捕虜の身柄引き渡し場所となったのは、相手国からの指定で戦場から少し離れた所にある捨てられた教会。場所と一緒に指定された時刻は正午ちょうどで、今はその十分前である。夜ではなく真昼を指定してきたのは、その方がこの一件を知らせたくない相手を欺きやすいためだ。誰も真昼間から秘密の取引をするとは思うまい。
 美しいステンドグラスは礼拝堂の最奥にあった一枚を除き、全て割られて無残な姿になっていた。祭壇にあったはずの十字架に磔にされた神の子の像や祭具の類は跡形もなく、両開きの扉も片側だけ外れてどこかへ持ち去られており、内と外の区別が無くなった屋内には外から入り込んだ砂や埃がうっすらと堆積している。リヴァイがエレンを横抱きにしたまま一歩踏み出すたびに、ふわりと舞った土埃が太陽の光を受けてきらきらと輝いた。
 やがて最前列まで進んだリヴァイは正面に向かって規則正しく並べられた長椅子の一つを持っていたハンカチで綺麗に拭き清め、そこにエレンを寝かせる。途中で目覚めて暴れられても困るため、今は薬を打って眠らせた状態だ。本人の意識が無い身体はそうでない時より重く感じるものだが、リヴァイは気にした風もなく軽々とエレンの身体を整え、その傍らに己も腰を掛けた。
 太陽の光がステンドグラス越しに降り注ぎ、様々な色が眠っているエレンに重なる。それはおそらく美しいと言える光景だったのだろうが、リヴァイの心を動かすものではない。自分はもっと心揺さぶる色を知っている。少年の薄い瞼の奥に隠れた、憎悪に輝くあの色を。
「……時間ぴったりだな」
「来たのはお前一人か」
「ああ、そういう条件だっただろう?」
 片方が外れた扉の所に人影。リヴァイがエレンに視線を固定したまま語り掛ければ、返って来たのはまだ若い女の声だった。
 そこでようよう振り返ってみれば、黒髪と黒い瞳を持つ美しい少女が立っていた。しかし神秘的な容姿とは裏腹に、その双眸はリヴァイに対する嫌悪で満ちている。
「私はミカサ・アッカーマン」
 名乗りながら掲げられた手――否、その下の手首には幾何学模様の刺青が彫られていた。あれはアッカーマン家の紋章だ。
「エレンを返してもらいに来た」
 こつり、と少女の軍靴が一歩踏み出す。
「五家の者が直々に来るとはな」
「私が来るのは当然のこと。何故なら」
 歩きながら少女はマフラーを解き、更に軍服の襟を掴んでリヴァイに己の首筋を見せつける。
 耳より数センチ下の部分に彫られたのは黒い片翼の刺青。ちょうどエレンと同じ場所に、エレンのものとは左右対称になったデザインのものがミカサの首筋に存在していた。
「……ほぅ」
 僅かに目を瞠るリヴァイへとミカサは妖艶で、そして同時にとても誇らしげな笑みを浮かべる。
「私はいずれ白翼の対となる、イェーガーの黒翼を担う者。……――エレンの伴侶だからだ」
 ミカサを睨むように見据えたままリヴァイは黙する。
 しかし、
「……はっ、だからそんなに必死ってわけか」
 アッカーマン家の娘となれば、彼女もまたエレンと同様に大切に保護されなければならない人物である。だと言うのにミカサはこんな場所へ現れた。きっと仲間達は盛大に反対しただろう。エレンを餌にした罠だと考えるのが普通だからだ。にもかかわらず、ミカサは己の伴侶を自らの手で救うためにその反対を押し切った。
「こいつも随分大事にされてやがるな」
 傍らのエレンを見下ろし、リヴァイはそう言いながら椅子から腰を上げる。
 そして元々目つきの悪い顔を更に凶悪に歪めてミカサを睨み付けた。
「まだメスの匂いもさせてねぇ生娘が粋がってんじゃねぇぞ」
 己の首筋を隠すクラバットに指をかけ、吐き捨てるように笑う。
「だがまぁ、それなら俺も見せておかねぇとな」
 リヴァイはミカサが睨み付ける前でクラバットを外した。そして軍服の襟を大きく開けてやり、己もまた彼女が見せつけたのと同じ部位を彼女の眼前に晒す。
「ッ! それは」
「こいつの片翼を担う資格は俺にもあるんだよ」
 リヴァイの首筋にあったのはミカサと全く同じ形をした黒い翼の刺青。エレンの白い翼と対になるイェーガー家のもう一つの紋章だった。
「俺の名はリヴァイ・イェーガー。どちらの国の書類にも記載されちゃいねぇが、それが俺の本当の名前だ」
 イェーガー家の長子としてミカサやエレン達の国に保管された書類には、別の名前が記載されている。リヴァイと言う名はこの国でリヴァイ自身がつけた名前だ。しかしその身体には黒い片翼の刺青があり、またエレンと同じ血が流れていた。
「血よりも強い絆はない。だがそれでもこいつは俺の所業を憎まずにはいられない。だからこそ、敵意も憎悪も悪意も害意も嫌悪も殺意も、そして愛情さえ、こいつの中の全ての感情が俺に向けられる。てめぇはお呼びじゃねぇんだよ、アッカーマン」
 リヴァイが勝ち誇った顔で告げた。
「だからこそ今はこいつを返してやる。こいつが俺だけを見て、俺のことだけを考えて、俺を殺しに来るのを待つために」
 瞠目しながら憎々しげに唇を噛むミカサへ陶然たる面持ちでリヴァイは語る。あの禍々しい金眼がリヴァイだけを見つめて飛びかかって来るのだ。敵意も憎悪も悪意も害意も嫌悪も愛情も、全ての感情を孕みながら。これを歓喜せずに、一体何を喜べば良いと言うのか。
 たとえミカサや彼女の仲間がそれを望まずとも、エレンは必ずリヴァイを殺しにやって来る。父親の仇であり、祖国の裏切り者であり、同情すべき同胞であり、同じ血を持つ兄であるリヴァイを殺しに。それを止められる者などいやしない。化け物と言って良いほど凶暴な眼光を持つ彼の意志を曲げられる人間などこの世のどこにも存在しないのだから。
「さあ、持って行け。こいつの身体が回復するまでが、てめぇらに与えられた猶予だ。再び戦場に立てるようになった時、エレン・イェーガーは俺の……俺だけのものになる」
 まるで予言の如く――否、確信を持ってリヴァイはそう宣言した。


 ――数ヶ月後。
 戦いは更に苛烈さを増していた。以前リヴァイがいる前線基地へ准将が突然やって来たのも、これを予期して兵の増員を知らせるためのものだった。増えた分だけ兵は減り、減った分だけ増やされる。戦場が血で染まらない日は無く、地面が渇く前にまた新しい赤が注ぎ足された。
「あいつが復帰するのもそろそろか……」
 己が負わせた怪我の具合を考慮し、リヴァイはそう呟きながら無意識に舌なめずりをする。
 と、その時。周囲がにわかに騒がしくなった。この感覚も数ヶ月ぶりだ。リヴァイはサーベルを二本とも鞘から抜き放ち、両手に構えて正面を見据える。
 ざわつく部下達を下がらせ、リヴァイは一歩前へ。これから始まるお楽しみは誰にも邪魔されたくない。自分はあれだけを見つめたいし、あれが自分以外に気を取られるのはとても許しがたいのだ。
 狼狽える声と剣戟の音、そして断末魔の悲鳴が近付いてくる。それだけでリヴァイの背筋を電流のように快感が走り抜けた。
「ようやく来たか」
「リヴァイ・イェーガー……っ!!!」
 敵意も憎悪も悪意も害意も嫌悪も殺意も、そして愛情も。最初の出会いよりも苛烈に、鮮烈に、全てが混濁したギラギラと輝く瞳でリヴァイを射抜きながら、こちらの兵をなぎ倒してエレンが飛びかかってくる。
 これこそリヴァイが一目見て心奪われ、何よりも求めたものだ。この黄金を見つめ、この黄金に見つめられ、全ての感情をぶつけ合いたい。エレンと、二人だけで、永遠に戦い続けたい。
「嗚呼、」
 ギャリギャリィィィッ!!!と剣を交わらせながら、リヴァイは感極まって熱い息を吐き出す。
 そうして銀色の刃越しに、血の繋がった実の弟へと『愛』の言葉を叫んだ。

「てめぇと殺し合えるのが楽しくてしかたねぇよ、エレン・イェーガー!!!」




BATTLE START !!!







2014.03.07プライベッター(フォロワー限定公開)にて初出