エレン・イェーガーの首筋にある白い片翼の刺青は、死んでしまった兄の対として彫られたものだ。
 兄の話になると両親は口を噤んでしまい、あまり詳しいことは知ることができなかった。けれども二人はエレンに、兄はとても尊敬すべき存在であり、彼ならきっと天国からエレンに加護を授けてくれると、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
 だからエレンは両親の言葉を素直に受け取り、自分が生まれる前にこの世から去ってしまったという兄に尊敬と憧れを抱いていた。彼らが何を隠しているのか気にならなくはなかったが、深く聞けばその表情が曇ってしまうことを一度体験してしまったため、語られる以上のことは何も知らないまま。
 成長したエレンの中で、もしかしたら兄という偶像は崇拝の対象になっていたのかもしれない。自覚は無かったものの、母が死に、父が死に、一人だけになってしまったエレンには、兄という物質的には元から存在せず精神的にはずっと一緒にいたモノが唯一確かなヒトだったのだ。
 無論、本当に孤独だったわけではない。エレンには生まれる前に両親が決めた過保護な許嫁がいたし、頭のいい親友もいたし、口うるさい従者もいた。しかしそれらはこの戦時下において、いつ失われるとも知れない者達だ。一方、兄は違う。兄はエレンがいる限り、その心の中で永遠に存在し続けるものだった。
 黒い片翼を持つ永遠の味方。永久の同胞。この身が滅ぶまでエレンを裏切らない絶対的なヒト。エレンにとっての恒久的なベターハーフ。
 その、はずだったのに。


「殺す」
 真実を知り何もできぬまま自国へ戻された後、目を覚ましたエレンの第一声は薬による意識の混濁が治っていないにもかかわらず、嫌にハッキリと発せられた。
 感情は意識以上に混濁し、困惑している。だがそれでもエレンの中でただ一つ確定している事項がある。殺す。それだけ。あの男を殺す。今度こそ己が刃の錆に変える。敵わない? それがどうした。相討ち覚悟で挑むことに欠片の忌避感も無い。何をしても殺す。徹底的に殺す。死んでも殺す。絶対に殺す。
 腹の傷がじくりと痛んだ。生きている証だ。あの男を殺すチャンスがある証拠だ。そうと思えば、なんて愛おしい傷なのか。
 エレンはベッドに横になったままニンマリと口の端を持ち上げた。
 ただの裏切り者と呼称するなど生温い。あれは敵で、殺戮対象で、標的で、風変わりな兵士で、兄で、父の仇で、同情すべき同胞で、そして片翼だった。そんな人間を何と呼称すれば良いのだろう。
 エレンは迷う。けれど何をすべきなのか、何をしたいのかは決まっているのだ。
「あァ……兄さん」
 絞り出すように。
 焦がれるように、憎むように、慈しむように、乞うように、嫌悪するように、崇拝するように、怒るように、嘆くように、愛するように、エレンはあの戦場にいる片翼へ告げた。

「オレが必ず殺しに行くから、待ってて」







2014.03.13 pixivにて初出