3.リヴァイとエレンとハンジ・ゾエ

「おはようございます!」
「おっはよーエレン。今日も早いねぇ」
 感心感心と微笑んで見せたのは、午前中に入っていた仕事の都合で早めに現場入りを果たしていたハンジ・ゾエ。
 自分達が出演しているドラマ『進撃の巨人』の撮影は夕刻から始まるのだが、現在は午後二時を回ったところである。新人であることを考慮してもエレンは現場入りが非常に早い。しかも早く来た後は他のスタッフの邪魔にならないよう隅っこの方で台本を読み込んでいたり、はたまた道具の運搬を手伝ったりと、長くこの仕事をしていてスレたハンジの心がちょっと痛んでしまうくらいにエレンは良い子だった。
 一瞬かつ台詞なしではあるがドラマの第一話から出演していたおかげで時折こうして自らエレンの健気さを目にすることもあれば、仲良くなった撮影スタッフの面々から話を聞くこともある。いわばハンジにとってエレンの早い現場入りはおなじみの光景だった。しかしここ最近その光景に別のものが入り込むことが多々ある。
 ハンジはずっと年下の新人俳優を見守る優しげな双眸から一転、その彼の後ろに続いてやって来た人影に生ぬるい視線を向けた。
「……おはよ、リヴァイ。あなたも中々早いじゃないか」
「ああ、まぁな」
 エレンに続いて(と言うかほぼ同時に)現場に姿を見せたのは、劇中にてエレンの直属の上司でありハンジの同僚でもある人類最強≠演じるリヴァイ。
 その彼が肩に引っ掛けているデイパックはどう見ても先日エレンが背負っていた物だ。またエレンの方は本日手ぶらなのだが……。深く考えない方が良いのかもしれない、とハンジは思う。十代の少年が持っていたデイパックと同じデザインのものを後日三十路の男が持っていることくらい、別に不思議でも何でもない。ということにする。
 が、そんなハンジの努力など簡単に水泡へ帰すかのごとく、目の前でリヴァイがエレンにそのデイパックを投げて寄越した。エレンもそれを難なく受け取り、「ありがとうございます。重くなかったですか?」と声をかける始末だ。
(おおー。ついにリヴァイが荷物持ちになっちまった)
 現状を正しく認めつつ、相変わらず生ぬるい視線を継続するハンジ。
 エレンとリヴァイが同時に現場入りをするようになったのは、劇中にて『リヴァイ』が『エレン』に躾を施すシーンを撮影した後からだったように記憶している。その前にも『リヴァイ』の登場シーンは僅かながらにあり、エレンとリヴァイが現場で顔を合わせることはあったのだが、その頃はまだ本当にただの共演者でしかなかったはずだ。
(いやまぁエレンにとってはリヴァイって憧れの俳優らしいし、それなりにテンションとか上がっちゃってたんだろうけど)
 兎にも角にも同じ作品に登場しているとは言え、エレンは新人俳優。対してリヴァイは中堅どころか長い芸歴とその類稀なる演技力で、三十路にしてすでに大物俳優と分類されるであろう実力者。年齢差が大きいため話題が重なることもない。接点など無いに等しい状態だった。
 にもかかわらず、大物と新人が一緒に現場入り。最初はただの偶然かと思いきや、回数が重なればその可能性も消えてくる。そして頭を撫でたり肩に触れたりというちょっとしたスキンシップが目撃されるようになった頃に、演技以外で表情が変わらないと言われたあのリヴァイがカメラも回っていないのにたった一人の前で見せた笑顔! そしてついには本日、演技力に比例してプライドも高いリヴァイが堂々と新人の<Gレンの荷物持ちと来たもんだ。
 どんだけその新人君が可愛いんだよ、とハンジは呆れ交じりに内心で溜息を吐く。
 ちなみにハンジもリヴァイと同レベルの女優でありながら、彼に負けず劣らずエレンを猫可愛がりしている自覚はない。先日もエレンに「エネルギー補給だよ!」と言って贔屓にしている有名パティシエが作ったケーキを差し入れたのだが、彼女が別作品で新人にそのようなことをした事実は過去に一度もなかった。
 人の振り見て我が振り直せない。
 閑話休題。
 ハンジが生温い視線のまま見守っていると、撮影用のセットの隅――つまりここだ――に用意された控えスペースへと二人がやって来る。リヴァイからバッグを受け取ったエレンはごそごそと中身を漁って何かを探しているようだ。そして彼は三十路の男女二人が見守る中で、女の方つまりハンジにバッグから取り出した何かをずいっと差し出す。
「え?」
「ハンジさん、お誕生日おめでとうございます。ちょっと遅くなってしまいましたが、どうか受け取ってください」
「ええ?」
 確かにハンジの誕生日は先週だった。ちょうどその週は撮影が無く、エレンにも会えなかったので密かに悲しんだものだ。
「いいの?」
「もちろんです。お気に召せばいいのですが……」
 へなっと眉尻を下げてエレンが手渡してくれたのは白い小箱で、幅の狭い薄水色のリボンが巻かれている。「開けてもいいかな」と尋ねれば少し恥ずかしそうに首肯されたので、意気揚々とハンジはリボンを解いた。
 箱の中に入っていたのは――
「香水?」
 可愛らしいというよりはシャープな感じの小さなガラス瓶が小箱の中央に収まっていた。ガラスの色は淡い水色と黄色の二層になっており、中では透明の液体が揺れている。
「はい。女性の誕生日にどういった物を差し上げればいいのか迷ったんですが、ちょうどハンジさんのイメージにぴったりな香りのものがあったので」
 エレンの説明を聞きながらハンジは小瓶を手に取り、シュッと手首に液体を吹きかける。ふわりと広がる香りは柑橘系の爽やかさの中に僅かな甘さも含まれており、これがエレンから見たハンジのイメージだと言うのならちょっとではなくかなり照れる。が、その辺は女優としての演技力の見せ所だ。赤面しそうなところを意志の力だけで抑えつけ、ハンジは眼鏡の奥でにこりと微笑んで見せた。
「ありがとう、エレン。とても素敵な香りだ。大切にするよ」
「そう言って頂けて良かったです」
 ほっと胸を撫で下ろすエレンも可愛らしい。
 ただこんなにも可愛らしい反応をするエレンの選んだ誕生日プレゼントが香水という少々大人っぽい物だったことにハンジは僅かな違和感を覚える。年相応に笑うこの子がいくら年上の女性に贈る物だと言っても、普通は香水なんてチョイスするものだろうか。そもそもこの子が一人で香水専門店に入れるとは思えない。ひょっとして誰かアドバイスする人物がいたのではないか。
 まさかと思って視線を僅かにずらせば、エレンの斜め後ろに立つリヴァイと目が合う。直後、仏頂面を貫いていたリヴァイがニヤリと口の端を持ち上げた。そして僅かに己の左腕を上げ、手首――正確にはその左手首につけた銀色のシンプルなブレスレットを指差す。
(ッ! エレンとお揃い、だと……!?)
 九月も半ばだが日中はまだ暑いため、今日のエレンは七分袖のシャツを着ている。おかげでしなやかな筋肉に覆われた腕は完全に服の下に隠れることもなく、男の割に細い手首がしっかりと見て取れた。その左手首につけられているのはハンジも初めて見るシンプルな銀色のブレスレット。しかもリヴァイがしているのと同じ物である。
 どうだ羨ましいだろうと言わんばかりの表情を晒すリヴァイにハンジは内心でギリギリと歯ぎしりしながら表面上は平静を装って念のためエレンに尋ねた。
「ねぇエレン。これってどこのお店で買ったのかな。いい香りだから教えて欲しいんだけど」
「ああ、それでしたら――」
 ハンジの質問に何ら疑問を挟むことなくエレンが答えたのは、彼の年齢でも行きやすい郊外にできた大型複合商業施設の名前。そこには香水を取り扱う店もあれば、貴金属類を扱う店もある。
「そっかー。ありがと」
 軽い口調で答えながらハンジはもう一度リヴァイに視線をやった。新人の荷物持ちすら嬉々としてやってのける大物俳優は、さすがにもう腕は降ろしたものの、相変わらず自慢げにシャツの袖の下から銀色を覗かせている。
(ああはいはい、そういうことね。こいつ私をダシにしてエレンとデートしやがったのか)
 しかもちゃっかりお揃いのアクセサリーを購入したときたもんだ。
 荷物持ちすらやってのけるほど猫可愛がりしている新人俳優が己以外の人間にプレゼントを贈れば、当然リヴァイは機嫌を損ねるはず。しかしそれがなく、こうしてお揃いのアクセサリーをこっそり見せつけてくるのだから、リヴァイにとってハンジの誕生日プレゼント選びはそれはもう有意義なものだったのだろう。恐るべしエレン効果、である。
 ちなみにブレスレットには手枷や相手を拘束したいと言う意味があったりなかったりするのだが、エレンはともかく、この男はその辺のことも知った上での行為なのだろうか。もし知った上で購入したと言うのなら、リヴァイがエレンに向けるものはただの猫可愛がりなどではなく、もっと重い感情ということになるだろう。
(エレン逃げろー。たぶんそいつめちゃくちゃ猫被ってるよ)
 リヴァイがブレスレットの意味を理解して購入したと半ば確信しつつハンジは心中でエレンに忠告する。
 しかし心の中だけで告げる忠告が十代半ばの少年に伝わるはずもなく。それどころかリヴァイに鋭い一瞥をもらってしまい、ハンジは小さく肩を竦めた。
(あはは。こりゃだめだ)


2.リヴァイとエレンとエルヴィン・スミス

「休憩入りまーす!」
 スタッフのその一言で現場の空気が一気に弛緩する。
 緊迫感の漂うシーンが多いこのドラマであるが、撮影の裏側でもずっと張り詰めたままというわけではない。重要な場面を一つ撮り終え、キャスト達は各々好きなように散っていく。
 その中の一人、リヴァイも肩をゆっくり回しながらパイプ椅子等が置かれた簡易休憩スペースへとやって来た。
 先程まで撮影していたシーンでは登場しておらず先に椅子に座っていたエルヴィンがそれを迎える。
「お疲れ、リヴァイ」
「ああ」
 短い応えの後、リヴァイも椅子に腰掛ける。この後もまだ撮影は続くため、劇中で立体機動装置と呼ばれる小道具は未だ腰の左右につけたままだ。おかげでガチャガチャという音が全ての動作について回る。
 銜え煙草で話しかけていたエルヴィンは胸ポケットから煙草のパッケージを取り出し、「ん?」とリヴァイに差し出した。この三白眼の俳優が愛煙者であることをエルヴィンは良く知っている。過去に別の作品で共演した際、喫煙者用のエリアで頻繁に顔を合わせていたからだ。
 しかしエルヴィンの予想に反し、リヴァイは首を横に振った。好きな銘柄ではなかったのかと問えば、それにも否が返ってくる。
「禁煙中か?」
「現役の学生が傍にいるからな」
 そう言ってリヴァイが視線を向けた先には、休憩開始直後に用を足しに行ったエレン・イェーガーが小走りで現場に戻ってくる姿があった。ここから少し離れた所で足を止めたエレンはきょろきょろと周囲を見回している。誰かを探しているのだろうか。
 劇中のみならずオフの時にも仲良くしているというミカサ・アッカーマンやアルミン・アルレルトでも探しているのだろうと思ったエルヴィンは、微笑ましいエレンの様子に両目を細める。
 そんなエルヴィンの傍らでまたもやガチャガチャという金具のこすれる音が立った。何事かと視線を向ければ、先程座ったばかりのリヴァイが立ち上がっている。
「エレン、こっちだ」
 決して大きな声ではなかった。しかしその呼び声一つで周囲を見回していたエレンの視線がこちらに――否、リヴァイに向けられる。そして宝物を見つけた幼子のようにぱっと笑みを浮かべて走り寄ってきた。
「リヴァイさん!」
「手はきちんと洗ったか?」
「はい!」
「よし」
 まるで小さな子供と母親のような会話だが、その子供役は母親役よりも身長が十センチほど高い。しかしそんな身長差など物ともせず、リヴァイは手を伸ばしてエレンの頭を撫でている。あのリヴァイが。別作品では新人が失敗を仕出かすたびに舌打ちをして凶悪な顔を更に凶悪にさせていたあのリヴァイが!
 信じられない光景にエルヴィンはくらりと眩暈を覚え、うっかり火の着いた煙草を取り落としてしまう。落としたものをもう一度銜える気もなく、最初はリヴァイにと取り出したはずだったパッケージから新しい一本を抜き取った。しかしそれに火を着けるよりも早くエルヴィンははたと気付く。
 リヴァイが禁煙しているのは傍にいる現役学生――つまりエレンのためなのだと。
 ここは節度ある大人として未成年に副流煙を吸わせるわけにもいくまい。愛煙家だったはずのリヴァイが我慢しているのだから、エルヴィンもまたこの場くらいは喫煙を控えるべきだ。
 抜き取った煙草をパッケージに戻し、それごと胸ポケットに収めた。
 そんなエルヴィンから数歩分離れた所では相変わらずリヴァイとエレンが会話を続けている。
「あれ? リヴァイさん、煙草吸いました?」
「いや……ああ、エルヴィンが吸っていたからそれか」
「別に吸ってもいいのに。リヴァイさん、結構吸う人ですよね? 家にも大きな灰皿がありましたし」
「馬鹿が。お前だって学校で副流煙のことは習ってんだろうが」
「そうですけど、それだとリヴァイさんが家でも我慢しなきゃいけなくなっちゃいます」
 申し訳なさ半分嬉しさ半分でエレンが答える。
 その二人の会話にエルヴィンの首が傾いだ。
(んん?)
 エレンの言い方だとまるで彼がリヴァイと一緒に暮らしている――そうでなくても頻繁にエレンがリヴァイ宅を訪問している――ように聞こえるのだが。
 いやそんなまさか二人はこのドラマで初共演だそれに知り合ってからまだ三週間も経ってないぞと言うか片方は三十路で片方は学生でしかも両方とも男であるぇー? それってどうなの。とは思うものの、口には出さない。正確に言うと、出ない。
 混乱するエルヴィンを放置して二人の会話はどんどん続く。
「オレ、煙草吸ってるリヴァイさんも好きですよ。格好良くて」
「あ? そんなのどこで見たんだよ」
「リヴァイさんが主演してたドラマで。ほら、月夜にベランダに出て溜息と一緒に煙をハーって」
「あーあれか。つーかンな古いのよく知ってたな」
「だってリヴァイさんが出てるやつですから!」
「そうか」
 リヴァイが 非常に 嬉しがって いる !
 いつもの渋面どこ行った、と言わんばかりの柔らかな笑みを浮かべてリヴァイはエレンの頭を少々荒く撫でた。犬を褒める時の手つきに似ているが、エレンも嬉しそうなので問題は無い……のかもしれない。無いのか? 無いといいな。無いと願いたい。
「……、」
 先程とは比べ物にならない眩暈に襲われてエルヴィンはこめかみを指で抑えた。


1.リヴァイとエレンとダリス・ザックレー

 脚本家兼出演者というのがこのドラマ『進撃の巨人』におけるダリス・ザックレーのポジションである。そして作品から少し離れた視点で見ると、ザックレーにはもう一つの顔があった。
 それが――
「じいちゃーん!」
「おお、エレンか」
 関係者専用の駐車場で愛車に乗り込もうとしていたザックレーに声をかけてきた少年――ドラマの主人公にしてザックレーの実の孫でもあるエレン・イェーガーが大きく手を振って駆け寄ってくる。
 ザックレーは少年の傍らを歩く男性の姿を一瞥した後、丸眼鏡の奥の瞳を孫に向け直して表情を崩した。
「エレン、今日の演技もなかなかだったぞ」
「へへっ、そうかな」
「ああ。まるでお前が本当に体験してきたかのような迫真の演技だった」
「それはまぁこの話自体、オレがじいちゃんに話した夢が元になってるからじゃね?」
「そうかもしれんな」
 言いながらザックレーはエレンの頭を撫でる。
 彼の言うとおり、『進撃の巨人』という話は、元々孫であるエレンが幼少期から見てきた夢が元になっていた。
 この現実世界とは大きく異なり、壁に覆われた限定的な範囲でしか生きられない人類やその天敵である巨人、巨人を狩るために作られた装置と技術体系――。幼い少年が妄想したにしてはあまりに緻密で残酷で、そして何故か心惹かれる世界をザックレーは長年にわたって聞き続け、今こうしてフィクションとして現実世界に顕現させている。
 ドラマの主人公が夢を見ていたエレン本人となったのは偶然によるところが大きいのだが、おそらく彼以外に適任はいなかっただろうとザックレーは思う。エレン以上に主人公とシンクロできる演者はいない。
 さて、そんな脚本家としてのザックレーに素晴らしいネタを与えてくれた愛孫であるが、残念なことにこのままエレンを自宅に連れ帰ることはできない。元々エレンはザックレーと別の家に住んでおり、なおかつ今日はエレンの方が別の人物と共に帰る約束をしているからだ。
 その人物こと三白眼の小柄な俳優――リヴァイを見やり、ザックレーは咳払いを一つ。エレンに向けていた好々爺の表情から一転し、まさしく先日演じたばかりの『ザックレー総統』らしい顔つきになる。
「リヴァイ君、今日もうちの孫が世話になるようですまないね。負担になってはいないかい?」
「いえ、むしろ寂しい独り暮らしを賑やかにしてもらっているので、エレンに遊びに来てもらえるのは嬉しい限りです」
「そうか。そう言ってもらえるとこちらとしてもほっとするよ」
 当然のことながらこの台詞は建前である。
 初共演のはずなのだが、エレンとリヴァイは年の差も立場の差も飛び越して妙に仲が良い。まるで昔からの知り合いのように。孫が他人から可愛がられているのは嬉しいが、その所為で自分と過ごす時間まで減っていくのは中々に複雑な心境である。
 だがこれからリヴァイ宅を訪問するエレンの笑顔を見ていると、それすらどうでも良くなってくるから不思議なものだ。
 ザックレーは再度エレンに視線を向け、「リヴァイ君に迷惑をかけてはいけないよ」と祖父の顔で告げる。それに対して孫が元気よく首肯したのを確認し、ザックレーは自分の愛車へと乗り込んだ。

 ――リヴァイとエレンの二人がザックレーの車を見送った後。

「じいさんとの仲は随分と良好なようだな」
「はい」
 少年は頷き、しかしリヴァイの車に乗り込みながら「でも」と続ける。
「最初はびっくりでしたよ。まさかオレの祖父があのザックレー総統だったなんて」
 きちんとドアを閉めたところでエレンはぽつりと呟いた。
「まぁオレもあの時まではあの世界が本当に夢だと思っていたので、総統にもぺらぺら喋っていたわけですが」
「だがおかげで俺達は再び出会えた。違うか?」
「いいえ、違いません」
 金の眼が隣の運転席に座る人物を捉える。
「きっと誰でもない……あなたとあのシーンを再現しなければ、オレは今でもあなたを思い出すことはできなかった。あなたはただテレビの向こうの世界にいる人で、役者としてのオレの憧れの人で――……それだけで終わっていたはずでした」
 でも思い出せた、とエレンは愛しげに隣のリヴァイを見つめた。
 まだシートベルトをつけずエンジンもかけていなかったリヴァイが青灰色の双眸でそれを見返す。
 リヴァイもエレンと同じだ。この世界で何も思い出さないまま俳優として生きてきた。しかし『進撃の巨人』という名のドラマに出演し、数日前に撮影したあのシーン――審議所に連れて来られたエレン・イェーガーを公衆の面前で躾けるという場面を演じる最中、リヴァイは暴力に屈することなく強い光を宿し続ける金色の双眸に射抜かれて思い出したのだ。ああ、俺はこの目を知っている。このエレン・イェーガーを知っている、と。
 それから後は早かった。記憶を思い出して互いの表情からそれを悟った日、撮影終了と共にリヴァイはエレンを拉致同然に自宅へと連れ帰り、多くの話をした。
 今までの人生のこと。あの世界のこと。それからあの世界では口に出せなかった想いの数々を。
 エレンはまるでその日の再現のように車中でリヴァイを見つめたまま口を開く。
「一緒にいたいです」
「ああ」
「もう死にたくない。死なせたくない」
「ああ」
「あの人達のぬくもりを失いたくない。あの人達の笑顔をずっとずっと見ていたい」
「ああ」
「……もう失わなくていいんですよね? ここはあの世界じゃないんですから」
「ああ」
 零れ落ちる言葉に淡々と答えるリヴァイは四度目の頷きの後、そっと手を伸ばしてエレンの頬を撫でた。
「一緒にいよう」
「はい」
「もうお前を死なせない。誰も死ななくていい」
「はい」
「たとえ思い出していなくたって、幸いなことにあいつらのぬくもりはいつでもすぐ傍にある。呼べばいつだって笑ってくれるさ」
「はい」
「……ここはあの世界とは違う、馬鹿みたいに平和ボケした世界だ。だからもうあんな失い方はしなくたっていい」
「は、い」
 金色の双眸にキラキラ光る雫が溜まりだす。今にも零れ落ちそうなそれを眺めてリヴァイは「お前は相変わらず涙腺が緩いな」と苦笑を零した。
「エレン」
「はい」
 エレンが五度目の応えをすると、リヴァイはシートから身を乗り出して顔を近づける。
 ここから先はこの世界でエレンと再会してから初めての行為となる。だがあの世界の分をカウントするならば、多くはないが初めてでもない。
「目を閉じろ。あの世界で教えただろう?」
「はい、リヴァイさん」
 金色の目が瞼の裏に隠れたのを確認し、リヴァイは更に顔を近づける。
 そして静かにエレンの吐息を奪った。







2013.09.17 pixivにて初出