子供はリヴァイが言いつけておいた草むしりを途中で放り出し、まだまだ草が青々としている地面にぺたりと座り込んで何かをしているようだった。偶然見かけたその様子に元々良くなかったリヴァイの機嫌が更に降下する。
 こちとらやりたくもない書類をさんざん捌いてきた後だぞオイ……と心の中で唸りながら、現在の滞在場所である古城の中庭へと足を向けた。
 ザクザクと足音や気配を隠しもせず大股で進む。こちらに背を向けているエレンは、しかし何事かに夢中になっているようで全く気付いた様子がない。ここまでくると、むしろ何をそんなに熱心になっているのかと少しばかり気になってしまう。……だからと言ってこれから行おうとしている躾を止める気は無かったが。
「おい、エレンよ。てめぇ何をしている?」
 軽く左足に重心をかけていつでも蹴りを放てる体勢に。しかし上官に声をかけられることでようやく気付いた新兵がびくりと肩を揺らしてこちらを振り向いた瞬間、リヴァイは思わず呆気にとられた。
「お前、本当に何してんだ」
「っ、へい、ちょう……」
 未だ地面に座り込んだままこちらを振り返ったエレン・イェーガーの唇からひらりと鮮やかな花弁が剥がれ落ちる。胸の前に掲げられた両の手のひらにも色とりどりの花が存在していた。それらは全て古城の中庭に咲いていた野花だろう。周囲を見渡すまでもなく、視界の端には緑の雑草に交じって小さな花がたくさん顔を覗かせていた。
 ごくりと何かを飲み込む音がする。リヴァイのものではない。エレンの喉がかすかに上下していた。さて、彼は一体何を飲み込んだのか。リヴァイが声をかけるまで一心不乱に集め、咀嚼し、そして今飲み込んだものは一体。
 金色の双眸はまん丸に見開かれてこちらを見上げている。
「え、と。これは」
「腹が空いているならペトラ達に言え。いくらなんでもその辺に生えている雑草を食うな」
 世の中には食べられる花も存在するが、この辺に咲いているものがそれに当てはまるとは限らない。それに何より水で洗った気配もないそれらをそのまま口にしているという事実が、綺麗好きを通り越して潔癖症の気があるリヴァイにとって非常に許容しがたいものだった。
 エレンがいわゆる育ちざかりだということくらいリヴァイにも解っている。腹が空いたならば夕食時まで飲まず食わずで待てなどと非常時でもないこの時に言うはずもなく、当然のことながら共にこの城に滞在している他の四人もリヴァイと同様だ。
「それとも何か? 巨人はその辺に生えてる花でも食って生きてんのか?」
 巨人研究に没頭しているハンジが聞いたならば嬉々として真相を調べそうな冗談半分の台詞をリヴァイは口にする。が、エレンはその言葉に対して真剣な顔で首を横に振った。どうやら花を食べることは異常であると理解しつつも、その異常と巨人化を結び付けられて更に異端視されるのを厭ったらしい。
「巨人化の影響ではない、と思います。その、ガキの頃からずっとなので」
 今でも十分お前はガキだろうが、という台詞は心の中に留めておくとして。なるほどどうやらエレンは異食症の類なのかもしれない。リヴァイも詳しいことは知らないが、本来食べ物ではないものを好んで食べるとは、そういうことだろう。
 他人の好き嫌いをうるさく言うつもりはないが、それでもその辺に生えている雑草を口に運ぶのはいただけない。特にエレンはリヴァイの監視対象である。常に行動を共にする相手が誰が踏んだとも知れない地面に近いものを口にしているというのは、リヴァイにとってあまり気持ちの良いものではなかった。
「エレンよ、もうその辺の花なんか食うな。汚ねぇ」
「う」
 上官の潔癖具合はすでにエレンも知るところであり、そう言われる原因も良く理解しているらしい新兵は一瞬言葉に詰まり、それからこくりと頷いた。
「了解、しました」
「ならいい。もし腹が空いて何か食べたくなったってんなら、花じゃなくてちゃんとした食い物にしろよ」
「はい」
 しっかりとした応答と共にエレンが手に持っていた花を地面に落とす。それを見たリヴァイは満足し、草むしりの続行を言いつけてその場から離れた。休憩ついでに班員の誰かを見つけて、今後エレンの食事量を少し増やすよう命じるつもりで。


 エレンが異食を控えるようになってから数日後。
「あら? エレン、全然やけてないのね。……と言うより白くなってる?」
 日中、立体機動装置での訓練を終えてエレンがジャケットを脱いで汗を拭っていると、近付いてきたペトラがシャツから覗く肌色を見て小首を傾げた。
 やはり女性らしく肌に気を使っているペトラは他人のそういうところにも目が行くのだろう。尋ねられたエレンは外での訓練や掃除を繰り返しても黒くならない――むしろ彼女の言う通り日に日に白くなっていく――己の腕を一瞥して苦笑を浮かべる。
「新陳代謝が良いのかもしれませんね」
 心当たりがあるものの、それは告げず。適当に誤魔化して、エレンはカーキ色のジャケットを着込んだ。


 本日の夕食係であるペトラがその場を離れた後、今度はエルドが傍に寄ってきた。とは言ってもただ単に雑談をするためではない。訓練の後はエレンとエルドが古城の周辺を掃除する係になっていたためである。
「さってと。ほんじゃ、兵長に一発合格もらえるよう頑張りますか」
「はい!」
 まだそれなりに高い位置にある太陽の下、エレンが頷いた。黒髪が頭に合わせて動くのがエルドの視界にも入り込む。が、そこでエルドはふと違和感を覚えた。
(あれ? こいつってもっと髪の毛黒くなかったっけ?)
 ひょっとして太陽光の下にいるから茶色く見えているだけなのだろうか。
 淡い髪色を持つエルドにとってリヴァイやエレンのような黒髪の方が実は魅力的に見えるため、この新兵の髪もこっそり気に入っていた。しかし今、その髪の色がやや淡くなっているように思えて、違和感が胸の中に生まれる。
「太陽の所為か……?」
 さんさんと降り注ぐ太陽光にやや目を眇めて独りごちた。
「エルドさん? どうかされましたか」
「いや、なんでもない」
 不思議そうな顔をするエレンにエルドは首を横に振る。数日前まで黒かった髪が急に茶色がかってくるなんて有り得ない。きっと太陽の光の所為だろうと思い、エルドはそれ以上気にすることなく黒髪の新兵を連れて目的の場所へと足を向けた。


 更にその数日後。
 ちょっとした書類の作成作業があり、オルオとエレンが同じ机に向かう機会があった。オルオがふと紙面から顔を上げた時、ちょうどエレンと目が合い、「あ? 何見てんだ……」と言ったところで言葉が途切れる。
「オルオさん?」
 どうかしましたかと小首を傾げる新兵に、オルオは「おい、エレン」とその名を呼んだ。
「お前、なんか目の色が薄くなってねえか?」
 そう言いつつも、オルオ自身そんな馬鹿なとは思う。しかし少々不躾なくらいじっと見て確かめてみても、やはりこの古城にやって来たばかりの頃と比べてエレンの金眼がやや薄くなっているような気がした。
 エレンの瞳は王族や貴族が好むような黄金と同じ色。そのはずだったのに、二つの黄金が今はギラついた輝きをひそめ、ひっそりと輝く黄水晶になっていた。特別作戦班に囲まれた古城での生活に慣れてきたがゆえの心境の変化でそう見えただけかとも考えたが、それにしては明らかに色が薄くなっているような気がするのだ。
「つーか……」
 エレンの瞳以外に、オルオは新兵の頭のてっぺんから足の先まで眺めて告げる。
「全体的に色が薄くなってるんじゃねえか?」
「そ、んな、ことは」
「あるだろ。同じだけ外で掃除やら訓練やらしてんのに、今のお前、ペトラより色白だろうが。しかも髪だって茶色くなってる」
「……」
 観念したようにエレンは吐息を零した。おまけに「やっぱりそろそろバレますよねぇ」などと呟いている。
「どういうことだ」
 問い詰めると、新兵は淡く苦笑して答えた。
「昔からの体質なんです。別に活動には影響しませんし、もちろん巨人化も関係ありません。若干他人より色が薄くなるんですけど、治し方も判っているので兵長やハンジ分隊長に何か言われたらすぐ対処します」
 ただ一概に関係ないだとか問題はないだとか言われたならばオルオも反論しただろう。しかし尊敬するリヴァイの名が出たことでそれは抑えられた。リヴァイ(やハンジ)が何か言えば対処すると答えたのだから、その下であるオルオがとやかく言うことではできない。それにエレンが言った「別に活動には影響しません」というのはこれまでの訓練等の様子から事実であると思えたし、また口にはしないがオルオは古城での生活の中でこの巨人化できる特殊な子供を信じるようになっていたので。
 もしエレンがどこか不調そうであれば気付けるように、しばらくは今まで以上に気にかけるようにしておこうと密かに決めながら、オルオはひとまず「そうかよ」とだけ答えて再び書類に視線を落とす。
 そのうちエレンもまた会話が終わったことを察して、紙にペンを走らせる音が聞こえてきた。オルオがその内容をチェックして普段通りに(舌を噛みつつ)誤りを指摘するのは、それから約十分後のことである。


 その日、所用で昨日から本日の昼まで古城を離れているリヴァイの代わりにグンタが地下室で眠るエレンの枷を外す係になっていた。
 グンタはカンテラを手に窓のない地下室へと階段を下りていく。
「エレン、起きてるか?」
「あ、グンタさん?」
 はっきりとした声が聞こえたので、どうやらエレンはすでに起床済みだったようだとグンタは判断した。
 カンテラの明かりで向こうからこちらの姿を見ることができても、まだグンタから見たエレンの姿は闇に沈んでいる。「今、カギ外してやるからな」と言いながらベッドのある方に近付いて行ったグンタは、

「えれ、ん……?」

 黒髪金眼であったはず≠フ新兵の姿を見て息を呑んだ。
「お前、その姿はどうした」
「え? ……ああ、もうこんなに」
 グンタが手にした明かりに照らされてエレンが自身の姿に視線を落とす。服装は昨夜と変わらない。けれどもベッドの上で鎖に繋がれた少年の肌も髪も白く、それどころかグンタを見上げて眩しさに細められた双眸すら金ではなく銀色をしていた。
 今にも消えて無くなってしまいそうな色彩の子供は、それでも色に関すること以外はいつもと変わらぬ様子で笑ってみせた。
「さすがにこれはちょっと変わりすぎですよね。兵長にもご報告差し上げたいので、ひとまず枷を外してもらえませんか?」


 エレン・イェーガーから色が抜け落ちた。
 古城に戻ってきて最初にグンタからそう聞いた時には思わずもう一度聞き直してしまったが、部屋に連れて来られた新兵の姿を目にしてリヴァイはようやくその意味を理解する。
 確かに言葉通り、エレンからはたった一晩で色と言う色が抜け落ちていた。
 黒かった髪は純白に。
 相応にやけていた肌も同じく。
 そしてエレンを最も印象付けている強い意志が込められた双眸は金から銀へ。
 これまでエレンの肌が白かったり髪が茶色っぽくなっているような気がしていたものの、人間の色素が急に抜けるなどあり得ないという思い込みの所為で、ほとんど気にしていなかった。しかしこの一晩での劇的な変化はどんな鈍感野郎であっても気付くはずだ。
 色が抜けた以外は特に不調も何もないらしい普段通りのエレンにリヴァイは待機を命じ、次いでグンタに本部から共に古城まで来ていたハンジを連れてくるよう言った。すぐさまグンタが部屋から出ていく。
 二人になった部屋でリヴァイは半分独り言のように尋ねた。
「どうしてそうなっている? 巨人化が影響してんのか?」
「いえ、これはオレの生来のものです」
 その言い方にリヴァイはふと少し前の庭でのことを思い出す。草むしりの途中で花を食べ始めたエレンの姿のことを。そう言えば、あの異食も巨人化には関係なく元々の性質だと言っていたような気がするが……。
「まさか花を食うのをやめた所為か?」
 冗談九割でリヴァイはエレンに問いかけた。するとこちらの予想に反してエレンは銀色になった双眸を大きく見開く。
「すごいです兵長! こんなに少ない情報で判ってしまうなんて!」
「……は?」
 目が点になった。
 いやいやちょっと待ってくれと表情には出さないまま内心で慌てる。
「本当、なのか」
「はい。オレ、花を食べないと身体からどんどん色が抜け落ちていくんです。だから生まれて少し経ってから乳離れするまではずっと今みたいに真っ白だったって両親も言ってました」
 有り得ないとは思うが、どうやら事実らしい。
 リヴァイを真っ直ぐに見据えるエレンの銀色の双眸に偽りの気配は無く、また現にこうしてエレンの色は抜け落ちてしまっている。「治るのか?」と恐る恐る問えば、「花を食べればすぐに」と返された。
「色以外で変化はないのか」
「経験上、ありません。過去にも何度かこうなりましたが、体力や視力が落ちるという事態にはなりませんでした」
「そうか」
 と言うことは、本当に異常が出ているのは身体の色に関することのみ。しかもその辺に生えている野花を口にするだけで治ってしまうのだという。
 色が抜けたエレンを見て当然リヴァイ班の者達は驚いたし、体調がいつも通りであってもやはりどこか心配してしまうだろう。また古城内だけならばいいが、外に出てこの真っ白な姿を他者――もっと詳しく言えば憲兵団とか憲兵団とかウォール教信者とか王政府関係者とか憲兵団とか――に見られてなんやかんやと口出しされても困る。
 が、だからと言って己の班のメンバーがその辺に生えている草をもぐもぐと食べる姿はリヴァイにとってあまり受け入れたいものではなかった。
「……」
「あの……兵長?」
「エレン、しばらく待っていろ。俺は出かけてくる。不在の間にハンジがごねても実験はさせるなよ。一般的な身体検査までは許すが」
「え?」
「返事は」
「は、はい!」
 ビシッと心臓の上に右の拳を当てるエレンを一瞥し、リヴァイは足早に部屋を出る。「どちらへ行かれるんですか?」という問いかけにリヴァイは一瞬だけ足を止め、ぼそりと小さな声で答えた。
「ここから一番近い花屋だ」


 エレン・イェーガーは困惑していた。
 リヴァイが部屋を出て行ってすぐにハンジがやって来て色が抜けた身体にさんざん騒がれたものの、それに関してはやや疲れただけで驚きや困惑は無い。けれどもそれが終わった後、馬を飛ばして帰ってきた上官が持っていた物にエレンは驚きを隠せなかった。
「あの、兵長……これは」
 目の前に差し出されたのは色とりどりの花で作られた巨大な花束。赤、橙、黄、紫、白、桃、それに黒まである。とにかく色を集められるだけ集めましたと言わんばかりの花束を受け取りながら、エレンはそれを差し出してきた上官を見る。
 上官は相変わらずのしかめっ面を保ったまま「食え」と告げた。
「え?」
「だから言ってるだろうが。食え。そんでさっさと色を元に戻せ」
「え、でも……いや、その。どうしてわざわざ」
 リヴァイがしたいことは解った。けれどもそれならば彼がわざわざ町まで出かけて花を購入せずとも、エレンへの異食禁止令を撤廃するだけで良かったのに。しかしエレンがそう告げると、リヴァイは眉間に皺を刻んでエレンをねめつけた。そして、彼曰く、
「汚ねぇだろうが」
 だそうだ。
 リヴァイの潔癖具合をよく知るエレンはただ単にそういうものかと納得する。そして受け取った花束から無作為に一本の花を抜き出した。それは真っ赤な薔薇の花で、花弁を一枚食んで飲み込めば、真っ白だった頬にふわりと赤色が戻った。
 その変化の一部始終を見ていたリヴァイが思わずと言った様子で呟く。
「悪くない」
「兵長?」
「いや、なんでもねぇ。とりあえずそれ食ってさっさと元に戻れ。わかったな?」
「はい! 了解しました」
 片腕に花を抱えたまま敬礼する新兵を眺め、リヴァイは満足そうに頷いた。


 以降、古城の近くにある町では定期的に人類最強の男が花屋で巨大な花束を購入する姿が見受けられるようになる。
 その男はとある新兵の事情を知る他の者達が花を買いその新兵に与えるのを禁止し、己のポケットマネーで購入した花のみを新兵に食べさせた。理由は他の特別作戦班メンバー他諸々に要らぬ負担をかけるわけにはいかないというものと、不特定多数の人間から花を与えられるようになってもしものことがあってはいけないからというものだったのだが、それが真実かどうかは不明である。
 今日もまた色が抜け始めた新兵に人類最強の男は花を買い与える。花束から最初に抜き出したのは、いつかの日と同じ赤い薔薇。白い肌となった新兵がそれを胃に収めると同時に淡く色づく頬を見て、男は小さな満足感を覚えるのだった。

 その理由も知らぬまま。







2013.06.30 pixivにて初出

無自覚リヴァエレかなぁ、と。いや未満です未満。すごく未満。時期はエレン初壁外調査までの一ヶ月間かと。エレンに手ずから花を食べさせる兵長が書きたかったのですが、着地点を間違えました。