それは本当にたまたまだった。
中学を卒業してすぐ、まだ桜の蕾が堅く閉じている頃のこと。 道端で声をかけられてまた喧嘩かと思い振り返れば、立っていたのは予想していた不良どもと全く違うスーツ姿の大人達だった。 一度だけ写真を撮らせて欲しいと言われ、特に何も考えずに頷いた。 その辺で一枚パシャリといくだけかと思いきや、それからあれよあれよと話が進み、気付けば写真撮影用のスタジオに立っている自分がいる。しかし本当にこの一回だけと言われたので、ほんの数時間をその大人達に言われるままカメラを睨んで過ごした。 撮影が終わると労をねぎらう言葉と過剰にも思える賞賛の声。それからモデルをしてくれた分の謝礼と言って白い封筒が渡された。今回撮影した写真が何に使われるのか、それが掲載される雑誌名も教えてもらったのだが、そういったことは全て忘れる以前に覚えられなかった。 本当にただそれだけの、実は本人すら忘れていたことだったのだが……。 □■□ 「お前、塾に来て何見とんねん」 「まぁまぁええやないですか、坊。まだ授業始まってませんのやし」 勝呂のジト目に堪えた風もなく、志摩は机の上に広げた雑誌のページをペラリとめくった。 祓魔塾の教室にまで来て志摩が見ているのは週一で発行されるマンガ雑誌―――ではなく、全ページフルカラーのファッション誌だった。しかも、 「なんで女性向けなんや……」 「これも女の子と仲良ぉなるための手段ですて。今の女の子がどんなもん好きで、どんなもんに興味を持ってはんのか調べんのには、こういうのが意外と役に立つんですよ」 「志摩さんホンマに女の子のことばっかりですねぇ」 勝呂だけでなく子猫丸までもが思わず呆れた声を出す。志摩はそんな反応も笑って流し、また一枚ページをめくった。 軽い口調で言ってみたが、本当にこういう雑誌は女の子の中の流行を知るには有用なのだ。基本的に流行というものは消費者が作るものではない。メーカーつまり作り手や、こういう広告を出す会社が作るものなのだ。ゆえにファッション誌の一冊二冊に目を通しておけば、これからの女の子達との会話にも余裕で付き合うことができる。 服にアクセサリーに髪型、そして化粧品。自身の好みはさておき、次はこれかと思いながら目を通していた志摩だったが、 「……っ」 楽しむためではなく調べるために見ていたはずの雑誌の一ページに目を奪われる。 それは服やアクセサリーの特集コーナーではなく、ごくごく普通の広告ページだった。色使いも他より抑え目……と言うよりほぼモノクロである。色が付いているのは二つだけ。口紅の広告らしくモデルの口唇と、こちらを睨み付けるような強い視線を放つ青い双眸―――。 「どないした、志摩」 息を呑んで動きを止めた幼馴染に勝呂が問いかける。だが勝呂の目はまだ雑誌のそのページを捉えてはいない。正面からモデルの顔をアップで撮影した、まるで引き込まれるようなそれを。 (なん、や。これ) ただの写真にここまで目を奪われたことなど無かった。 美醜を語る前にまず圧倒され、引き込まれる。 どこかの大きなメーカーが有名写真家と有名モデルを引っ張ってきて撮影したのだろうか。しかし志摩はこの広告のモデルに心当たりがない。ここまで凄いモデルならもっと有名だろうし、志摩がその名を耳にしてもおかしくないだろうに。 (いや……なんや。ちがう。この顔、どっかで見たことある……?) じっと写真を見つめ、志摩は喉の奥に何かが引っかかったような違和感を覚えた。 知らないはずの、けれど知っているような顔。その奇妙な感覚に眉をしかめ、次いでこっち方面には疎いだろう勝呂や子猫丸にも一応訊いてみようと雑誌を持ち上げる。 「坊、子猫さん。この写真なんやけど―――」 「おーっす」 「あ、燐! 今日はちょっと遅かったねぇ」 志摩が二人に問いかけたタイミングで教室の扉が開いた。入ってきたのは祓魔師を目指す同期で、いつも肩に剣らしきものを引っかけている少年、奥村燐。 燐がやって来たことで先に席に着いていたしえみが柔らかな笑みを浮かべる。燐もそれに答え、今度は青い双眸が志摩達を捉えた。その視線を受けた志摩は、 「あ……」 勝呂達に見せるはずだった雑誌を皺が寄るほど強く握りしめ、下がり気味の目を大きく見開く。 「志摩?」 「志摩さん?」 「ん? どうした志摩」 勝呂、子猫丸、そして燐にまで心配されるが、志摩自身はそれどころではない。 燐を凝視し、それから己が持っている雑誌を見直し、再び燐を見つめて志摩は叫んだ。 「奥村くん、モデルやってはったん!?」 そうして志摩が掲げた雑誌のページを見た塾生達が彼と同じ表情を浮かべたのは言うまでもない。 □■□ とある雑誌の広告を無名のモデルが飾ってすぐ、雑誌を出している出版社と広告の商品を扱う化粧品メーカーに電話が殺到した。 あのモデルは一体何者だ、と。 しかし出版社もメーカーもモデルの素性を一切明かさない。すると今度は正体不明のモデルについて様々な憶測が飛び交い始めた。男だと言う者がいれば、女かもしれないと異を唱える者もいる。CGで作られた人間だとも。年齢、国籍、人種。その全てが謎に包まれた、一枚の写真のモデルは――― 「これはどういうことかな? 兄さん」 現在進行形で、双子の弟に正座を強いられていた。 普段は服の中に隠している黒い尻尾も塾生のいない自室では外に出されている。が、今は床にへちょりと力なく這っていた。 対して雪男の方は燐の前で仁王立ちになり、その手には一冊の雑誌。開かれているのは件の広告が載っているページである。 「いつ頃撮ったの」 「えっと……二、三ヶ月くらい前?」 「どうして」 「ど、どうしてって……スカ、スト? ストックされたから?」 「……スカウトされたからって言いたいんだね」 「そうそう、それ! スカウトされたんだ! 歩いてたらいきなり!」 だから俺は悪くない! つかせめて正座はもう辞めてもいいだろ!? と続ける兄に雪男はぴしゃりと「だめ」と言って質問を重ねた。 「それで、この写真で何枚目? どうせ他にも撮ってるんだろ」 この写真に写っている表情からは、とでもじゃないが素人には思えない。きっとスカウトされたのは大分前で、雑誌の広告になったのが二、三ヶ月前のものだと兄は言っているのだろう。 そう思い、雪男は問いかけたのだが―――。 「へ? それが最初で最後だけど」 「……は?」 きょとんとして答える兄に弟の方が言葉を失う。 「だーかーらー! それが最初で最後だって。中学卒業してすぐに声掛けられて写真撮ってハイ終わり。連絡先はケータイ持ってなかったから修道院の番号教えたけどなんかマズかったか? あ、あと名刺はもらったけど、そっちも修道院に置いてきちまったから今すぐ出せって言われても無理だぞ」 兄にしては事情をすらすら語れて偉いと思う一方で、雪男は痛むこめかみに手をやった。 知らない人にホイホイついて行っちゃいけません。まぁおそらく燐は第六感と言うか野生の勘と言うか(その頃はまだ覚醒していなかったが)悪意を感じ取る悪魔的な習性か何かで、声を掛けてきた人物を信用したのだろうが。それでも、だ。 「あのね、兄さん。これは本来もっと小さな子供に言い聞かせることなんだけど―――」 そう雪男が同い年の兄に説教しようとした時。 「あ、メフィストからだ」 兄の携帯電話が着信を告げた。さすがに理事長兼支部長からの電話を無視するわけにもいかず、雪男が一度だけ頷いて燐の指が通話ボタンを押す。 「もしもし? なんだよメフィスト」 『いやぁ、随分面白いことになっているようですので☆ その件で少し理事長室にお越しいただきたいのですが』 「今すぐ?」 『そうですね。今すぐ』 携帯電話から漏れ聞こえるメフィストの返答に雪男の顔が歪む。しかし繰り返すようだが相手は理事長兼支部長である。そう易々とは逆らえない。 「兄さん、今すぐ行きますって答えて」 「ん。……ああ、メフィスト? うん、今すぐ行くから。雪男も一緒でいいのか?」 『結構ですよ。ではお待ちしております』 通話が終了して携帯電話をポケットに突っ込む兄を眺め、雪男は決して小さくない溜息を吐いた。 あの道化のことだ。きっとろくでもないことに違いない。 「あなた方のご実家から電話がありまして。奥村くん、この写真を撮った事務所から修道院の方に連絡があったそうですよ。君を正式に雇いたい、とね」 そう言ってメフィスト・フェレスが掲げたのは、やはり燐が写っている化粧品の広告ページである。 「修道院の方々は奥村先生の携帯にもご連絡しようと思っていたそうですが、私から一度に話した方がいいと思ったので今回は控えていただきました。ですから奥村先生、ご自分の携帯を睨むのはやめてください☆」 相変わらずの飄々とした態度でパチンとウィンクまで決めるメフィスト。雪男はげんなりとしながらも己の携帯電話をポケットに落とした。 小型便利機器を持つ代わりに眼鏡のフレームを軽く押し上げ、雪男は告げる。 「そのお誘いは勿論却下です。兄は学生であり、祓魔師になるため勉強中なのですから。そんな余裕はありません」 「奥村くんが学生であるのはあちらも承知しているそうですよ。まぁ祓魔塾の方は知らないでしょうが、それも放課後は塾に通っていると言えば問題ありません。塾で習っている内容にまで興味はないでしょうから。と言うことで奥村くん、学生兼モデルなんていかがですか?」 「おいこらこっちの話聞いてたかピエロ」 「休日にモデルのバイトですよ。お給料も結構良い感じですし」 「聞けよ! あと兄さん! 電卓の数字見てぐらぐら揺れない!! お金なら僕が何とかしてあげるから!! 欲しがってた食器洗い機もスチームオーブンも買ってあげるよ!!」 「これだから金のあるブラコンは」 「黙れ愉快犯!」 ぼそりと呟くメフィストが上司ということも忘れて、雪男は思わず銃口を向けそうになった。実際には人差し指をビシリと突きつけただけだが。 「まあまあ落ち着いてください、奥村先生。決めるのは貴方のお兄さんです」 「まるでご自分が正論を吐いているような顔をしないでください。と言うかフェレス卿、貴方それでも兄を祓魔師にする気があるんですか」 「勿論ありますとも!」 「じゃあ……」 「ですが」 雪男の言葉を遮って逆接の接続詞を使用したメフィストはニンマリと口元を引き上げて告げた。 「私は面白いことが大好きなんですよ☆」 「ですよね。……さあ兄さん、帰ろう。モデルの話は当然却下ね。ただでさえ兄さんは塾の授業について行けてないんだから」 メフィストの笑顔にこちらも形だけの笑顔を返し、雪男は兄の手を取って理事長室を出ようとする。しかしスムーズに動くはずだった足は腕にかかる力によって止まらざるを得なかった。 雪男は己が動けない原因もとい動かない燐を見て「兄さん?」と呼びかける。 「早く行くよ」 「なあ、雪男」 「何?」 まさかモデルのバイトするなんて言わないよね? ただでさえ少ない勉強時間が更に少なくなってしまう。って言うか兄さんのあんな写真が世間にこれ以上出回ってたまるか! という本音を隠し、雪男は努めて冷静に兄と相対した。 「どうしたの?」 「あのさ」 燐の青い双眸が雪男を映す。真っ直ぐに相手を見つめる瞳はにこりと細まり、 「バイトの給料が出たらお前の好きな魚で何か作ってやるからな。俺だってお前に兄貴らしいことしてやりたいんだ」 満面の笑みが雪男の視界と思考を埋め尽くす。 たぶん雪男の兄はチャームとかその辺が使えるのだ。きっと。しかもサタンの血を引くだけあって、虚無界でも一・二を争う高レベルのものを。 だって笑うだけで後ろに花が舞い、キラキラと星が輝くんだもの。 「兄さん……ッ!」 ありがとう、がんばってね! と態度を180度改めた弟は兄にぎゅっと抱きついた。兄はにこにこ笑って「おう」と答え、抱きしめるように腕を回して相手の背中を軽く叩く。 そんな兄弟の姿を眺め、メフィストは口元をひくつかせた。 「あれ? 実は兄の方が弟をしっかり管理できてるんですかね、これって」 オマケ 兄を寮に帰した後、雪男はメフィストと一対一で対峙していた。 「しかしフェレス卿、本当にどうするおつもりですか。兄を……兄は騎士團の武器にする、と」 「まあ安心してください。今回、奥村くんをスカウトしたモデル事務所は――ああ、中学を卒業したばかりの奥村くんに声を掛けた所と同じなんですが――ヨハン・ファウスト五世が買い上げましたから。何かあった時はすぐに対応できるようにね」 「と言うことは―――」 兄がモデル事務所に所属するのは形だけで、今後もきちんと悪魔祓いを勉強していくということか。 そう思ってメフィストに確かめる雪男だが、しかし、あろうことかメフィストは首を横に振った。 「フェレス卿!?」 声を荒げる雪男にメフィストはニヤニヤと笑みを浮かべる。 「だから言ったじゃないですか☆ 私は面白いことが好きなんです。悪魔の最高血統に連なる奥村くんがどこまで人間を魅了できるのか……これを楽しまずして何を楽しめばいいんです?」 やはり相手は悪魔なのだ。そう思わずにいられない、実に楽しそうな笑顔だった。
ブルーアイズ・レッドルージュ
2011.12.04 pixivにて初出 すみませんおふざけです兄さんの魅力が全国規模で広がればいいんじゃないかなって思ってるのを形にしただけなんです続きなんて考えてない。ちなみに燐の悪魔バレ前です。 そんでもって遊戯な王とは何の関係もございません。ございませんったらございません(笑) |