「ジジィー。命令通りF‐5地区の国境付近に入り込んでた奴ら全員片付けてきたぜ」
「奥村准尉。何度も言っていますが、己の上司のことはきちんと『藤本少将』と」
「相変わらず藤本中尉はお堅いな。ジジィ本人が許してんだから別にいいじゃん。つーか俺がダメならシュラの『獅郎』呼びだってダメだろうか」
「霧隠少佐にも申し上げていますが一向に聞き入れていただけないんですよ」
 少し苛立ったように黒縁眼鏡の青年はそう返す。
「ともかくこれは上官である僕からの命令です。少将のことはきちんと階級をつけて呼びなさい」
「へいへい」
「返事は『はい』で結構。もしくは『Yes, sir.』です。解りましたか? 奥村准尉」
「いえっさー」
 うんざりとした表情を隠しもせずに青年・奥村燐は額に手をやって敬礼の姿勢をとった。
 艶のある黒髪に透き通るような青い瞳。年の頃は十代後半といったところで、この極東連合軍の中では准尉の地位を戴いている。その青い目に映されているのは燐と同じ年頃だがずっと落ち着いた雰囲気を纏った眼鏡の青年、名を藤本雪男という。彼の方は燐より階級が二つ上の中尉で、両名の直属の上司である藤本獅郎少将の補佐官をしていた。
 藤本獅郎少将は二人のやりとりを慣れたように苦笑を浮かべて眺めた後、任務を終えて無事帰還した燐に上司としての言葉をかける。
「任務ご苦労、奥村准尉。報告書は期限までに提出するとして、今日はゆっくり休むといい」
「はっ! ありがとうございます」
 雪男に対するだらけたものではなく、きっちりと背筋を伸ばし改めて敬礼の姿勢をとる燐。そんな燐の様子に雪男は複雑そうな顔をしながらも、上司に対するものとしては問題がなかったためにぐっと口を噤んだ。
 しかし彼の折角の我慢は、燐ではなく己の上司が放った言葉によって呆気なく崩れ去る。
「で、燐。お前本当に怪我とかしてねーよな?」
「おう。あったりまえだろー。俺を誰だと思ってんだ」
「奥村准尉! それに少将まで!」
 燐だけでなく獅郎までもが気安く会話を始めたのだ。雪男がただ一人「職務時間中ですよ!」と注意しても聞き入れようとはしない。二人揃って「雪男は(藤本中尉は)お堅いよなー」と声を合わせるだけである。
「中尉も別にいいじゃねーか。この執務室には俺達しかいねえんだし、しかもジジィはお前の親父だろ?」
「そうだぞー雪男。血は繋がっていなくとも俺はお前の父親なんだからな。こういう時くらい肩の力を抜けって」
「繰り返しますが、現在は職務中です」
 きっぱりとそう言い切った雪男に燐と獅郎の両名はがっくりと肩を落として溜息を吐く。
「なあジジィ。アンタが育てたのになんで藤本中尉はこんなにお堅いんだ?」
「あはは。反面教師ってやつかもな」
「そこの二人。本人の前でそういう会話は控えてください」
 若干口元をヒクつかせつつそう告げる雪男に二人は慌てて口を閉じた。雪男はそんな二人を眺めて小さく溜息を一つ。
「それでは奥村准尉。口頭での報告がなければこれで退室を。藤本少将は溜まっている書類の確認をお願いします」
「げ、マジかよ雪男。燐、お前、俺を手伝ってくれたり……」
「しねーよ。つか俺に書類整理は無理。ってなわけでじゃあなー」
「ッ、奥村准尉! 退室の際は少将に敬礼を!」
「Yes, sir.」
 雪男に言われて燐は再び敬礼。「これで失礼します」と告げて二人の藤本に背を向ける。
 燐の姿が消えた後、雪男は疲れたように肩を落とした。
「まったく……奥村准尉は僕が何度言っても態度を直そうとしない」
「いいじゃねえか。仕事はきっちりこなすんだし。むしろ俺はお前の方が心配だよ。ちゃんとガス抜きできてっか?」
「僕は大丈夫ですよ」
 眼鏡の奥で緑がかった青い瞳を眇め、雪男は己を心配してくれる上司にして養父でもある獅郎に微笑みかける。が、その微笑みもすぐに消え去り、息子ではなく部下としての顔で雪男は言葉を重ねた。
「少将、貴方は奥村准尉に甘過ぎです。貴方の弟子としても有名な霧隠少佐ならまだしも、階級が離れすぎている奥村准尉にあの態度はいかがなものかと。下の者にも示しがつきません」
「わかってるって。だから他の奴らの前ならちゃんと振る舞ってるだろ?」
「僕も貴方から見れば下の者≠ネんですけどね」
「お前は俺の息子じゃねえか」
「……」
 だから何も問題ない、と付け加える養父に雪男はこめかみが痛くなるのを感じた。それと同時に腹立たしさも。
 一見すれば、この状況は権力を持った父親が(決して悪くない意味で)息子を優遇しているように思えるだろう。しかし真実は違う。獅郎は確かに雪男を大事にしているが、それと同時にただの部下の一人でしかない燐を同じくらい優遇しているのだ。
 大切にするのは別に構わない。誰を可愛がろうがそれは獅郎の自由だ。雪男もこの年で養父が他人に目をかけているからといって苛立つほど子供ではないつもりである。しかし雪男が問題視しているのは獅郎に可愛がられている燐の姿勢だった。
 燐は獅郎の好意に甘えて自由奔放に振る舞っている。名を呼ぶ際に階級を抜くのは当たり前。上官を上官とも思わない――それこそ近所のおじさんか親戚にでも話しかけるような――態度が日常的。外ではちゃんとやっているのだと言うこともあるが、どうせ期待はできないだろう。あの調子ではいずれ獅郎に迷惑をかけるに違いないのだ。いや、ひょっとしたら雪男の与り知らぬところで既に迷惑をかけているかもしれない。
 敬うべき相手を敬いもせず、相手に降りかかる迷惑を考えもせずに振舞う燐。そんなものは軍の規律以前に人としてどうかと雪男は思う。
 養父であろうとも仕事中は上司部下として接する己とは全く正反対だ。いくら任務成功率が同じ階級の者達より高くとも、そんなものでは補えないほど雪男から見た燐は人間失格だった。
「…………少将、どちらへ?」
 獅郎が席を立つ音で思考の海から戻った雪男は上官の背中と机の上に築かれた書類の山を見比べて低い声を出す。
 並の部下なら身を凍らせるようなそれも、しかし獅郎には効果がない。彼は雪男を振り返ることもなくヒラヒラと手を振って「便所だよ、便所」と部屋を出る。
 一人残された雪男は本日何度目か判らない溜息を吐き出してからじっと扉を睨みつけた。
 脳裏によぎるのは先刻出て行った上官ではなく、その彼と己の部下である青年の黒髪と青い瞳。妙に鮮明に覚えているその姿に雪男は舌打ちをして小さく吐き捨てる。

「僕は君が嫌いだ」






バ ビ  ン







2012.03.04 pixivにて初出

こちらの雪男は燐と一緒に育っておりません。そして燐が気に食わない。それって恋だよ!って誰か教えてあげて(いやいや、まだ違うよ!?)
ミーシャといい、ウチの雪男くんは兄さんと一緒に育っていないと基本的に好感度マイナスから始まりますね(笑)