人類最強と謳われるリヴァイ兵士長を慕い、憧れる兵士は多い。だが皆が皆そうあるわけではなく、無関心な者や、更には彼を厄介者だと思い害そうと考える人間も存在している。
調査兵団の代表の一人として立つリヴァイの存在を邪魔だと感じる別の兵団や中枢に居座る者しかり。また同じ調査兵団所属であっても、リヴァイの才能に嫉妬し、彼の兵士に接する態度が好ましくないとおかしな恨みを抱く者しかり。 けれども基本的にそうやってリヴァイを嫌っている人間が彼に直接手を下すことは無い。百年ぶりに巨人の脅威を思い出した人類にとってやはり彼は重要な戦力であったし、正当な理由もなくリヴァイに不利益を与えたのが自分だと世間にばれた時のリスクをそれなりに計算できたからだ。 (……ごく稀にその計算ができないヤツもいるけど) エレンは胸中で独り言ち、右足を振り下ろした。腕が折れたボキ、という生々しい音の直後に猿轡の所為でくぐもった悲鳴が倉庫の空気を揺らす。 醜いうめき声をあげた兵士を見下ろしながらエレンは口を開いた。 「大切な人類最強に毒を盛ろうなんて大胆なことしますねぇ。オレ、本当に驚いちゃいました」 声だけはあくまで穏やかに。まるで年上の知り合いに世間話でもするかのごとく、冷たく鋭い双眸とは正反対の声音でエレンは語り掛ける。 「そんなにあの人が憎かったですか? 気に食わなかったですか? そりゃまぁあの人も色々と行き過ぎたところはありますけど、貴方がそんなことをする権利はありませんよね? ああ、それとも……」 エレンは折った相手の腕をまだ踏みつけた格好のまま――否、それどころか更にぐりぐりと足に体重をかけながらコトリと小首を傾げた。 「逆、かな」 人類最強と謳われるリヴァイ兵士長を慕い、憧れる兵士は多い。そして敬愛過ぎるが故に間違った方向――彼を己だけのものにしたいと思う者もいないわけではなかった。それこそ毒殺してでも他者と彼の接触を絶ちたいと思うほど。 今回の毒殺未遂の首謀者がリヴァイを嫌悪する側か、はたまた敬愛する側か、エレンは知らない。それにどうでもいいと思っている。どちらにせよこの男はエレンの唯一を害そうとした。重要なのはこの事実だけ。今のエレンを創ったカミサマ≠害そうとする者は、人間であろうと巨人であろうと同じことだ。絶対に許さない。必ず排除する。 宗教の概念などエレンはほとんど持ち合わせていないが、たまたま古い書物で知った情報――自身の唯一絶対をカミサマ≠ニ表現する方法は嫌いではない。ウォール教の壁を信奉する気持ちよりもずっと解りやすかった。 ともあれ、まずはこの愚か者への対処である。 エレンは一度だけゆっくりと瞬きをする。そして再び瞼の奥から金色の瞳が現れた時、穏やかな声音も、それを吐き出していた緩いカーブを描く口元も、全て瞳と同じ質感に変化していた。 「大丈夫だ、今ここで殺したりなんかしねぇ。オレにそんな権利は無いし、無茶をすればあの人に迷惑がかかるから。……あの人が触れる食器に毒を付けようとしたのはオレが気付いちまったから未遂。一応物的証拠も揃えてあるが、兵法会議にかけたって精々が投獄だろうな。しかも一生もんじゃない。そして下手をすれば投獄どころか開拓地送りで決着がつく」 冷たい声ではあったが生命を保証する台詞に、足の下で自分の倍の年齢の男の身体が情けなくもほんの少しばかり硬直を解く。 そんな変化に肩を震わせそうになりながら、エレンは「だから」続けた。 「今回の件が公になることはない。そうなる前にアンタは次の壁外調査で死ぬんだ。死因が巨人によるものか、それ以外かはオレも知らないけど」 びくりと踏みつけている身体が大きく震える。 次の壁外調査は一週間後――この男の腕が治っているはずもない。そんな状況で過酷な戦地に駆り出されればどうなるか。基本的に調査兵団の壁外調査は巨人に遭遇せず先に進むこと≠優先されているが、巨人と全く遭遇しないなんてことは有り得ない。それにもしこの男が運良く巨人と遭遇しない場所に配置されていたとしても、 「オレはこれから団長の所に行って長距離索敵陣形の班構成について最後の確認をしてきますね。必要ならオレはメンバーの戦力が足りない所≠ノ配置換えしてもらおうと思うんです」 にこり、と脅える男に微笑んだ。 金色の双眸が笑みの形に歪んだままギラギラと輝く。 「楽に死ねると思うなよ」 「あっれ〜、エレン? こんな所でどうしたの?」 「ハンジさん、こんにちは」 兵舎の裏側――あまり人の寄りつかないボロボロの倉庫がある方向から同僚の大切な子供が歩いてきた姿を視界に入れて、近道をしようとそこを通っていたハンジ・ゾエはひらひらと挨拶代わりに手を振った。軽いそれに対し、歩いてきた子供――エレン・イェーガーはわざわざ立ち止まって敬礼までしてみせる。 「害虫駆除です。あ、でも兵長には言わないでください。こんな所に虫が出たって知られたら、壁外調査前なのに余計なことで気を揉ませることになっちゃいます」 浮かんだ微笑みは年相応のやわらかなものだ。しかしそれを真正面から受け止めたハンジは隠された真意を正確に読み取って苦笑を浮かべる。 「わかった。リヴァイには内緒ね」 エレンと同じ内面を見透かせない笑みを浮かべてハンジは頷いた。 「あ、そうだ。害虫に関しては私の班が後処理しておくから、君は団長に話をしたら部屋に戻って良いよ」 「はい、ありがとうございます」 「どういたしまして。まぁそれくらいじゃこの前のお礼にはまだまだ足りてないけどね」 非公式の巨人捕獲作業を暗に指してハンジはウインクを一つ。それからエレンと別れ、目的地をエレンがいた倉庫へと変更する。 ひとまず中を確認した後、信頼できる数名の部下にそれ≠運ばせようと思う。きっとエレンは一週間後の壁外調査を実行日≠ニするだろうから、その時まで逃げないように、また死なないように管理しなくてはならない。 (営倉は……うん、今は誰も使ってないからちょうど良いかもね) 防音に優れた壁の厚い部屋があるのを思い出しながらハンジは口の端をゆるりと持ち上げる。 そして、これから確認する害虫≠ノ向けて――。 「ダメだよぉ。私の大好きなあの子をあそこまで怒らせるなんて」 「リヴァイじゃないけど、躾が必要かな?」 「なぁ、俺のエレンは可愛いだろう?」 来週に控えている壁外調査の班構成に変更があった。それは当然のように『兵士長』たるリヴァイにも伝えられるべき情報である。たとえその変更が調査兵団のトップ、エルヴィン・スミスによるものだったとしても。 そしてエルヴィンが己の執務室に呼んだリヴァイに変更内容を記載した書類を渡したところ、文面を確認したリヴァイは、く、と小さく喉を鳴らしてそう笑ったのだ。 書類に記載されていたのは、長距離索敵陣形にてリヴァイと正反対の位置に配置されていたエレン・イェーガーと中央後方にいたある兵士が揃って左端へ変更になったこと、および彼らの配置変更に伴うメンバーのちょっとした移動について。陣形の訓練のこともあるのでこの時期の配置変更はあまり褒められたことではないのだが、今回動かされたメンバーは一人を除いてどの位置にいても実力を発揮できる者達であったため大きな問題にはならない。 しかしそれがリヴァイを笑わせる理由になどなるはずもなく。 「昼飯が終わってすぐにどっか行ったとは思ったが、まぁ何と言うか……こういうのも悪くない」 「育ての親には全てお見通しと言うわけか」 「俺が親かどうかはさておき、あいつのやることはいつだって俺の理想だから推測はしやすいな」 願望をそのまま現実として認識すればいい、とリヴァイは告げ、手に持った書類をぴらぴらと振る。 「俺の悪口か何か言った奴……いや、あいつの姿が見えなくなったのは昼飯の後だったから、メシに毒でも盛ろうとしたか? その犯人を私刑(リンチ)したんだろ。つってもあいつが俺の庇護下で人殺しなんざ簡単にするとは思えねぇ。俺に*タ惑がかからないようにもっと上手くやるはずだ。それこそ壁外調査みてぇな人が簡単に死ぬ場所を利用するとか」 「まったく……」 エルヴィンは大仰な仕草で肩を竦めた。 「それがお前の願望ということか? お前にちょっかいをかける輩には番犬のごとくあの子が対処する、と」 「あいつは俺のものだからな。それくらいは俺が止めろと言っても止めねぇさ。もちろん最初からそんな馬鹿なことを言うつもりは無いが」 口角を僅かに上げてリヴァイは部屋に設置されているソファへどかりと腰を下ろす。脚を組み、再びエルヴィンに向けられた青灰色の瞳には隠しきれない愉悦が浮かんでいた。 「な? 可愛いだろう? 拾ったばっかの時は巨人を駆逐することしか頭になかった奴がようやくここまで考えて行動するようになったんだ」 エレンの後見人はエルヴィンが務めているが、実際にエレンを育てて鍛えたのはリヴァイである。エレンを作り変えた創造主はその出来栄えに満足げな顔をした。 その顔を見てエルヴィンは、そういえば、と以前読んだことがある過去の資料のことを思い出した。 残虐性ゆえに民衆には公表されていないが、この人類最後の砦の中には壁外追放という刑がある。ただ首を切り落とすのではなく、巨人に食われて惨たらしく死ねという死刑よりも厳しい刑≠セ。エレンが意図したかどうかはさておき、百年以上前から行われているその刑に今回の件は少し似ているような気がした。 エレンにとってリヴァイを害することはただの死刑では償えないほど重い罪なのかもしれない。エルヴィンの目の前で僅かに笑うこの男はそれすら分かった上で喜んでいるのだろうか。 一応、エレンが提案してきた配置変更に関して事情を察したエルヴィンがそれを許可したのは、一個旅団分の働きをするリヴァイ兵士長の周囲を綺麗≠ノするのは理に適ったことだから、ということにしている。しかしながらそれは理由の半分に過ぎない。 (私が後見人をしている可愛い子供が珍しく我侭を言ってくれたんだ。叶えてやりたいと思うのは当然だろう?) 切り捨てる時にはどんな大切なものでさえ切り捨てられる人間だからこそ今の地位にいるエルヴィンだが、そこまでする必要がない時はそれ相応に寛容な態度を取ることもできる。それが二年前にやって来たあの子供に関することなら尚更。 つまりそれくらいエルヴィンにとってもエレン・イェーガーという子供は可愛く思える存在なのだ。そしてエルヴィンはそんな子供の所有権を目の前で他人に主張されるのを好むような人種でもなかった。 「リヴァイ」 極悪そのものな顔で嬉しそうにしている部下の名を呼ぶ。 「古い書物によると全知全能の神という存在が人間を作り出したものの、その人間は結局、神を裏切ってその元を去ることになったらしい。お前が育てたあの子はどうなるだろうな」 これは軽いジョークであり、かつ完全なる嫌がらせだ。禁書扱いの本――と言っても実はちゃっかりとそこの本棚に収まっているのだが――から得た知識を使ってエルヴィンはリヴァイをからかってみた。 さて、この男はどんな反応をするのだろうか。 少しばかり焦ってくれれば良かったのだが、しかし残念なことにエルヴィンの希望は叶わない。 「はっ。そもそも俺があいつを手放すはずがねぇし、もしあいつが俺から離れようとしたならその時は――」 今のエレン・イェーガーを作り上げた男はエルヴィンの言葉に込められた意味を正確に読み取り、あくどい顔のまま宣言する。 「枷を付けて鎖で雁字搦めにしてどこにも行かせねぇよ」 「……あの子も厄介な男に捕まったものだな」 「褒め言葉として受け取っておく」 男はニヤリと笑い、ソファから腰を上げる。話は終わりだ。 もう確認などすることもないだろう書類を一応は手に持ってリヴァイはエルヴィンに背を向けた。部屋に戻ればきっと愛しのあの子供がリヴァイを出迎えるのだろう。 「羨ましいことだが、成り代わるのは少々骨が折れるな」 何せ二人はいざという時に鎖で繋がれるほど相思相愛なので。 そう独り言ち、エルヴィン・スミスは肩を竦めた。 アウルム アキエース
(847年) 2013.06.02 pixivにて初出 |