勝呂竜士の幼馴染は齢(よわい)十五にして既に使い魔を持っていた。
とは言っても、勝呂がその存在を幼馴染こと志摩廉造の使い魔だと認識したのが十二・三の時で、悪魔自体はもっと前から廉造の傍に侍っていたのは知っている。 勝呂の記憶が正しければ、その人型の悪魔が現れたのは自分達の年齢がまだ二桁に達していない頃――― 七歳か八歳ぐらいの頃だ。燐と名乗ったそいつは(勝呂から見れば)いきなり志摩家に現れて廉造達と生活を共にするようになった。 当時は祓魔師の家系としても有名な志摩家に修行のため訪れた若者かと思っていたのだが、燐が修行らしい修行をしている姿などついぞ見ることもなく、どちらかと言うと廉造に関わる志摩家の雑用≠こなしていたように思う。 たとえば――― 「れん、八百造さんが呼んでる」 「あー……アレのことかいな。燐も一緒に来てぇや」 「おう」 縁側で涼んでいた所に件の悪魔、燐がひょっこりと顔を出した。 「坊、子猫さん。ほなちょっと行ってきますわ」 そう言って廉造が腰を上げる。 今は十五歳にまで成長した廉造だが、こんな情景がもうずっと続いていた。勝呂や子猫丸も慣れた様子で「おん」「いってらっしゃい」と幼馴染を見送る。 燐が悪魔だと気付いたのは、年齢に合わせてぐんぐん成長する自分達とは違い、燐が全く成長していなかったからだ。いつまで経っても十代半ば。決して大人にならない青年。そんな燐の姿を不思議に思って本人に訊いてみれば、燐はきょとんと目を丸くして「知らなかったのか?」と言いつつ教えてくれた。 だって俺、志摩廉造の使い魔だし。と。 しかしながら勝呂は燐の戦っている姿を見たことがない。それはおそらく彼の主である廉造が未だ戦える年齢ではないからだろう。 (けど、それももう終いや。俺らは祓魔師になるんやさかい) 幼馴染の一人とその使い魔を見送った後、勝呂は胸中で独りごちる。 来年の春、自分達は京都の地を離れ正十字学園に入学する。そこで悪魔祓いを学ぶのだ。 正式な祓魔師になる前の時点から危険な任務にもつくという話は聞き及んでいるので、きっと廉造の悪魔もそう遠くないうちにその力を勝呂達に見せることとなるだろう。 (あないなほそっこい燐が戦えるとも思えんけど……) だが常人より力が強いというのは知っているので、見た目にそぐわぬ力を発揮するのかもしれない。 ともあれ、既に燐という使い魔を持っている廉造はきっと手騎士の称号を取得するだろう。そこに至るまで諸々のことはあるだろうが、面倒くさがり屋に見えて基本的に要領の良い廉造のことだ、そこそこの成績でクリアするに違いない。 そんな幼馴染の一方のことを考え、勝呂も負けてられないと思う。『青い夜』以降没落してしまった寺を再興させるためにも、自分が一番頑張らなくてはならないのだ。 「子猫丸、ちょぉ付き合ぉてもろてええか」 「どないしはったんです、坊?」 「詠唱の練習や。どうせ志摩がおっても、あいつやったらのらりくらりとサボりよるからな」 「ええですよ。ほな、ここでしましょか」 言って、子猫丸が庭に出る。もしこの場にいても廉造ならば勝呂の言うとおり何だかんだ言ってサボる姿が目に浮かぶのだろう、その顔には苦笑が浮かんでいた。いや、苦笑の理由はそれだけではないのか。 (俺の考えもお見通しってことなんやろな) 廉造がサボるから彼がいない間に修行を行う、というのが理由だけではない。既に使い魔という形で一歩リードしている幼馴染に追いつくため、勝呂も自分ができることをやろうとしているのだと。 「ほな、いくでぇ!」 「どうぞー」 子猫丸の応えを受けて勝呂が印を組む。 そんな勝呂は知らない。 志摩廉造の使い魔・燐がただの悪魔ではなく、『青い夜』を引き起こした虚無界の王と同じ炎の持ち主であることを。そしてまた、父親の元へ向かった幼馴染が彼の予想を越えて既に***であることを。 □■□ 八百造に呼ばれ、その用件を聞いた後。廉造はそれまで着ていたTシャツではなく、しっかりとした作りの黒いコートに身を包んで鍵のついた扉の前に立っていた。 傍らには燐の姿もある。剣の封印を解いて以降、燐は身体に呪印を刻んで倶利伽羅を体内に納めるようにしていたのだが、今はそれを外に取り出し、鞘つきのままベルトに通していつでも抜刀できるようにしている。表情は普段通りの穏やかさを持っているものの、その戦闘態勢≠ヘこれから廉造の持つ鍵で赴く先がただのお使い程度ではないことを如実に示していた。 「そういや、れん。今日一緒に組む奴って誰だ?」 手に持った鍵を扉の鍵穴に差し込もうとしていた廉造へ燐がそう問いかける。廉造は斜め後ろに立っていた己の使い魔を振り返ると、父親経由で拝命した正十字騎士團からの指令書の内容を思い出した。 確か……と呟く廉造の胸に光っているのは銀と青と赤で構成されたブローチ―――世界的な退魔組織・正十字騎士團に所属する祓魔師である証だ。十五歳の身で既に祓魔師の資格を所持していた廉造は、その取得が最近ではないことを示すように慣れた調子で回答を口にする。 「竜騎士と詠唱騎士が一人ずつやったはずやで。あ、でも竜騎士は医工騎士兼任ってあったなぁ……若先生のことかいな」 「え、雪男!?」 若先生という単語に燐の尻尾がピンと立つ。その嬉しそうな表情に廉造は燐の契約主として微妙な心地になりながらも、一方でこれは仕方がないことだと思った。 なにせ若先生こと奥村雪男は、廉造の使い魔をやっている燐―――フルネーム・奥村燐と血の繋がった双子の兄弟なのだから。ただし完全に悪魔な燐と違い、雪男は何度検査しても人間である。 二人は燐が実父の青い炎を継いだ悪魔だったため、離れ離れの状態のまま育てられた。しかし燐は降魔剣『倶利伽羅』に本体を封印されていた頃から、京都の地を離れ正十字学園町で封印のメンテナンス中の時などに雪男と触れ合う機会が設けられていたらしい。 雪男は生まれてすぐ(もしくは胎児の頃に)双子の兄である燐から魔障を受けていたため悪魔を視ることができた。したがって人型でもコールタール並の存在感しかなかった実兄の姿を捉えることも可能で、十五歳前後の見た目で姿を固定している燐をとてもよく慕ってくれたのだとか。 そして、そんな彼もまた祓魔師の資格を得ていた。訓練を開始したのは雪男が七歳の時―――ちょうど燐と廉造が出会った頃だろうか。それを知らなかった燐はまさか泣き虫で気の弱い弟が祓魔の世界に足を踏み入れたとは思いもせず、雪男が歴代最年少で祓魔師になったというニュースを耳に入れた瞬間、その青い眼球が零れ落ちてしまうのではないかというくらい目を見開いて驚いたものである。 どうやら雪男自身は早く祓魔師になって兄だが悪魔でもある燐と契約しようとしていたらしい。封印により弱体化していた燐が誰かに盗られてしまう前に、と。ただし祓魔師という危険な職業を目指していると兄に知られれば絶対に反対されるのも理解していたため、実際に資格を取得するまでその事実は燐に秘匿されていた。 では一方で、燐が既に他の人間つまり廉造と契約してしまっていたことに関して雪男は知っていたのだろうか。答えはイエスだ。 彼は祓魔師の訓練を初めてからしばらくして、実兄が既に封印を解かれ任意の人間と契約したことを養父から知らされていた。だがそこで諦めるなら悪魔の兄を慕い、幼い身に厳しい訓練を課そうなどとは思わなかっただろう。養父である聖騎士・藤本獅郎から燐の現状を聞かされた時、雪男はこう答えたそうだ。 『じゃあ僕が早く立派な祓魔師になって、兄さんに僕の方がいいって言って貰わないと』 これのどこが弱虫で気弱な弟≠ネのか燐に問い質したいところだが、どうやらこれでも燐にとって雪男は可愛い弟であるらしい。 ともあれ、そんなわけで雪男にとって兄を盗った相手(いつか返してもらいますからね!)≠ナある廉造はあまり良い印象の人間ではなかった。また廉造自身も雪男が苦手だ。燐の契約主の座を狙っている最大候補であるし、そうでなくても燐は大好きな弟と会えると聞いて今もウキウキし始めているのだから。唯一の救いは燐自身がまだ廉造を己の契約主として選んでくれていることだろうか。 ただし燐が廉造を選んでいても、もし廉造が祓魔師になったばかりやそれ未満だったならば、雪男はもっと強く燐に契約主の変更を迫っただろう。そんな奴より僕の所においでよ、と。しかし廉造は雪男と同じ年に生まれ、祓魔師の資格を得たのも同じ認定試験でのことだったため、あまり強く出られなかった。生まれた月――廉造は七月で雪男が十二月――の関係で、同じ時期に合格しても雪男の方が最年少≠ニして圧倒的ネームバリューを持っていたが。 「燐は相変わらず若先生が大好きやなぁ。そや、場所も近いし、仕事が終わったら藤本先生にも挨拶してこよか」 「行く行く!」 弟以外に弟の養父であり自分のことも息子のように可愛がってくれる聖騎士の名前を聞いて、燐の青い目が更に輝きを増す。実はこの聖騎士――と書いて親馬鹿と読む――にもまた廉造は睨まれていた。当然、可愛い息子を拐かしたという理由で。 (せやからあんまし若先生にも藤本先生にも会いとぉないんやけど! でも燐が喜ぶもんなぁ) だからついつい自分の首を絞めるような提案をしてしまう。 そしてキラキラ輝く燐の双眸を見つめていると、それでもいいかと思ってしまうのだ。 「ほな、燐。そろそろ行こか。ちゃっちゃと終わらして皆とゆっくりしたいやろ?」 「おう! あっと言う間に片付けてやるぜ!」 * * * 悪魔の体を焼いた青い炎がまだブスブスとくすぶる中、廉造は最後の一掃を担当してくれた燐に「お疲れさん」と語りかけた。 戦闘が終了すると、今回のパーティのうち一人―――詠唱騎士の男性が興味も何も無い様子で欠伸を零し、そして「じゃあ私はこれで」と背を向けてしまう。だがこれはいつもどおりのことだ。 青い炎、つまり魔神との関わりを示す力の持ち主である燐は、その存在が知られれば多くの祓魔師達にとって憎しみの対象となる。だが燐の力は味方にすれば確かに有効で、上層部もむざむざ処分してしまうには惜しいと思う程だった。燐が人間に従順な態度を見せればなおのこと。 したがって現時点において、魔神と同じ力を扱う燐は正十字騎士團の三賢者から『武器』ということで秘密裏に存在を認められていた。だが祓魔師がサタンを憎んでおり、下手をすれば祓うべき悪魔ではなく燐に攻撃を仕掛ける者がいるのも事実であるため、三賢者が出した対策はこういうものだった。 ―――奥村燐の手騎士である志摩廉造が複数人で任務に当たる際はサタンに大きな恨みを抱いていない、または関心がない者を班のメンバーとし、かつその候補者数は可能な限り最少でとどめること。また青い炎に関する情報は完全に機密事項とすること。 戦いが終わるとさっさと帰ってしまった詠唱騎士は燐の存在を知る数少ない人間の一人にして関心がない者≠ノ当たる。よって廉造と燐もそういった者にはあまり干渉しすぎないように心がけているのだ。 が、しかし。 今回の任務ではもう一人別の人物がいた。そしてその人物は無関心な詠唱騎士とは違い、 「兄さん!」 先刻までの仮面のような冷たい表情から一転、齢相応だと言わざるを得ない笑みを浮かべて廉造達の方向……ではなく、燐に向かってくる人影。 ショートコートの廉造とは違い、ロングコートタイプの團服を身に纏った雪男が剣を納めた燐に手を触れさせる。 「兄さん、お疲れさま」 「雪男もお疲れー。すっげぇなお前! しばらく会わねえうちにまた腕が上がったんじゃねえか!?」 「ふふ、そうかな?」 「絶対そうだって!」 「ありがとう。兄さんにそう言ってもらえると嬉しいよ」 廉造には挨拶の一つも無いまま弟は兄に夢中だ。そして「兄さんも相変わらず凄いね」と雪男が褒め称えれば、燐もまた尖った耳を赤くして嬉しそうに笑う。 実に仲の良い兄弟である。しかしいかんせん廉造には雪男が燐に対して接触過多のように思われて仕方がなかった。今にもそのまま燐と手を繋いで連れ帰ってしまいそうな程だ。小さい頃ならさておき、十五の男子――正確に言うと、廉造が十五で、雪男は誕生日がまだだから十四――がやる仕草ではない。 (離れて育ったはずやのに、えらいブラコンに育ちはったなぁ若先生も) 廉造が『若先生』などというあだ名を付けてしまうほど、世間では対・悪魔薬学の天才≠ニして名高い雪男であるが、蓋を開けてみればコレだ。極度のブラコンか、はたまた恋人が好きで好きでたまらない彼氏か。燐しか目に入っていない雪男は傍から見てそんなイメージしか抱けなかった。 それを眺める廉造の胸には次第にモヤモヤした物が湧き出す。しかし嫉妬のあまり顔が歪むような事態にはなり得ない。そこまで強い感情を抱くところまでいかないからである。 (やって、いくら燐が若先生大好きでも、若先生が燐を連れ帰りたいて思てても。結局、燐が選んでるんは俺なんやから) 魔神の落胤である燐の力は強い。現時点で中二級祓魔師である廉造にとって、燐との使い魔の契約は廉造の思いがどうであれ燐がそれを望まなくなった時点で破棄可能な程に。 しかし現実として燐は契約を破棄しておらず、おそらく今も廉造が「帰るで」と一声かければ燐は雪男の手を離してこちらに戻ってくるだろう。 かつてこの思考に至る前、廉造は燐に問いかけたことがある。どうして雪男ではなく自分を選んでくれているのか、と。 すると燐はこう答えた。 『使い魔の契約は俺もお前も望んで交わしたことだろ。それに現在進行形でれんは俺のこと好きでいてくれてるし、俺もれんが好きだ。だったら契約を破棄する必要もねーじゃん』 『せやかて燐は若先生のことも好きやろ?』 『とーぜん!』 『したら、もっと一緒におるために若先生と契約するんもアリなんちゃう? 若先生もそう望んではるみたいやし』 『駄目だって』 廉造の(口にした本人が望んでいない)提案を聞いた燐は苦笑を浮かべつつ首を横に振った。 そして少しだけ苦しげに青い目を歪める。 『れん、お前が一番解ってるはずだろ。魔神の落胤≠使い魔にすると色々面倒なんだって』 契約方法が、ではない。 その後に付随する、騎士團からの制約が、だ。 そもそも燐が封印を解かれた後もその存在を三賢者に容認されているのは、燐がフリーの悪魔ではなくきちんとした人間の主人を持っているからだ。これにより人間に従順であること≠ェ証明される。だが三賢者はただの人間ではなく騎士團に¥]順であることを望んだ。その証明方法として、燐と使い魔の契約を結んでいる廉造が騎士團に忠誠を誓う必要があったのだ。 廉造が幼馴染達よりも先に祓魔師になったのはそれが最も大きな原因である。燐と契約したため廉造は今の道を選ばざるを得なくなってしまった。祓魔師としての制服からも伺えるように、明陀に属する者としてではなく、純粋に騎士團側の人間としての道を。おそらく勝呂や子猫丸が祓魔師となり明陀宗としてのあの和洋が合わさった團服を纏うようになっても、廉造だけは今のまま正規のコートを着用し続けることになるだろう。そして廉造は騎士團を裏切らないか一生監視され続ける。 『兄として、俺はそんな状況を弟に強いるつもりはない』 ―――たとえ雪男が望んでくれても。 燐にとって雪男は彼がどれほど成長しようとも可愛い弟≠ナ、守るべき存在なのだ。対して廉造は自分達が互いに望んで険しい道も歩んでいこうと決めた相棒≠ナあり、その道が辛いからと言って燐が廉造を遠ざけることは無いのである。 (遠くから大切にされるか、近くで頼られるか。俺は今の立場の方がエエ) 仲の良い兄弟の姿を眺めながら廉造はほんの少しの優越感と共に微笑んだ。 2011.09.11 pixivにて初出 志摩くんの團服は明陀ver.ではなく正規(?)ver.です。ただしコートの裾は短めで。手騎士として燐と一緒に戦うつもりで動きやすい服装を選んだという裏設定。 |