カラフルなスイートピーの花束を抱えて、青年は崖の上に立っていた。下方から波の音が聞こえ、潮風が頬を撫でる。
 崖と言ってもあまり高さはなく、夏になれば近くに住む子供達が度胸試しを兼ねてここから水の中へ飛び込んで行く程度だ。そして少し視線を下げればエメラルドグリーンの海が広がる。風は穏やかで、白波もほとんど立っていない。まだ少し肌寒い季節だが、陽の光は暖かく、こうして花束にしたスイートピーも綺麗に咲き誇っていた。
 青年は僅かばかり風に乱された黒髪を手櫛で直し、片腕で抱えるカラフルな花束からステラと称される全体的に白く中央だけクリーム色になった花を一本抜き取る。そして、ふわりと海へ投げ入れた。
「マルコ、お前ほど指揮官に向いてるやつはいなかったって今でも思うよ。一度くらいお前の指揮で戦ってみたかった……それが叶わなくてもお前が指揮してる姿を見てみたかった」
 次に青年が花束から抜き出したのは先の一本とは少しだけ異なる色合いの、けれど同じ白い系統のスイートピーが二本。ただし一方はシンプルな形で、もう一方はエレガンスホワイトと呼ばれる花びらにボリュームがあるものだ。
 青年はその二本を一緒に海へ投げ入れる。
「グンタさん、エルドさん、ペトラさん、オルオさん。オレが選択を間違えた所為で皆さんを失ったことをオレは一生忘れることができません。正直言ってとても辛いです。でも、たった一ヶ月でしたけど、あなた達に出会えて、一緒に生活することができて、そして守られて……。オレは確かに幸せ者でした」
 二本の白いスイートピーが海へと消えていった後、青年は一本、また一本と、誰かの名前を口にしながら花を海へ投げ入れていく。呼ばれる名前は様々だ。あまり関わる機会のないまま終わってしまった先輩、三年の月日を共に過ごした同期、その他青年が関わった沢山の人々。
 だがその手が一度だけ止まった。青年は金色の双眸を一度閉じて深く息を吐き、
「ベルトルト、ライナー、アニ……」
 再び瞼を上げた青年は花束からワインレッドとブルーのグラデーションを描くスイートピーを抜き取った。
 そうして、眉尻を下げた歪な微笑を浮かべて花を思い切り放り投げる。だが重さのない花は投げた勢いに反してふわふわと海へ落ちていく。
「オレはお前らがやったことを許せない。お前らはオレの大切な人をたくさんたくさん殺した。でも……でももう全部終わっちまったから、一応言っとく」
 花を投げて空っぽになった片手を握りしめて青年は穏やかな風と小さな波の音にすらかき消されそうなほどの声音で告げた。
「オレ、お前らと訓練兵団で過ごした毎日が嫌いじゃなかったんだぜ」
 告げた途端、ザアッと逆向きの風が起こる。それまで海側から吹いていた穏やかな風が一瞬だけ青年の背後から少し強めに吹き、黒髪や手に持ったまだ沢山の花を揺らした。
 海側から風が吹き続ける時間帯と陸側から風が吹き続ける時間、そしてその合間の風がぴたりと止む凪の時間があることを青年はこの地に来て初めて知ったが、今はまだ風の向きが変わる時間帯ではなかったはずだ。
「……、なんだよ。お前らもオレに言いたいことがあるのか?」
 応えはない。だが青年は肩を竦めて再び海へ花を投げ入れる作業を再開させた。
 手に取ったのはピンクがかった薄紫のスイートピー――アーリーラベンダー。「あの人の色って感じじゃないんだけどなぁ」と苦笑しつつも青年はそれを手から離す。
「エルヴィン団長、オレはあなたが失った腕に見合う働きができましたか。あなたの意志の――決意の強さは化け物と呼ばれたオレですら少し怖いくらいでした。オレ、アルミンみたいに頭が良いってわけじゃないからあなたの考えてることなんて欠片も分かってなかったと思いますけど……オレはあなたが望んだ『人類の希望』足り得たでしょうか。きっとあなたがいなければオレは今ここに立てませんでした。小さな頃からの望みを叶えられませんでした。あなたがどういう考えでオレに接していたのか今になっても全然分かりませんが、あなたの存在には本当に感謝しています」
 そしてアーリーラベンダーの次に花束から抜き取ったのは、先程よりもずっと濃く鮮やかなピンク色のアーリーピンク。
「ハンジさん、オレが知る中であなたほどぶっ飛んでいて変人の呼称が似合っちゃう人はいませんでした。でもあなたほど巨人としてのオレと真剣に向き合おうとしてくれた人もいませんでした。巨人が好きになるくらい巨人を憎むって、一体どれくらいの憎悪だったんですか。オレは憎んだり戸惑ったりするばかりで、あなたの域にまでは到達できませんでした。でもそれはあなたがいてくださったからなのかなって思います。オレだけじゃない。みんな巨人が怖くて憎くて、でもそれだけじゃ前に進めない。あなたはみんなが越えられない一線を越えて、オレ達が前へ進む道を切り開いてくれた。団長もそうですけど、ハンジさんも本当になくてはならない人でした」
 青年が抱える花束にはまだ沢山の、そして色とりどりのスイートピーが花を咲かせている。だが青年はこれまでと同じようにそこから一本抜き取るようなことはせず、花を束ねていたリボンを解いてしまう。
 しゅるりとサテンのリボンが青年の指に摘まれて風に踊る。そのまま、青年は花束を宙へ投げた。
 戒めから解かれた花達は海へ落ちながらばらばらと大きく広がっていく。白、青、紫、ピンク、それに黄色や緑、グラデーションの有るもの無いもの、花びらの多いもの少ないもの。
 多種多様な花が風に舞うのを眺める青年は、その花と同じくあらゆる感情を抱くようにぎゅっと眉間に皺を寄せ、
「オレはあなたと出会った時のあなたと同じ年になりましたよ。ここまで生きて、ずっと見たかった壁の外の世界を見ました。自由を掴んだんです――……リヴァイ兵長」
 解けた花束の中からひときわ大きく色鮮やかな一本が姿を現した。しかしそれはスイートピーではない。淡い色合いのスイートピーの中から出て来たのは、たった一本の赤い薔薇。
 それを見つめる青年は泣き笑いのような顔をして言葉を続ける。
「あなたが守って、あなたが導いてくれた自由です。あなたがいなければオレは何もできずに人間の手で殺されていた。あなたはオレの意識を服従させることは誰にもできない――巨人なんか関係なくオレはそういう意味で化け物なんだと言いましたね。でも、その意識の化け物はあなたという存在がいなければ死んでいたんです。あなたという存在が意識の化け物の生存を許し、守ってくれた。そのあなたにオレは精一杯の敬意と感謝を。そして」

「愛しています。心から」

 当時は一度も口にしなかった、それどころか自分の中に生まれた感情にすらろくに気付かぬ子供だった青年は、ようやく告げてそっと目を閉じた。

* * *

「エレンせんせー!」
 自分を呼ぶ声がして、青年――エレン・イェーガーは背後を振り返った。金色の双眸がその視界に映したのは、こちらに駆けて来る黒髪黒目の少年の姿。年は十二だったはずだ。
 そばかすの散った柔らかな雰囲気の少年は、隣にやって来るとエレンの腕を取って微笑んだ。
「先生、アルミン先生とミカサ先生が探してましたよ。そろそろ買い物に行こうって」
「あ、もうそんな時間か」
 エレンは少年の頭を撫でながらそれを教えに来てくれた子供に礼を言う。
「ありがとう、マルコ」
 少年はエレンの記憶にある訓練兵団入団当時のマルコ・ボットに瓜二つだった。だがエレンと共に学んだマルコは十五という年齢ですでにこの世を去っている。
「他のみんなは? もう家(ホーム)で出かける準備完了しちまってる?」
「いえ、エレン先生を迎えに行くんだって……ここが先生のお気に入りだってみんな知ってるから、たぶんもうすぐここに来ると思います」
 そしてエレンの問いに答えるマルコには己が目の前の大人と同期だったような気安さはない。エレンを目上の者として認識し、そのように接している。それが現状を説明する全てだった。
 これを転生と言うのかどうかエレンには分からない。しかしエレンとミカサとアルミンがこの土地で作った家(ホーム)にやってきた子供はマルコと同じ姿で、同じ名前を持っていた。
 これが彼一人だけに該当することならば、エレンもただの偶然だと判じたかもしれない。しかし――
「「「「エレン先生ーっ!」」」」
「グンタ、エルド、ペトラ、オルオ! こらー、こっちに向かって走っちゃだめだろー! 危ないから!」
 ぱたぱたと四人一緒に駆けて来たのは、こちらもエレンの記憶にある、しかしエレンの知らない年の頃の子供達だった。
 そう、エレンを守って死んでしまった先輩兵士だった人達――グンタ・シュルツ、エルド・ジン、ペトラ・ラル、オルオ・ボザド。まだ十一歳の彼らは無邪気な笑顔でエレンに駆け寄り、注意を受けても楽しそうに抱きついてきた。
「やっぱりここだった! エレン先生みーけっ!」
「ふん、俺の推測は大当たりだったってことぐへっ!」
「おーい、オルオ大丈夫か?」
「また舌噛みやがって。これでペトラがエレン先生に頭撫でてもらってなかったら追撃の一言が来てたな」
 エレンがペトラの頭を撫でている間にグンタとエルドはそう話し、呆れたように笑っていた。家(ホーム)には別々の時期にやってきたと言うのに、この四人はすぐ仲良くなって、今ではいつも一緒に行動している。まるでリヴァイ班のようだと、エレンは幼い彼らの関係を眩しそうに眺めた。
 マルコもそうだが、彼らは皆、孤児だ。そうなった理由は様々だが、親のいない彼らはエレン達を先生と呼んで親代わりとし、海が近いエレン達の家(ホーム)ですくすくと育っている。
 そしてエレン達が育てる子供はこの五人だけではなかった。
「エレン!」
「やっぱりここだったんだね」
 現れたのは黒髪の美しい女性と金髪をのばして一括りにした男性。エレンと同じように年月を重ねたミカサとアルミンだ。
 その二人の周りにはペトラ達よりも幼い子供達が集まっている。そして誰も彼もエレンの知る人物の面影を宿し、またその人達と同じ名前を持っていた。
「ミケ、モブリット、アニ、ライナー、ベルトルト……ああ、他のみんなも。迎えに来てくれたんだな。ありがとう。……あれ? エルヴィンとハンジは?」
 エレン達の家(ホーム)で最も幼い二人の姿が見えず、エレンはミカサ達が来た方向に目を凝らす。彼らは大人のエルヴィンとハンジがそうであったようにとても聡明だったが、まだ十歳にもなっていない幼子だ。家(ホーム)からここまで大した距離はないが、何か危ない目にでも遭っていないかと心配になる。
 だがそんなエレンとは対照的にミカサはふてくされた表情を、アルミンは苦笑をそれぞれ浮かべる。
「ミカサ? アルミン?」
「……」
「あのね、エレン。僕らの家に家族が増えそうだよ」
「へ?」
 アルミンの言葉にエレンは首を傾げる。が、その意味はすぐに分かった。
「あっ……」
 ミカサやアルミンの後ろからようやく姿を現したエルヴィンとハンジ。その二人が手を引いて連れて来たのは、まだ片手の指の数で収まりそうな年齢の、黒髪と三白眼気味の青灰色の瞳をした幼児。
「エレン先生、さっき家(ホーム)の近くでこの子を見つけました」
「リヴァイって言うらしいよ!」
 エルヴィンとハンジが順に告げ、かつての人類最強と同じ名と目をした子供をそっと前に出す。
 エレンはその場に両膝をついて子供に視線を合わせた。
「君がリヴァイ?」
 こくん、と子供の頭が動く。
「オレはエレン。エレン・イェーガー」
「えれん?」
「そう、エレンだ」
 エレンは頷いて両手を伸ばす。
「おいで、リヴァイ」
 小さなリヴァイはとてとてと可愛らしい足音でエレンに近寄り、その腕の中に収まった。エレンの胸に抱かれて安心したようにほっと息をつく。
「今日から君もオレ達の家族だ」
「かぞく?」
「一緒に幸せになるんだよ。……今度こそ」
 そう微笑んで、エレンはリヴァイを抱いたまま立ち上がる。これから夕食の買い物だが、この小さな子供を片腕に抱いていても荷物持ちの役目は全うできるはずだ。リヴァイは急に変わった視線の高さに驚いたようだが、エレンの頬にぺたりと小さな手を触れさせて安堵したように僅かにはにかんだ。
 沢山の子供達、そして大切な二人の家族と親友に囲まれてエレンは歩き出す。
 巨人のいなくなった世界に生まれ、巨人との戦いの記憶などない真っ白な子供達。そんな彼らに幸せな日々を送ってほしくて、もしくは一方通行の感謝の言葉しか告げることができないあの人達≠ニ同じ顔と名前の子供達に自分が受けた恩を返したくて。エレンは慈しみを込めて笑みを浮かべる。
「さあ、行こうぜ」







2014.02.05 pixivにて初出


蛇足(設定とか)

 エレンさん三十代なう。でも巨人の呪いなのか兵長パワーなのか何故か見た目が若いので「青年」表記。
 巨人絶滅済みだけど壁内には住まわせてもらえず、壁外生活十四年目くらい。アルミンとミカサもエレン壁外追放についてきちゃいました。
 ちょっとずつ壁外で生活する人も増え始めている。
 最初はアルミン&ミカサと海に近いところに家を建てて住んでいましたが、小さなマルコを筆頭に続々と孤児を拾うようになって、いつの間にやら孤児院状態。ちなみに子供達は死んだ順番で転生しているので、早く死んだ人ほど年上。
 このあとエレンがちょっとしたことで頭に怪我をして、実は軽傷なのに意外と血が出ちゃって、それを目にした転生チビ達が驚いたショックで記憶復活。そしてチーム「身体は子供、頭脳は大人」VSチーム「昔は子供、今は大人」のエレン争奪戦が勃発します。なお、チーム内での紛争もアリ。

 あと、スイートピー各種の花言葉も一応!
 スイートピー(ステラ)…見守る心⇒マルコ
 スイートピー(白)…優しい思い出・スイートピー(エレガンスホワイト)…小さな喜び⇒グンタ、エルド、ペトラ、オルオ
 スイートピー(スイートメモリーブルー)…ほろ苦い思い出⇒ベルトルト、ライナー、アニ
 スイートピー(アーリーラベンダー)…感謝⇒エルヴィン
 スイートピー(アーリーピンク)…追求心旺盛⇒ハンジ
 ※花言葉は情報元によってガラッと変わったりするので、ここに記載しているのはその一例と言うか、この物語用とでもお考えくださいませ^^

お粗末様でした!