[0 years old]

 初めてあいつと出会った日のことを覚えている。
 十五年ぶりに妊娠した母親が無事に出産を終え、その見舞いに行った時だ。
 母の隣に置かれたベビーベッドに寝転がる小さな小さな生き物。生まれたばかりでまだしっかり物を見られるわけでもないのに、きょろきょろとしきりに周りを見回している。
 俺がベッドに近付くと母はゆったりと微笑んで「エレンよ」と赤ん坊の名を告げた。
 エレン。よく女につけられる名前だが、同じ音の違うスペルで男にもつけられる。この赤ん坊は我が家の次男――つまり男だから、綴りはErenとなるのだろう。意味は『聖者』。
 御大層な名前だと思う一方で、俺は不思議と懐かしさを感じていた。
 その懐かしさの理由を探るためではなかったが、ベビーベッドの柵に手をかけて赤ん坊を覗き込む。他人に見られてもお構いなしといった風情で、生まれたての命は周囲を探るのに一生懸命だ。
 なんとも自由奔放な姿に何故か少し笑えてきて、俺は笑いをかみ殺しながら赤ん坊の名を呼んだ。
「おい、エレン」
 その瞬間。
 忙しなく色んな所にやられていた視線がぴたりと俺に向けられる。
 まだぼんやりとしか見えないはずの金色の目がまじまじと俺を見つめていた。
「……エレン?」
「あ……ぅ、やぁ」
 視線をこちらに向けたままエレンは両手両足を大きく動かし、宙を掻く。まるで何かを求めるように。
「ぃあ……にゃ、あぅぅ」
 あまりにも必死に手を伸ばすものだから、こちらも思わず身体が動いた。
 未だ宙を掻く小さな小さな手に触れる。エレンは俺の人差し指をきゅっと掴むと、金色の目を大きく見開いて動きを止めた。
「エレン?」
「あぅ、い……ぁ、ぅん」
 そして、生まれたばかりの命は俺の指を握り締めたまま、ふにゃりと幸せそうに微笑んだ。
 途端、胸に広がる暖かさと少しの痺れ。
 たぶんいとしい≠ニいうのは、この時抱いた感情のことを言うのだろう。


[1 year old]

 エレンを産んでから三ヶ月で母は職場に復帰した。
 結婚前から父親は医者として、母親は看護師として働いており、俺もかなり早い時期から母離れして育ってきた記憶はあるが、エレンは俺の時よりも母と接する時間が短い。俺という世話役がいるからというのがその大きな理由だろう。
 通常、俺くらいの年齢の男はガキの面倒なんぞ見たくもないと思っている。俺だって喚くだけのうるさいガキの世話なんてごめんだ。しかしエレンのこととなると話は別で、学校で勉強したり奇妙な友人達と顔を合わせたりするよりも、エレンと静かに家で過ごしている方が俺にとっては楽しいことに感じられた。
 託児所にエレンを預けて学校にいる間はそわそわして落ち着かねぇ。放課後になればすぐ託児所に飛んで行き、エレンを引き取って家に帰る。
 エレンは他のガキと比べて非常に利口で、騒がないし散らかさない。そりゃあ身体が出来上がってねぇから上手くできないことも多々あるが、そんなことに目くじらを立てても仕方ないだろう。むしろ懸命に挑もうとする態度に感心してやるべきだ。
 ただ、一応ガキの面倒を見るのだからと思って買った育児書と見比べてみても、エレンはやはり異様に手の掛からない子供だった。排泄や食事など生理的なことはさて置き、そいつ自身の意思でどうにかなることに関しては俺の迷惑にならないようにしている。ただの偶然かもしれないが。
 エレンは決して内向的だとか外界に興味を示さないだとか、そういう性格ではない。むしろ逆で、生まれた時からずっと外に関する興味は強いように思われる。内容を理解しているのかは不明だが、テレビを見るのも好きらしい。チャンネルを傍に置いておくと、自分でボタンを押している時すらある。
 何をしても楽しそうで、その中でも――俺の自惚れじゃなければ――年の離れた兄である俺の傍にいる時が一番幸せそうにしている。
 話が逸れてしまったが、とにかくエレンは興味が強いし行動的だ。その一方で、たとえば俺が帰宅して翌日の授業の予習なんかをしている時、エレンは俺の傍にいても騒がないどころか声すらほとんど出さない。ただ用意した布団に寝転がってむにむにと無音のまま口を動かしたり、俺の方を見上げたり。そしてちらりとこちらが視線をやると、目があったエレンは「にぃ」や「にゃぁ」と小さな猫みてぇに鳴いてから微笑むのだ。
 ああ、あとその時一緒にちょっとだけ右腕が動くな。自分の胸を叩くようにちょいちょいと動かすので、俺は手を伸ばしてその小さな腕や手に指を触れさせる。するとエレンは少し驚いたように金色の目を丸く見開いて、それから更に嬉しそうに笑うんだ。


[2 years old]

「りばしゃ」
 エレンが初めて喋った言葉は俺の名前。しかも家族団欒の時だったので、その瞬間に父はうなだれ、母は笑い、俺はガッツポーズをするという始末。
 よっしゃ! なんて言うのは俺のキャラじゃないのだが、その時ばかりは思わずやってしまった。それくらい嬉しかったんだ。
 エレンが一番懐いているのはどう見ても俺だったが、やはり普通、ガキってのは母親を最も強く慕うものなんじゃないのか? その中でエレンは俺の名前を最初に覚えて、最初に呼んだ。
 以降もエレンは父より母より、圧倒的に多く俺を呼ぶ。舌っ足らずな声で「りばしゃ」「りばしゃ」と。たぶん俺が家で母親から「リヴァイさん」と呼ばれているのが原因で、兄ではなく「さん」付けで呼ぼうと頑張っているのだろう。かわいい奴だ。しかし兄とも呼ばれたい。そのうち教育しようとひっそり誓いつつ、「りばしゃ」と呼ばれて頬が緩む。
「り、しゃ……りばしゃ……」
 むにむにと口を動かしつつ小さな声を出したエレンは現在絶賛お昼寝中だ。
 休日、昼食を終えて一時間程度構ってやっていると、まだまだ起きていたいのに眠気には勝てないと言った風情でエレンの瞼は閉じてしまった。俺はその小さな身体を専用のベッドに運び、同じ部屋で椅子に座って本を開く。こいつが起きたらまたすぐに構ってやれるように。
 すやすやと眠るエレンの可愛らしい寝言を聞きながら俺は己の口角が僅かに上がるのを自覚した。
 夢の中でもこいつは俺の名前を呼んでいるんだから、これがニヤけずにいられるか。腐れ縁のハンジが見れば大笑いを通り越してドン引きしそうだなとは思いつつ、それでも顔の筋肉がゆるゆるになるのを止められない。
 かわいいかわいい、俺のエレン。俺の弟。
 この子が健やかに育つことを俺は心から願う。そのためなら何だってしてやりたいし、それがたぶん俺の幸せでもある。
 俺は全くページの進まない本から視線を剥がし、幸せそうなエレンの寝顔を眺めた。と、そんな時だ。俺の名を呼んでいたはずのエレンが急に「ひぅ」と泣く直前のような声を出して、
「へちょ……ゃぁ」
 何事かを告げたのか、誰かを呼んだのか。幼子には似合わぬ悲痛な声音と共にその閉じられた瞳からぽろりと滴を落としたのは。
「エレン……?」
 どうした。怖い夢でも見てるのか。
「ぃちょ、ぅ、へ、ち……」
 一度こぼれた滴は次々と後に続き、俺はどうしていいか分からずに慌てた。エレンがこんな風に泣いたのは初めてなんだ。
 思わずエレンの身体を揺すって「エレン?」と名を呼ぶ。小さくゆさゆさと揺すっていると、やがて夢から覚めたエレンが涙に潤んだ金色の瞳で俺を見上げた。
「エレン、どうした。怖い夢でも見たか?」
「りばしゃ……?」
「ああ、そうだ。リヴァイだ。俺がいる。怖いものなんて何もないから安心しろ」
「りばしゃ」
 小さな手が精一杯に俺へと伸ばされる。それをしっかりと握りしめ、俺は「大丈夫だ」と繰り返した。
「大丈夫だぞ、エレン」
 そのまま小さな身体をベッドから抱き上げて抱きしめてやる。ぽんぽんと軽く背中を叩いてあやしていれば、エレンもきゅっと抱きついてきた。
「りばしゃ」
「俺がいる。安心しろ」
「あい」
 幼い体温に頬を寄せながら俺はしばらくエレンを抱きしめ続けた。この子が一体何に怯えていたのか知る由もなく。


[3 years old]

 三歳になったエレンは徐々に滑舌も良くなってきて、俺のことを「りばいさん」と呼ぶようになっていた。未だに「ヴァ」の発音は難しいようだが、あいつなりに色々試行錯誤はしているらしい。きっとそのうち言えるようになるだろう。
 と言うわけで……と続けて良いのかどうかはさて置き。そろそろ俺のことを兄と呼んでくれても良いのではないだろうかと思って、早速そう教え込んでみることにした。
「エレン」
「はい! りばいさん!」
 名前を呼ぶだけで相変わらずエレンは素早い反応を示す。何をしていてもそうだ。こいつの中で俺はかなり優先順位の高い存在らしい。
 エレンはとてとてと短い足でリビングの一角から俺が座るソファに近寄ってくる。こちらを見上げる金色の目が「どうかしましたか? なんですか?」と訴えかけてきた。
「エレン、お前は俺の弟だな?」
「はい」
「つまり俺はお前の兄だ」
「はい」
 疑問を挟む余地もなく即座の肯定。そういやこいつが俺の言葉を否定したことも一度としてなかったな、と思う。まぁ今の兄弟云々のところで否定されでもしたら俺は相当ヘコむ自信があるが。
「俺のことを兄と呼んでみないか」
「りばいさん?」
「そうじゃなくて、……まぁ、なんだ。兄ちゃんとかリヴァイ兄さんとか」
「りばいさん、オレににいさんってよばれたいですか?」
「まぁな」
「わかりました!」
 本当に迷う暇も何もない。俺がそう望んでいると答えた瞬間、エレンは頭を縦に動かしていた。


[4 years old]

 家では丁寧語だからてっきり外でもそうなのかと思っていたら、エレンの奴、幼稚園じゃ普通に同年代と同じ喋り方をしていやがった。
 大学に進学した俺は時間割の関係で高校の時よりずっと早く帰れる日ができた。よって幼稚園が終わる頃にエレンをほとんど待たせず迎えに行くことが可能だ。
 そんなある日、早めにエレンを迎えに行った俺が見たのは、同い年のガキ共と砕けた口調で話し、遊んでいる弟の姿。「エレン、てめぇミカサのこととってんじゃねーよ!」「うるせぇよジャン! べつにとってねーし!」と馬面のガキと口喧嘩らしきものをしている。ミカサというのは近所に住むアッカーマン家の一人娘のことだろうか。
 わいわいぎゃあぎゃあと騒ぐエレンは可愛らしいが、金の眼がこちらを見ていないことにチリチリとした痛みのような違和感を覚える。それを振り払うように俺は弟の名を呼んだ。
「エレン! 迎えに来たぞ」
「にいさん!」
 ジャンとやらの喧嘩をぶった切り、エレンが身体ごとこちらを向く。それだけで胸の痛みが取れてしまった。
 エレンはあっさりと喧嘩を終了させて先生方や友人達に別れの挨拶をした後、全速力で俺の所にまで駆けてくる。
「おまたせしました!」
 幼児のくせに丁寧な喋り方や言葉を知っているのはテレビの影響なんじゃないかと思う。流行のドラマどころかアニメすら見ないくせに、エレンはよく国営放送的某チャンネルを見ているから。まぁ目の輝き方から察するに、一番好きなのは頻繁に見ているニュースではなく自然科学系の番組らしいが。海とか本当に好きだよな。ともあれあの番組もナレーションは丁寧語だったか。
「にいさん?」
 ぼうっとしていた俺の傍らでエレンが小首を傾げる。それに何でもないと告げて小さな手をすくい上げるようにして握った。
「帰るか」
「はい!」
 エレンの手はいつも綺麗だ。何故ならスモックのポケットにいつも除菌ティッシュを入れているので。ちなみに俺の指示じゃない。この年齢ですでに俺と同じ潔癖性なのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。ただ、俺が触れるところは綺麗にしておきたいようだった。たぶん俺が潔癖性だって何となく感じ取って、そうしてくれているのだろう。
 なお、自慢混じりに同じ大学に進んだハンジにそう明かしたところ「変な子だね」と真顔で返されたのでとりあえず殴っておいた。察しの良い子だと言え。クソメガネめ。


[5 years old -side:E-]

 リヴァイ兵長が……いや、この世界ではリヴァイ兄さん、かな。
 オレは五歳で、兄さんは二十歳になっていた。兄さんはまだあの壁に囲まれた世界の記憶を思い出さない。オレはそのことに心底ほっとしている。
 死んだと思った自分に再び意識が戻ってきた時、ぼんやりとしか見えない視界でオレは必死に周囲を探ろうとしていた。そんな時に聞こえてきたのはあの人の、リヴァイ兵長の声。記憶よりも大きな――正確に言えばオレが小さかっただけなんだけど――彼の指を一生懸命に握りしめて、オレはリヴァイ兵長の名を呼ぶことに必死になっていた。ああ、生きてる。この人が生きてオレの名前を呼んでくれる。それがたまらなく幸せだったんだ。
 それからオレと兵長が兄弟という関係にあると知ったのはかなり早い時期だったように記憶している。あの人に記憶がないと分かったのも。それでも人の性質というのは変わらないようで、オレは生前――で良いのかな?――非常に迷惑をかけたこともあり、なるべくこの人の負担にならないよう努めてきたつもりだ。潔癖性も相変わらずだった。むしろあの頃より掃除やら除菌やらの道具が豊富にある所為でそれは悪化していたように思う。でも小さなオレの世話をしてくれる時は汚いものにだって触れてくれていたから、やっぱり兵長は兵長なんだなぁと思った。この人、基本的にすごく優しいよな。
 託児所を経て幼稚園に入ると、あの世界で同期だった奴らにも会えた。あいつらにも記憶はなくて、でもやっぱり根本は同じで。ジャンは突っかかってくるし、ミカサはよく構ってくるし、アルミンは相変わらず物知りだ。まぁ物知りってことに関してはオレだってこの世界を理解するためにニュースを見たりとかしてたけど。
 そういや兄さんを兄さんと呼ぶようになったのは幼稚園の年中組だったかな。それまでは兵長って呼ぶのもおかしかったから、母と同じようにリヴァイさんと呼んでいた。でもあの人が望むなら兄さんって呼ぼうと思って、そう直した。憧れの人を兄さんと呼ぶなんて少し恥ずかしかったけど、そう呼ぶと嬉しそうにしてくれるから、恥ずかしさなんて途端にどこかへ飛んでいく。
 人類最強だとか兵士だとか、そういう重荷を背負っていない兄さんは、前の世界よりもよく笑う。仏頂面は相変わらずだけど、それでも表情筋は少しだけ仕事をするようになっていた。良い傾向だと思う。
 あんなつらい世界のことなんか忘れて、この人にはずっと笑っていてほしいから。
 そのためなら何だってするさ。あの人が笑ってくれるなら何だって。オレにできることなんて高が知れていて、どうせ笑わせるというよりも迷惑をかけないということくらいでしかないだろうけど。
 最期≠ェあまりにもあんまりな終わり方だったから。せめてリヴァイ兵士長からリヴァイ兄さんになったこの人には今度こそ幸せになってほしい。それがただ一人記憶を持って生まれてきたオレの役目かな、とも思う。
 リヴァイさんはオレみたいにあの世界の夢を見て泣かなくていい。天敵も戦争もないこの世界で普通の人として幸せを掴んでくれ。
 小さな身体でオレは願う。そしてきっと、一生をかけてそう願い続けるんだろう。



















[xxxx years ago]

 壁の外にいた全ての巨人を絶滅させた。通常の人間と同じ思考を保ったまま巨人化する能力を持つ人間も。
 ただ一人壁内で生き残っているのはこの壁の中の世界で初めて公式に確認された巨人化能力を持つ少年兵、エレン・イェーガー。しかし彼もまた平和の礎として処刑されることが決まってしまった。脅威が失われた世界にはもう、それらに対抗するための力は要らないのだと。
 数多の反対の声が上がったが、それと同じだけエレンを恐れる声もあり、世界の意志は少年の処刑へと傾いた。
 その処刑人となったのは少年の上官であり監視者であった『人類最強』の名を冠する兵士。処刑当日、彼は普段通りの仏頂面で処刑台の上のエレンを見下ろす。
「気分はどうだ」
「よくありません。ですが、これもまた必要な演出だと理解しています」
 いつかの台詞によく似た言葉を吐いてエレンは泣き笑いのような表情を浮かべる。
 死にたくはなかった。けれど死ぬしかないということを少年はどうしようもなく理解していた。この上官が手を下してくれるのも、彼が最も苦しみの少ない方法でエレンを殺せるからだ。それはどうにもならない状況で唯一上官がエレンのためにしてやれることだった。
「……最後までご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「チッ、バカなこと言ってんじゃねぇよクソガキ」
 答えながら、よく研がれた超硬質スチールの刃を柄にセットしてすらりと引き抜く。太陽の光を反射して薄い刃は目を焼くほど眩しく光った。
 この上官と自分との間にあるものをエレンは上手く言葉で言い表せないままここまで来てしまった。でもきっと言葉にしなくて良かったのだと思う。明確な言葉にすれば、そこに意味が宿る。意味が宿れば執着が湧く。それでは死ねないし、きっとこの人にも必要以上につらい思いをさせてしまう。エレンはもう、この人に自分を含めた他人の思いを背負わせるなんてことはしたくなかった。最後の巨人まで消えようとしている今、この上官はそろそろこれまで背負ってきた重い思い達を降ろしても良い頃だろう。
 キスをした。身体を繋げたこともあった。潔癖性のこの上官が他人に触れるという意味をエレンはそれなりに理解している。エレンにとっても、たぶん、この人は特別だった。
(でも、もういいから)
 自分はもう終わってしまう。だからもういい。あとはこの人の幸せだけを願いたい。いや、欲を言えばこの人を筆頭とする大切な人達みんなの幸せを願いたい。
「リヴァイ兵長、お願いします」
「……ああ」
 エレンは顔を伏せて目を閉じたため、そう答えた時の上官の顔を知らなかった。そうして、どんな顔なのかな、と想像するよりも前に刃が振り下ろされ――






「あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああああ!!!!!」

 誰かが叫んでいる。無論、首を切り落とされたエレンではない。
 聞き慣れない叫び声だと思ったが、それはその人が叫ぶところをエレンが一度として見たことがなかったからだ。
 ぞっとするほど美しく鮮やかに首を身体から切り離されたエレンは、恐ろしいことにまだ意識があった。ああやっぱりオレって化け物なんだ、と思考する傍らで、その叫び声が耳に入ってくる。
(へいちょう……?)
 少しだけその声の人物について思考を割いたエレンはそう答えを出した。兵長が、あの人がこんなにも悲痛に叫んでいる。幸せになるべき人がどうして最後の巨人を殺した後に嘆かなくてはいけないんだ。
 エレンは切り離されたはずの首のままでうっすらと目を開けた。視線の先には両膝をつき、頭を抱えて嘆いているあの人。その瞬間、エレンは上官と目が合った。エレンの金色の双眸と目が合った上官はぴたりと嘆きの声を止め、それから小さく笑う。
「エレン……」
 なんですか、へいちょう。
 声を出すまでの気力はない。それどころかようやく死ねるのか、エレンの意識はどんどん遠くなっていく。
 上官はエレンの首を切り落とした半刃刀身を持ち直し、そっと己の首筋にあてがう。え、とエレンが思った直後、彼は刃を大きく動かした。

「こんな世界じゃ生きていけねぇよ」





















[15 years old]

 エレンが十五歳になったその日、俺は全てを思い出した。
 口元をそっと緩ませて「嗚呼」と吐息を零し、小さな笑みを浮かべる。

「この世界なら生きていけそうだ」






五年の軌跡と十五年目の奇跡







2013.08.20 pixivにて初出

とあるツイートで5RTして頂いたので5歳児エレンを書こうとしたのですが、どうせ書くならばということで0歳児から始めてみました。平和ボケしてる兵長がエレンにデレデレです(笑)