彼を特別美しい存在にしていた。
 ホールに入った途端、否、その前から、すれ違う人々はチラチラとエレンの姿を目で追う。リヴァイの威圧感の所為で容易に近寄って来ることはないが、その分視線が酷くうるさかった。おかげでリヴァイの気分は勢いよく降下を始めている。一方、その視線を直に受けているはずのエレンは涼しい顔だ。
「こういう場は慣れてんのか?」
「あなたもご存じのとおり、イェーガー家は特別ですから」
 パーティーの他の出席者には聞こえない音量でリヴァイとエレンは言葉を交わす。わざわざ視線を絡ませて周囲に会話を悟らせるようなこともない。
 エレンの落ち着いた態度の理由を知り、リヴァイは「なるほど」と納得する。副官と言う立場にある少年を一瞥すれば、いつもリヴァイを見る時にギラギラと憎しみで満たされているそれが今は完全に凪いだ状態になっていた。こういう場に慣れているということは、自分を偽るのも上手いということなのだろう。
 そんな二人に近付いてくる人影があった。
「やあ、リヴァイ。相変わらず不景気そうな顔してるね」
「クソメガネか……」
「こういう場所ではゾエ中佐って呼んだ方がいいと思うよ。階級が同じになったとは言え、私の方が先輩だからね。口さがないヤツらの耳にでも入ったらいいネタにされちゃう」
 供も連れずにふらりとやって来たのはこの国の軍で中佐の地位についているハンジ・ゾエ。基本的には本部に詰めており、ここ数年は前線に出て来なかった人物であるため、エレンとは初めての顔合わせとなる。
「君がイェーガー少尉だね? はじめまして」
「はっ! エレン・イェーガー少尉であります。お目にかかれて光栄です、ハンジ・ゾエ中佐殿」
「うんうん、リヴァイとは違って面白そうな子だ」
 眼鏡の奥の双眸を細めてハンジは微笑む。その様子にリヴァイは僅かながら片方の眉を上げた。
 今のエレンを見て、普通の人間ならば「素直そう」だとか「従順そう」もしくは単純に「若い」等の印象を抱くはずだ。しかしハンジはそうではなく、エレンを「面白そう」と評した。
「リヴァイが正式に補佐として任命した子だから気になっていたんだ。本人に会えて良かった。君なら大丈夫そうだ」
「おい、クソメガネ。引っかかる言い方すんじゃねぇよ気持ち悪い」
「相変わらずリヴァイは手厳しいなぁ」
 ハンジはひょいと肩を竦める。
「しかも私はあなたじゃなくてイェーガー少尉に話しかけてるっていうのに」
「こいつは俺の副官だ。意味のねぇことをぐだぐだ喋りたいなら他人の部下じゃなくてお前んとこのモブリットにでも付き合ってもらえ」
「いやいや、これはイェーガー少尉が相手だからこそ話しておきたいんだ。あなたが前線基地から戻って来るなんてこういう時くらいしかないからね。つまりイェーガー少尉に会うのもこういうチャンスを活かすしかないってことだ。どうせ面倒な演説を垂れるお偉方が来るまでまだ少し時間がある。だったら私にイェーガー少尉と話す機会をくれたっていいんじゃない?」
「……」
 ごねるハンジにリヴァイの眉間の皺が深くなる。しかしあながちこちらに不都合なことを言っているわけでもなかった。
 お偉方の面倒な演説を拝聴する時間までまだ少し暇を持て余すのは事実であり、それはつまり、滅多に本部へ戻って来ないリヴァイと年齢や出身に不相応な立場のエレンが会場にいる者達から不躾な視線に晒されるということでもある。その視線もぺらぺらとよく喋るハンジといれば多少は気にならなくなるだろうし、更に長話で有名なハンジに捕まってはたまらないと距離を取る輩も現れるはず。
 リヴァイはしばらく黙した後、「エレン」と副官の名を呼んだ。
「お相手して差し上げろ」
「さっすがリヴァイ! 話がわかるぅ!」
 ではさっそく、とハンジの視線がリヴァイからエレンに移る。声音は少し抑え気味に。面倒な人間の耳に入らないよう。
「イェーガー少尉、私は君をとても信用している」
「は? あ、ありがとうございます」
 初対面の相手にいきなりそんなことを言われる意味が解らない、とばかりにエレンが一瞬呆ける。エレンはリヴァイが戦場で拾ってきた兵士であるというのは、軍内部では公然の秘密状態だ。中佐ともあろう者がそんな人間を信用すると直球で言うのは、いくらエレンが半年間この国の軍人らしく働いたとしても、いささか不適切だろう。
 というエレンの心情を呆けた顔から察しているはずなのだが、ハンジは気にせず自分が言いたいことをそのまま続ける。
「どうしてリヴァイが君を手元に置こうと思ったのか、そういう心情的な面に関して私は何も知らない。だけど君がリヴァイに捕まって何をされたのか≠ニいうのは知っている。ついでに言うと、あれ≠ェなかなか効果的であることも知ってるよ。何せそういうテストを繰り返して手順を確立させるのは私の仕事であり趣味でもあるからね」
 エレンの肩がぴくりと揺れた。
 ハンジは元々前線で戦うタイプの軍人だった。しかしリヴァイが佐官になった頃、彼女は本部に戻って『より効率的に人間を動かす方法』を研究するようになった。かつてエレンに対して実施された洗脳の類も、リヴァイがアレンジを加えたとはいえハンジが基本的な手順を作っていたものだ。
 エレン・イェーガーがどこの出身で、どういう経緯でリヴァイの部下になったのか正しく知る者はごく少数なのだが、ハンジは彼女独自の情報網や変人レベルの頭の良さで推測してみせたのだろう。
 リヴァイ中佐の正式な副官≠フ正体が公になったとしてもリヴァイが軍法会議にかけられる等の大事には至らないはずだが、それでもスキャンダルの一つにはなる。リヴァイを憎みつつも彼を害することができない精神構造になっているエレンは、そんな未来を正しく察していた。
 だがここでボロを出せば、更にリヴァイ側の不利になる。
 エレンは不用意な発言をしないよう口を噤む。だが感情を表しやすい金色の双眸には、ぞわり、と不穏な輝きが滲んだ。傍らでその変化に気付いたリヴァイは己が最も好むその色の出現に歓喜しながらも、向けられた先が他人であることに苛立ちを覚える。
 一方、ハンジはエレンの変化どころかリヴァイの様子にすら気付きながらも飄々とした雰囲気を崩さなかった。
「ああ、ごめんごめん。勘違いさせちゃったかな。私は別にリヴァイを嵌めようとか降格させようとか、そんなことは考えてない。むしろリヴァイは共に戦場を駆けたこともある良き友人だからね、私はこの仏頂面三十路男の味方でありたいと思ってるんだ。その辺のことはリヴァイ本人が嫌々ながらもよく解ってくれていると思うけど」
 ハンジにそう言われ、エレンの視線がリヴァイに向けられる。「残念ながらな」とリヴァイが答えてやれば、金色の双眸から不審さが薄れた。
「そうだよー。私は前線に立つ君達二人をこの首都からしっかりサポートしていきたいと考えている。それが仕事であり、またリヴァイの友人としての矜持だ。……――ただし、君という個人に関しては別だよ」
 ハンジがそう言い切った時、ちょうどホールの奥の空気がざわりと揺らいだ。どうやら誰かが壇上に立ったらしい。人々の視線は壇上に向かい、エレンとハンジの会話は更に注目されなくなる。
 まるでそのタイミングを狙っていたかのようにハンジは告げた。
「ねぇイェーガー少尉、私はリヴァイと違って君という人間そのものには価値を見出していない。君は元々この国の人間ではないから私が軍人として守るべき存在ではないし、君が半年であげた功績もリヴァイと比べてしまえばゴミに等しい」
 でもね、とハンジは続ける。
「きっと君はリヴァイを死なせない。うちの国の英雄を絶対に生き永らえさせてくれるだろう。だからこそ私は君と言う存在がここにいることを嬉しく思うよ。たとえ君の心情がどうであれ、『リヴァイ中佐を守るイェーガー少尉』という存在にはその生存を心より願う」
 それじゃあ話したいことは話せたから、私はこの辺で。
 そう告げてハンジはさっさとエレン達の元を離れる。思わず追いかけようとエレンの足が動きかけたが、「やめとけ」というリヴァイの声がそれを制した。
「あれは他より少し愛国心と同胞意識が強いだけだ。だから自分が認めていない人間に関しては少々手厳しい発言をする。別にお前個人に直接どうこうしたいわけじゃねぇし、もちろん俺が不利益を被るようなこともしねぇ」
「……そうですか。まぁ仕事に支障がないなら嫌われていようが何しようが構いませんよ。オレだってこの国の人間を好きになるつもりはありませんから」
 ――特に、あなたは。
 エレンはそう付け加えながら瞬き一つで双眸に宿りかけていたギラついた光を抑えつけ、この場に相応しいリヴァイ中佐の副官≠フ顔に戻す。
 金色の目が向けられたのはホールの奥。少し高くなった壇上に軍高官がおり、マイクに近付いて口を開ける。リヴァイもまたエレンと同じ方向へ顔を向け、意味のないその有り難いお言葉≠聞き流しながら欠伸を噛み殺した。





(…………嗚呼)
 地位ばかりで実力が伴わない人間の話を聞きながら少年は改めて思い知る。
 ここは敵ばかりの世界だ。
 そして、憎くてたまらない兄だけが唯一の味方なのだと。







2014.03.20 pixivにて初出