「なんや志摩のヤツ、おっそいなぁ。はよ来ぃひんと授業始まってまうぞ」
「ほんまですねぇ。志摩さん、どこ行きはったんでしょ」
 正十字学園に入学して一日目の午後。入学式を終えた勝呂竜士と三輪子猫丸は自分達と同じく京都からここまでやってきた幼馴染がいつまで経っても現れないため、そわそわと落ち着かない気分で席に着いていた。
 ここ―――祓魔師を育てるための機関『祓魔塾』の教室へは、あらかじめ正十字学園の理事長であり塾の塾長でもあるヨハン・ファウスト五世もといメフィスト・フェレスから『鍵』を渡されているので、迷って辿り着けないということは無いはずだ。鍵穴がある扉に鍵を差し込むだけでこの空間に繋がるのだから。
「ちゃんと教室まで来る言うてはったんですけど……」
 そう子猫丸が呟く。
 入学式が終わった後、志摩廉造を加えた彼ら三人は揃って祓魔塾へ向かおうとしていた。しかし廉造は用があるからと言ってどこかへ行ってしまったのである。「教室にはちゃんと行きますさかい!」と、へらへら笑いで付け加えて。
 そもそも廉造の用事とは何なのだろう。この学園には来たばかりで知り合いすらいないと言うのに。
 同じように心配していても勝呂はイライラと、子猫丸はハラハラと廉造を待っていたのだが、やがて無情にも授業の開始時刻となってしまった。勝呂は小さく舌打ちし、子猫丸は溜息を零す。教室にいた他の塾生達――と言っても、勝呂達を除くと少女が三人と少年が一人という少なさだが――も居住まいを正した。
 チャイムの音が止んで数秒後、ガチャリと廊下に続く扉が開く。カツリと革靴を鳴らして入室してきたのは、祓魔師のコートではなくカソックに身を包んだ壮年の男性。そして、その後ろに続く―――……
「しっ、志摩ぁ!?」
「志摩さん!?」
 ガタガタッと勝呂と子猫丸が驚きに目を見開きながら椅子を蹴り倒した。カソックの男性に続いて入ってきたのが遅刻しているはずの幼馴染だったのだ。しかもその身に纏うのは動きやすさを重視した裾が短いタイプの祓魔師のコートである。
 ピンク頭の幼馴染は驚愕して口をパクパクしている二人に苦笑を浮かべ、ひとまず自分は何も言わずに男性の方を見た。
「慌ててるところ悪いが、まず席に着いてくれ。……それじゃあ仕切直して、入学おめでとう。そして祓魔塾にようこそ、祓魔師の卵達。俺はお前らのクラスの担任になった藤本獅郎。受け持つ教科は対・悪魔薬学で、称号は聖騎士だ」
 獅郎がそう名乗った瞬間、人数が少ないにも拘わらず教室内がザワついた。それもそうだろう。聖騎士と言えば自分達が目指す祓魔師の頂点に立つ男なのだから。
 しかしそのことに驚愕しつつも、勝呂と子猫丸の意識は彼の横に控える廉造に向けられていた。
 そうして軽く名乗り終えた獅郎は、次いで廉造を手で示す。
「そんでこいつは―――「藤本先生、自分で言いますて」
「そうか」
「おん。ほな、失礼して……」
 廉造が一歩前に出る。
「俺は志摩廉造言います。担当教科は剣技を含む体育全般。あと、このクラスの副担任もやらしてもらいます。見て判るかも知らんけど、今日入学式やった皆と同い年や。せやけど祓魔師になったんは十三の時―――二年先輩になるんでよろしゅうな」
 そう言って廉造はへらりと笑みを浮かべた。
 なんか質問ある? と続けられ、真っ先に手を挙げる……のではなく、バンッと激しく机を叩いた勝呂は教室中の視線を浴びながらギリリと奥歯を噛みしめる。
「志摩、これは一体どういうことや」
「いややわぁ、勝呂くん=v
 普段の「坊」呼びではない、この声では耳慣れない呼称に勝呂の眉間の皺はより一層深まった。
 そんな様子に廉造が苦笑を浮かべて「どうもこうも、実は俺もう騎士と手騎士の称号持ってますねん」と答える。
「ま、詳しい話は授業が終わったらさせてもらいますわ。……ほな、授業始めましょか。ちなみに俺、女の子は贔屓するけど男は同郷やろうが何やろうが平等にさせてもらいますんで」
 いっそ清々しいほどにそう言ってから廉造は獅郎を見遣って話の主導権を再び譲った。自分は一歩下がって元の位置に戻り、話はしないが質問も受け付けないという態度を取る。
 これでは元々真面目な気質の勝呂が追求を続けることなどできない。「詳しい話は授業が終わってから」という言葉を信じ、黙って椅子に腰を下ろした。
「んじゃまずは魔障の儀式からいくか」
 勝呂達の着席に合わせて獅郎が口を開く。この場に「魔障」と聞いて首を捻る者はおらず、獅郎は生徒達に予備知識が備わっている様子を満足そうに眺めた。
「よし。この中で魔障を受けたことがない者はいるか? いたらこの場で受けさせるから手を挙げてくれ。それと志摩先生、あいつは?」
「今夜の任務に参加しはる若先生用にメシ作ってから来る言うてましたけど……ああ、もうそこまで来とりますよ」
 ぴくりと何かを感じ取ったように廉造が答えて数秒後、教室のドアが開いた。教室中の視線が一斉に向いたそこには生徒達と同い年くらいの少年が一人。それがまた勝呂や子猫丸の知る人物であったため、二人は再び声を失った。が、一方で廉造がこの場にいるならこいつも一緒だろうと納得もする。
「あ、悪い。遅れた?」
「ちょうどええよ。これから魔障の儀式しよう思ててん。ほな燐、こっち来ぃ」
 廉造はそう言って新たに現れた少年―――燐を教卓の前まで招いた。
 燐がドアから離れて歩き出すとその歩みに従って黒く細長いものがひょろりと続く。燐が何者かを知らない塾生のうち魔障を受けている者は一体何かとそちらに目を向け、黒いものが燐の尻に繋がっているらしいと悟ると目を丸くした。
 ただし一番前に座っている碧眼の少女は相手と既知であるらしく、小さな声で「りんー」と呼びかけながら手を振っており、燐の方も軽く微笑んでそれに答えていたが。
「先生方……その人、悪魔なんですか?」
 塾生の一人でツインテールの少女・神木出雲が恐る恐る獅郎達に問う。
 悪魔落ちか生粋の悪魔かはさておき、黒い尻尾は悪魔の印。しかも人型となればそれ相応の実力を持つ悪魔だ。若干緊張した面持ちの出雲はそれをよく解っているらしく、まだ魔障を受けておらず燐の尻尾が見えない隣の少女・朴朔子が自分から離れないよう手を握っていた。
「神木出雲ちゃん、やんな。安心してええで。燐は悪魔やけど人に悪さしたりせえへんから。なんちゅうても燐は俺の使い魔やし」
「……志摩先生、は、人型の悪魔を使い魔にしているんですか?」
 軽いノリの廉造に対し「先生」と呼ぶのは抵抗があるのか、出雲の声と表情が少しばかり硬い。しかし廉造は気にした風もなく「そうやでー」と答える。
「名前は燐。今日の魔障の儀式はこの燐から受けてもらうさかい、対象者は前に出てきてやー。ほんのちょっと傷付けるだけやけど、女の子はなるべく目立たん所にしょうな」
「じゃあ燐、頼むぞ」
「おう」
 廉造の声で魔障の儀式を受ける者が前に出て、燐は獅郎の言葉に頷きながら彼から渡された消毒用アルコールの脱脂綿で右手の人差し指を拭う。爪で傷―――つまり悪魔からの魔障を付けるのだ。
 順に魔障の儀式を終えて最後に勝呂が燐の前に立つと、燐は小さく苦笑して差し出された二の腕に小さな傷を付ける。
「あーあ。竜士は“きれいな身体”のままでいてくれて良かったのに」
「アホ言うなや。俺の目的知っとるやろ」
「うん。そうだな」
 短い会話を交わし、燐は勝呂に止血用のガーゼを渡してから手を離した。
 勝呂の目的は祓魔師になって己の寺を落ちぶれさせた魔神を倒すこと。そのためには魔障を受けなくては始まらない。両親も燐も勝呂には魔障を受けずにいて欲しかったらしいが、そんな甘っちょろい戯言は受け入れられないのである。
「志摩のこと、後でお前にも聞かせてもらうで」
「覚えとくよ」
 そう言って二人は離れた。燐は廉造の隣へ、勝呂は己の席へ。勝呂の最後の台詞が聞こえていた廉造はへらへらと締まりのない苦笑を浮かべている。
 塾の全員が魔障を受けた今、彼らの目には空中を漂うコールタールや燐の尻から伸びる黒い尻尾がはっきりと映っていた。新しい世界に驚きはしたが、顔をしかめるような恐ろしい悪魔などはおらず――唯一の上級悪魔は燐だけだ――、大きな混乱もない。
「よし。皆が祓魔師になるための最低ラインを越えたわけだが……そうだな、次は質問でも受け付けようか。祓魔師のこと、この塾のこと、何でもいい。訊きたいことがあれば挙手してくれ」
 塾生全員の顔を見渡しながら獅郎がそう告げる。しかし小学校低学年のようにすぐ手が挙がるようなことはない。また訊きたいことが山程あるだろう勝呂は塾が終わってからゆっくり問い詰める気でいるらしく、廉造と燐を一瞥した後は黒板を睨むようにして前を向いていた。
「おーい、なんかねえか? 今なら俺の好きなタイプとかも教えちゃうぞ」
「ジジィそれセクハラになるからやめとけ。こら、れん。お前もなに自分から教えようとしてんだよ」
 二人の講師に使い魔は隠す気もなく大きな溜息を吐き出す。
 聖騎士と、自分達と同年代の祓魔師。その組み合わせに知らず緊張を強いられていた生徒達だったが、燐と彼らのやりとりにほっと肩の力を抜く。そして一人の生徒が手を挙げた。
「おう、神木。何が訊きたい?」
 指名された出雲は手を下ろす代わりにピンと背筋を伸ばして立ち上がり、「先生!」と獅郎に問いかけた。
「この塾に魔神の血を引く悪魔を使い魔にしている教師がいるという話を耳にしたのですが、それは本当ですか」
「おっ、なんだ。入塾一日目でその話まで知ってんのか」
 獅郎の話し方に出雲は「噂は本当だったんですね」と確信する。
 怨敵の関係者がこの学園にいると耳にした勝呂はぎょっとした顔で出雲と獅郎を交互に眺めるが、出雲は気付かず、獅郎は気付いていても軽く笑って彼には答えない。
「神木が言うとおり、ここにはサタンと同じ炎を扱える悪魔がいて、手騎士と契約を結んでいる。だが勘違いしないで欲しい。青焔魔は青焔魔、そいつはそいつ。決して同じじゃない。サタンを憎む祓魔師は多いが、だからってそいつとサタンを同一視して恨んだり危害を加えようとしたりするのはお門違いだぞ」
「ま、それでも青い炎が怖いて思ってまうんは仕方ないかもしれんけどな。その子≠ヘホンマええ子やさかい、できれば先入観に捕らわれんと接してほしい」
 獅郎の言葉に付け足すように廉造がそう告げる。
「あの、本人達に会うことはできないんですか?」
 獅郎も廉造もその悪魔と手騎士の名前を出さないことから出雲が不審がって質問を重ねる。
「そら紹介するってことでええん?」
「はい」
「あー……堪忍なぁ。まだ本人らの心の準備が済んでへんねん。それにたぶん、みんなの方も気構えとかできてへんのとちゃうやろか。もうちょいこの塾と祓魔師の世界に馴染んでからの方がええと思うんやけど、出雲ちゃん本人はどない思う?」
「わたし、ですか?」
「おん。いきなり青い炎が使える悪魔と出会ぉて、その力を見せられて、出雲ちゃんは平気なんかな?」
「………………まだ、結構です」
「出雲ちゃんはええ子やなぁ」
 青い炎に驚く自分と、それによって相手を傷つけてしまうこと。その両方を考えて席に着く出雲に廉造は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「せやけどいつか必ず、みんなに紹介しますわ。そん時はよろしゅうな」







2012.01.22 pixivにて初出

京都組に廉造の祓魔師バレでした。入学前から志摩が祓魔師として祓魔屋を訪ねたりもしているので、志摩燐としえみは既知の仲です。