「エルヴィン、地下街でおもしろい素材を見つけた。調査兵団に譲ってやるから育ててみないか?」
訓練兵時代からの親友に呼ばれたと思ったら、彼はエルヴィンと同い年とは思えない相変わらずの童顔を笑みの形に歪めてそう言った。「きっとお前の役に立つよ」と付け足して。 猫のようなつり上がった大きな目。瞳の色は金、髪の色は黒。訓練兵団を主席で修了し、憲兵団へと入って順調に地位を上げた結果、若くして二千人の憲兵と三千人の駐屯兵を束ねる憲兵団師団長に上り詰めた男の名をエレン・イェーガーと言う。 出自は最南端のウォール・マリア、シガンシナ区。医者の家庭に生まれ、しかもその父親が貴族にも顔の利く名医であったことから、何かと特別な立場にあった。だがエレンの特異性は出自などではないとエルヴィンも訓練兵団の同期も知っている。 エレンはとにかく凄かった。 家など関係ない。座学・実技は常にトップ。それも突き抜けて、だ。深い知識と教養、加えて誰もが息を呑む立体機動。真面目だが堅物という程ではなく、冗談も口にするし、適度に自分や皆の力を抜いてくれる。また人当たりも良く、猫目の眦が下がって微笑む姿は同世代と思えないほど包容力があった。 まさに誰からも慕われる存在であったエレン。同じ訓練兵の中にも複数の信奉者がすぐに現れ、それは兵団を変わっても――つまり憲兵団に入団しても変わらなかった。それどころか父親経由で貴族とも繋がりを作り、それを太くし、兵団の内外構わずますますエレンを慕う人間は増えていった。 憲兵団の上層部や貴族と友好的な関係を作るためには清廉潔白なだけでは上手くいかない。ゆえにエレンも裏側では色々なことをやっているのだろう。しかしそれを『清廉潔白なエレン・イェーガー』を信奉する者達には決して悟らせない手腕がある。 おかげでエレンは、同期のエルヴィンが死傷率の高い――言ってしまえば、生き残れば出世しやすい――調査兵団で分隊長を務めている現時点で、すでに大所帯である憲兵団のトップに立ってしまっているのだ。 そんなエレンを羨んでいないとは言わない。しかしむしろ羨む前にそれが誇らしいとエルヴィンは思っていた。誰もが尊敬し、敬愛し、傍に侍りたいと思う『完璧な師団長』が一番の親友と認めている人物こそ、エルヴィン・スミスなのだから。 「なぁエルヴィン、どうする? 訓練兵団に突っ込むには少々年が行きすぎてる感じはあるが、あれはきっとすぐ使えるようになるよ。言い過ぎだと言われるかもしれないけど、あれは『英雄』になる器だ」 「君にそこまで言わせる人物なのか」 「あ。オレの言葉、疑ってる?」 「いや、エレンが間違いを言ったことはついぞ記憶にないな」 エレンの言葉は常に正しい。まるで未来を見通すかのように彼の言葉は正確に先のことを言い当てた。きっとエレンが見つけたという地下街の住人も比喩ではなく、英雄になれる人間なのだろう。 「わかった。君の言葉に甘えてその人物を調査兵団にスカウトすることにしよう」 「ああ、頑張れ。楽しみにしてるから」 にこり、と金眼が細められて笑みを作る。 「ただし人情家のじゃじゃ馬だから、会いに行く時は気をつけろよ。たぶん切り捨てることを知ってるお前とは根本的に馬が合わないだろうし」 「そう不安になるようなことは言わないでくれ」 「事実だから仕方ない。けど、きっと向こうもすぐに解る。たとえお前を殺したいほど憎んでも、それでも従った方が正しい道なんだって」 本当にこれから先のことを見透かすようにエレンは告げる。 「……それで、その人物の名前は? 何をしている人間で、特徴はあるかい?」 「定職にはついていない。黒髪で灰色っぽい目をしている。目つきは悪いな。そんでもってチビ」 ニヤニヤと古い物語に出てくる猫のように口元を歪ませてエレンは最後にこう言った。 「名前はリヴァイ。一応あそこじゃ有名なゴロツキだ」 「聞いたぜ、エルヴィン。お前、リヴァイに殺されかけたんだって?」 久々に用事があり王都にやって来ていたエルヴィンを憲兵団本部に招いたのは、言わずもがな、エレン・イェーガーである。彼の補佐を務めているという兵士から伝言があり、エレンの執務室に赴いてみれば、開口一番彼は面白がっているのを隠すことなくそう言ってのけた。 エルヴィンはエレンが師団長になってから己の定位置と化しているソファに腰を降ろし、俯いて長々と溜息を吐く。 「笑い事じゃない。壁外の、しかも土砂降りの雨の中で首を切り落とされそうになったよ」 「まぁまぁ。でもちゃんと退団せずにいてくれたんだろう?」 「一応ね。私を許したわけではないのだろうが」 「ははっ。すぐに何とかなるさ」 エレンは机に両肘をついて組んだ手の上に顎を乗せる。 「エルヴィン」 「ん? なんだい」 エルヴィンがそちらに視線を向けるとエレンは笑っていた。さっきまでの面白がるような笑みではなく、我が子を優しく見守る慈母のような微笑。背後の大きな窓から差す光によって輪郭が淡く輝いて見えた。 まるでずっと年上であるかのようなその表情にエルヴィンが言葉を失っていると、エレンは小さく頭を傾け、陽光によって輝く髪を微かに揺らしながらそっと口を開く。 「リヴァイを頼むよ」 「……エレ、ン?」 「あれを完璧な英雄に仕上げてくれ。どんなに傷付いても前を向き、どんな巨人をも殺せる最強の兵士に。リヴァイなら必ずなれるし、お前なら絶対に仕上げてくれる。俺はそう確信しているよ」 「エレン、それは一体どういう意味だ」 「意味なんてそのままだっての。リヴァイは情の厚い男だ。強いけど、でもそれだけじゃ足りない。時にはエルヴィン、お前のように冷静かつ冷酷に振る舞えるようになんなきゃ。お前の所にいることで、その目的は達せられるはずなんだ」 「エレン……」 エルヴィンも他者と比べてそれなりに先見の明があるのだが、それでもエレンが何を見ているのか、何を最終目標と定めているのか、察することができなかった。 だが――エレンは軽く否定してみせたが――それはただ単に英雄を育てることなどではないのだろう。 (……君は何を見ている?) エレン・イェーガーが目指しているものを自分も共に眺めることは可能なのか。 じっと見つめてみるが、黄金の双眸は逃げることも揺らぐこともしない。そこには完璧と称される憲兵団師団長がいるだけだ。 やはり自分にはエレンを計ることはできない。ならば、とエルヴィンは思う。 (せめて君が口に出して望んだことくらいは叶えよう) 敬愛すべき親友のために。 「私がリヴァイを英雄として仕上げる前に、私が彼に見切りを付けられて殺されてしまわないことを祈っておいてくれ」 エルヴィンが冗談めかしてそう言えば、数多の兵を従えるその男は子供のような顔で楽しそうに声を出して笑った。 これでもう何度目の人生を送っているのだろうか。 最初の頃は『今が何回目か』というのをいちいち数えていたものだが、回数が三ケタを超えた時点でぴたりと止めてしまった。 それから体感としては長い長い時が過ぎ、けれども世界は一度として前に進まない。いつだって自分の――エレン・イェーガーの世界は、エレンが死んだと同時に再び始まるのだ。 エレンは世界を繰り返している。終わりのないループする世界は、時折差異を見せながらも、基本的にはエレンの中で最初≠ニ位置付けられているそれに沿う形となっていた。ただしエレンの行動によって未来が大きく変わることはあるが。 超大型巨人は必ず845年に現れたし、エレンから何も働きかけたりしなければ、850年にも出現する。また超大型巨人も鎧の巨人も女型の巨人も、その正体は――エレンが認識している限りでは――必ずエレンの知る彼ら≠ナあった。 (でも繰り返すたびに差異は少しずつ大きくなっている気がする) 憲兵団のトップに与えられる執務室で、その主たるエレンは椅子の背もたれに体重を預けた。ギシ、と小さな軋み音を立てて、豪勢な見た目の椅子は柔らかくエレンの身体を受け止める。 繰り返しが始まったばかりの頃、エレンはシガンシナ区のイェーガー夫妻の元に生まれ、十歳の時に超大型巨人の襲来を体験していた。だが繰り返す回数を数えなくなってしばらく経つと、エレンの生まれる年代が微妙に異なり始めたのだ。 それでも当初は830年代に生まれ、多少の年の差はあれどアルミンやミカサとは一緒に行動していた。しかしここ数回の繰り返しでは幼馴染達と知り合うどころか、本来なら自分達の上官であるはずのエルヴィンやそれよりもっと年上の者達と同じ時代に生まれている。生まれる場所も多くはシガンシナ区なのだが、前回はなんと王都の地下街だった。 どういう理屈で何度も世界を繰り返しているのか解らない以上、そのような差異が発生する理由もまた同じく不明。そしてエレンにはそれを理解しよう、原因を解明しようという気力が最早存在していなかった。 まだ繰り返しの回数を数えていた頃は、必死に世界を前に進める方法を模索していたように記憶している。だが何をやってもスタート地点に戻されることを繰り返したエレンはとうとう諦めてしまったのだ。 だが自分が周りの――特に自分が知っている――人々が不幸になるのは見たくないと思っており、自暴自棄になることだけはない。その時代の『設定』つまり自分が生まれた年代や場所その他諸々の要素の中で、それなりの人生を送るように心がけていた。 その結果、前回はうっかり幼いリヴァイを見つけてしまって放置できずに育ててみたり、そして再びシガンシナで誕生した今回はエルヴィンと訓練兵団の同期になって憲兵団師団長にまで上り詰めてみたりと、最初≠ゥらは大きく外れた人生を歩んでいる。 ちなみに巨人化能力は何度目の世界であっても使えるようになっていた。たとえ生まれる年代が大きく違って、それにより父のグリシャに謎の注射を打たれていなくとも、十歳を超えた時点でエレンは自傷行為と目的意識により巨人になることができる。今の世界でもまたエレンは容易に巨人化することができるだろう。ただし試したことはないが。試す必要が無かったし、もしエレンの能力のことが他者にばれれば、今の地位に関係なく即行で牢屋行きだ。そして最後には人の手による処刑が待っている。それは経験則として嫌と言うほど知っていた。 処刑と言えば、とエレンは連鎖的に思い出す。 大抵の場合、『巨人になれる兵士』であるエレンを処刑するのは人類の中で最も腕の立つ兵士であるリヴァイ兵士長だった。それはエレンが調査兵団を希望することが多かったというのが一因と推測されるが、兵士にならずとも襲ってきた巨人に対処するため力を行使するなどして憲兵に捕まり、結果的にリヴァイが刑の執行人になるという場合もある。 エレンとリヴァイにこれと言った接点が無く、単純に処刑する者とされる者であるならまだいい。しかし――エレンが幾度も経験してきたパターンなのだが――リヴァイがそれなりにエレンのことを気に入ってくれている場合、彼の心情を思うとエレンは申し訳なさでいっぱいになる。 特に前回は最悪だった。 地下街で、しかも随分早く生まれてしまったエレンは、何の因果か幼いリヴァイと生活を共にした。彼が自活できるようになった頃、エレンは兵士としてスカウトされてリヴァイと離れたのだが、エレンと離れたくないと言ってリヴァイもまた兵士になってしまったのである。そのこと自体はまだ良いのだが、年下リヴァイのエレンへの懐きようはこれまで経験してきた中で一番であり、にもかかわらずエレンの巨人化能力が他者の知るところとなって最終的にはリヴァイがエレンを殺すことになってしまった。 あの時のリヴァイの顔をエレンは今でも忘れられない。血の気が引いた真っ白な顔も、見開かれた双眸も、音を発することなく震えるだけの薄い唇も。エレンは全てを鮮明に覚えている。そして思うのだ。もう二度とあんな顔をさせてはいけない。させてなるものか、と。 ゆえにエレンは今回、保険をかけた。 リヴァイと出会ったのはエルヴィンよりも自分の方が先だったが、彼を兵団にスカウトして育てる役目は今生の親友殿に譲った。リヴァイを強くすることも冷酷に振る舞うのを教えるのもエレンとて可能だが、下手に接触回数を増やすことでリヴァイの中にエレンへの情が湧いてしまってはいざという時に彼自身が苦しむことになる。反してエルヴィンに任せておけば、人類は『最強の兵士』を手に入れることができるし、またエレンのことが他者に知られて再びこの命が散らされることがあっても、リヴァイの中の感情の揺れは最小限に抑えられるだろう。 その分、もしもの際には親友となったエルヴィンに精神的負担をかけることになるが、彼はリヴァイほど情に厚くないし――決して薄情と言うわけでは無いのであしからず――、何よりズバ抜けて冷静に物事を判断できる。エレンが死んだとしても己がなすべきことをきちんと考え、その二本の足でしっかり立って前を見据えてくれるはずだ。 (せめてみんなの痛みが少しでも少ない世界でありますように) この繰り返しから抜け出ることは諦めてしまったけれど、まだ願っていることがある。他人の悲しむ顔をなるべく見たくないと思うのは己のエゴだと自嘲する一方で、それでも望まずにはいられない願いをエレンはそっと胸中で呟いた。 リヴァイが所属する調査兵団と、その多くが王都で悠々と過ごしている憲兵団は、基本的に仲が悪い。 調査兵は実力を持ちながらも巨人との戦闘から離れて内地に引っ込んだ憲兵を臆病者だと呼び、また臆病者であるどころか実力もなくコネだけでその地位についた者などは視界にすら入れたくないと軽蔑している。そして憲兵もまた安全な壁の中から望んで飛び出し、巨人に食われて帰ってくる調査兵をどうしようもない愚か者の集まりだと見下していた。 (そのはず……だと思っていたんだが) 目の前に広がる光景は一体何事か。 リヴァイが一時は殺してやるとすら決めた人物もとい直属の上官であるエルヴィン・スミスが普段の作られたものとは違う柔らかな笑みを浮かべている。そしてその視線の先にいるのは、二十代半ばくらいに見える黒髪の男。 男は来客用のソファに座ってこちらに後頭部を向けている。彼が重ね翼の紋章を背負っていたならば、リヴァイとて驚いたりはしなかった。まだ自分の知らない調査兵がたまたまエルヴィン分隊長の執務室を訪問していただけだろうと納得もできたはずだ。しかし男のジャケットの袖に縫い付けられた紋章は、翼でも、また薔薇でもなく、調査兵団と最も仲が悪いとされる憲兵団の一角獣だったのである。 「おや、リヴァイ。部屋に入る時はノックをしてくれないと」 黒髪の憲兵の向こうからエルヴィンが視線を寄越して普段通りの如才ない笑みを浮かべる。穏やかだが作られたそれはリヴァイも見慣れたものだ。こうして目の前で変化するところを見せられると、やはり先程までエルヴィンが黒髪の男に向けていた表情は特別――つまりエルヴィンにとってこの黒髪の男が特別――であることが良く分かった。相手は調査兵団と険悪であるはずの憲兵団の一員だが。 「そいつは?」 「リヴァイ、そういう口のきき方をして良い人ではないんだよ」 「いいって別に。そいつが噂の新兵だよな?」 リヴァイとエルヴィンの応酬に口を挟んだのはこちらを振り向いた黒髪の憲兵。その黄金の双眸に捉えられた瞬間、リヴァイの心臓がどくりと大きく脈打った。だがその理由が分からず、内心で首を傾げている間に痛みは引いてしまう。 「ああ、そうだよエレン。彼がリヴァイだ。……リヴァイ、こちらは憲兵団のエレン・イェーガー師団長だ」 「憲兵団の……しかも師団長? こいつが?」 エレン・イェーガーだと紹介された男はエルヴィンよりもずっと若く見える。だと言うのに何千人もの兵士を従える師団長なのか、こんな若造が。 普段から無表情ではあるが、今はうっかりその疑問が顔に現れてしまったのだろう。当の本人たるエレンが肩を竦めて「これでもエルヴィンと訓練兵団の同期で同い年なんだぜ」と苦笑してみせた。 「は? 同期だ?」 「そ。見えないかもしんねぇけど」 エレンは自分が童顔だということは理解しているようだ。しかも本来なら不敬に当たるはずのリヴァイの態度に顔をしかめることもなく、全く動じていない。どうやら他人の上に立つ器は最低限備えているらしい。 「その師団長様が調査兵団の分隊長の部屋にわざわざ何の用だ?」 「この前の壁外調査の報告書を目にしてね、そのことについてエルヴィン分隊長にちょっと話を聞こうと思って。あとは同期としての世間話かな」 だからお前はお呼びじゃないよ、とエレンは暗に告げる。 「ところでリヴァイ、お前は一体何の用でここに?」 「ああ……ただの書類の配達だ」 エルヴィンに尋ねられたリヴァイはそう言ってエレンの横を通り過ぎ、脇に挟んでいた紙の束を上官の机の上に置く。 「キースの野郎からだ。そこでたまたま出くわした」 「すまないな。下がっていいぞ」 「……」 エルヴィンもまた、さっきのエレンよりもあからさまにリヴァイの退室を望んだ。 世間話も何もなく用が済んだなら去れとエルヴィンが命じたのは、ひとえにエレンがリヴァイと同じ空間にいることを拒んでいる――リヴァイと交流を深めたがっていない――と先程の台詞から判断したためである。ただしエルヴィンも何故リヴァイの存在を教えたエレンがその同席を拒むのか、理由までは分かっていない。しかしエレンの望みや考えに間違いなど無かったと、これまでの人生で信じ切っているエルヴィンには、己がそうすることも当然だと思えていた。 ともあれそんなエルヴィンの心中など知るはずもなく、またエルヴィンの言葉には基本的に従うよう自分の中で決めており、更にはこの組み合わせにわざわざ同席したいとも思えなかったリヴァイは、「ああ」と頷いて執務室を去る。 廊下に一歩出た時にはもう、エレンと目が合った瞬間の胸の痛みなど記憶の彼方に追いやられてしまっていた。 「実物を見て思ったんだけどさぁ……エルヴィン、リヴァイのことを教えたオレが言うのもアレだけど、どうやってあのゴロツキをあそこまで従順にさせたんだ?」 「前に君自身が言った通り、ちょっと考え方の違いってやつを自覚させただけさ」 リヴァイが退室して十分な時間が経った後、エレンがぽつりと発した問いにエルヴィンはあっさりと答えてみせた。 「ふーん? つまり自分で考えた行動よりもお前の考えに従って行動した方が正しいって思わせたってことか?」 「お察しの通り。しかも初の壁外調査で一緒に地下から出てきた二人が死んだからね、余計に自分の判断を信じられなくなってしまったんだろう。あとはそこからの積み重ねだ」 「……あの時は確か大雨になったんだっけ」 「残念ながら。我々にとって雨は視界が悪くなるし煙弾が使えないしで実に良くないものだから気を付けてはいたんだが」 悔やむように眉尻を下げるエルヴィン。 リヴァイとその友人二人を地下街から地上に連れ出し、初めて壁外調査へと赴いた時の記憶を呼び起こす。元々立体機動の技術がズバ抜けて高かった三人は、初の壁外調査だと言うのに、その日の夜には入団当初からいがみ合ってきた一般兵に尊敬の眼差しを向けられるほどになっていた。どうすればあのように上手く巨人を削ぐことができるのかと、三人を――特にリヴァイを見つめる兵士の中には、すでに英雄視を始める者もいただろう。 しかし壁外調査二日目に天候が急変し、そこにリヴァイの判断ミスが重なって彼の友人二人を含む多くの人間が巨人の餌食となった。リヴァイは己の誤りを指摘したエルヴィンこそ自分より正しい判断が出来る者だと感情ではなく理性でそう思い、彼へ下ることを誓ったのだ。 その詳細もすでに知っていたエレンは微笑を浮かべて「そっか」と言い、穏やかな口調のまま、 「報告書を読んだ時から思ってたんだけど、お前がいたのに調査中止の合図が出るのが随分遅かったみたいだな? お前ならキース団長に進言してあんな惨事になる前にさっさと中止できたはずだと思うんだけど」 「…………、エレン」 エルヴィンの身体が僅かに強張った。 「オレが気付かないとでも思ったか?」 変わらぬ微笑を顔に貼り付けたままエレンはソファから立ち上がる。椅子に腰掛ける部屋の主の元へ殊更ゆっくり歩み寄り、いつの間にか己より分厚く男らしくなった肩にぽんと手を乗せた。 「え、れ」 「責めちゃいねぇよ。それがお前の戦い方だってオレは知ってる」 エルヴィンの耳元に唇を寄せ、囁くようにエレンは言った。 「人類史上最高の逸材を地下から引っ張り出して輝かせるには、それくらいやんなきゃだめだ。お前の判断が良いことだとは言えないし、言わない。でも必要だった。どんな巨人も殺せる兵士をつくるためにはお前のあの判断が必要だった」 「エレン……」 青い瞳がエレンを見上げる。今度は貼り付けただけではない笑みでもってそれに応え、エレンは肩に置いていた手をエルヴィンの頬に滑らせる。 「エル」 滅多に使わない愛称で呼ばれれば、大の男の目元が赤く染まった。その部分を親指でゆっくりなぞりながら、エレンは艶やかに黄金の双眸を歪ませる。 「どうか最強の兵士をつくってくれ。人類のために――……それがオレからの願いだ」 (そして最後はあの人が何の憂いもなくオレを殺せるように) エンドレスワルツ
2013.12.30〜2014.02.03 pixivにて初出 加筆修正版(ハッピーエンド)を2015年1月11日発行「Rechts」(レヒツ)に収録しております。 |