藤本獅郎が武器に銃を選んだのは、己の“待ち人”が刀使いだったからだ。
 同じ得物で戦うというのも魅力的だったが、どうせなら近距離型の彼と欠点を補い合えるような武器がいい。そう思って取得予定の称号のトップに竜騎士を置いた。
 しかし獅郎が正十字学園中等部に入り、祓魔塾で祓魔師訓練生としての生活を送り始めても、同じ学園に通っていると思っていた人はいっこうに姿を見せず。不安に思って調べてみれば、彼の人が在籍している証拠はこの学園のどこを探しても見当たらなかった。
 捨てられた、と思った。
 けれどそう思う一方で自分が彼の人に捨てられたなどと全面的に認めることができず、獅郎はいつしか「きっと己が祓魔師になれば姿を見せてくれるのだ」と思い込むようになった。そうしなければやっていけなかった、というのもある。
 だから獅郎は彼の人が―――奥村燐が再び現れることを信じて祓魔師の修行に打ち込んだ。燐の傍らに立つため銃を選び、燐に「頑張ったな」と褒めてもらいたい一心で腕を磨き、そうして、

 奥村燐以外の何者にも人間的な興味を抱かなくなった。

 唯一の例外は正十字学園の理事長兼正十字騎士團日本支部長のメフィスト・フェレスであったが、それはメフィストが理事長という立場から獅郎の燐捜索に手を貸してくれたこと、また燐と同じ人型の悪魔であったことの二点に起因する。
 メフィストもそんな獅郎の心理を面白いと感じ、二人は後に悪友となった。が、結局のところ獅郎がその赤みの強い双眸に浮かばせるのはいつまで経ってもただ一人だけ。燐との再会だけが藤本獅郎の全てを動かしていた。
 しかしそんな獅郎を嘲笑うかのように、世界は決して彼の望みを叶えてなどくれない。
 十四で歴代最年少の祓魔師となった獅郎の前に、結局、奥村燐は現れなかった。それもそうだろう。祓魔師になれば燐が迎えにきてくれるなどというのは獅郎が己のために作り出した妄想だったのだから。
 ただし妄想であってもそれは獅郎にとっての真実だった。ゆえに絶望は深く、祓魔師になって久々に浮かべた笑みは未だ幼さを残す顔からあっと言う間に消え去った。
 けれど。
「……ああ、俺がまだ弱いから逢いに来てくれないんだよな」
 獅郎は再び微笑を形作って独りごちた。
 人間という生き物は他人を誤魔化す以上に自分を誤魔化す術に長けている。それはいくら塾で神童と称されていた獅郎でも同じこと。むしろそう称される程に唯一を求め続け、それが叶えられなかったという分だけ彼に巣食った虚無は大きく、自身に対する新たな誤魔化しも呆気ないくらい簡単に行われたのである。



* * *



「我が主よ ここに集い  親しく御顔仰ぎ 我が全て主に委ね  御恵みを待ち望む♪」
 陽気に賛美歌を口ずさみながら右の人差し指で硬いトリガーを引く。随分距離を詰められていたにも拘わらず余裕の表情を崩すことなく獅郎が放った弾丸は正確に対象を撃ち抜き、人間のものよりも若干紫がかった体液をまき散らした。
 一度口を閉じ賛美歌を止めた獅郎は己の頬に飛んだ液体を左の指で拭う。しかし親指についた黒ずんだ赤紫色の液体を眺める瞳は冷たく凍り付いているかのようだ。……事実、彼の心は凍り付いているのだろう。
 人懐っこく笑ったと思ってもそれは彼が幼い頃に見た『誰か』を表情筋が真似ているだけであるし、こうして悪魔の討伐に赴けば一片の慈悲もなく正確に弾丸を撃ち込んでゆく。唯一∴ネ外に興味を持てない獅郎にとって口から漏れ出す賛美歌は悪魔を哀れむためのものではなく、ただの余裕の表れ。もしくは任務を一つ片付けるたびに上がる評価を、それによって燐が逢いに来てくれる未来を想像して、薄暗い喜びを外へと吐き出しているに過ぎなかった。
「我が主よ 主の他には  助けも望みも無し ただ主こそ 我が力  祈りつつ求めゆかん」
 歌に合わせて次々に弾丸が放たれる。空薬莢が地面に落ち、賛美歌を彩るように澄んだ音色を奏でた。
 だがその音をかき消すように響き渡るのは耳を劈く悪魔の悲鳴。
 不協和音の中で藤本獅郎は遠目からなら余裕綽々の楽しげに、近くで見ればぞっとするような冷たい双眸のまま銃を操り続ける。
 そうして生み出され足下に広がる血溜りは、まるで他者を拒絶しているかのようだった。事実、同じ任務に当たっているチームのメンバーは誰一人として獅郎に近付けない。彼が仕損じて銃口を同じ班の人間に向けるような事態は今まで一度もなかったが、それを知っていて尚、他の祓魔師達は彼に近付こうと思えなかったのである。
 ゆえに過去、藤本獅郎と任務を共にした者は口を揃えてこう称した。
 冷酷。無慈悲。戦う姿はまるで鬼神。
 およそ神に仕える聖職者には似つかわしくない呼称である。
 だがどう称されようとも獅郎はいっこうに気にしない。彼が唯一気にかけるのは青い目をした悪魔だけだ。
 祓魔対象に一片の迷いもなく突っ込み銃弾を叩き込めるのは己の腕を磨き、また己の力を外に示すため。きっとどこかにいる燐に、自分はここまで強くなったのだと見てもらうため。そしてもし燐が今の躊躇なく悪魔を殺せる獅郎を見て悲しみを感じるならば、獅郎はすぐさま彼の目の前でこの行為をやめるだろう。
(ただし燐の見てねえ所で全部潰すけどな)
 なにせあの美しい悪魔に同情してもらえたのだから。そんな存在をこの藤本獅郎が許すはずなどない。
 撃って撃って撃って銃身で叩き潰し、ブーツの踵で骨を踏み砕く。足の裏から伝わるゴキリという小気味良い程の感触は、最早燐との再会までのカウントダウンにすら聞こえた。
 現在、上二級祓魔師たる獅郎が上一級に上がるのも時間の問題と言える状況だった。実力は十分なのだから、あとは定期的に催される昇格試験を受けるだけ。そうすれば受かる。受かって獅郎は上一級に、階級分けされた祓魔師達のトップ集団に名実共に仲間入りを果たす。
「燐の奴、今度こそ逢いに来てくれっかなぁ」
 祓魔師になるだけでは駄目だった。中二級も中一級も、上二級になっても駄目だった。
 だから今度は上一級。それでも駄目なら次は四大騎士、(称号ではないが上一級の中から選ばれる)聖騎士候補、そして最後は聖騎士がある。いつになったら燐は逢いに来てくれるのだろう。獅郎がどの称号を得ればその隣に立たせてくれるのだろう。
 祓魔師になり、腕を上げて日本国内のみならず世界各地で任務をこなすようになった獅郎は、それでもまだ奥村燐を見つけることができなかった。だから待つ。“いない”などとは考えない。燐はいる。燐は確かにこの世界のどこかにいて、そして獅郎が十分強くなったら迎えに来てくれるのだと信じている。
 それは妄想だ。妄言だ。ただのまやかし。自分を誤魔化しているにすぎない。
 冷静かつ親切な者が見ればそう言うだろう。しかし獅郎の心情を知るものは獅郎本人しかなく、また唯一察していそうなメフィストも今の状況を面白がって何も言わない。むしろ奥村燐という存在に狂ってこそ藤本獅郎だと思っているのかもしれなかった。メフィストと出会った時には既に、まだ少年だった獅郎の中には狂気の破片が見え隠れしていたのだから。
 グシャリ、と。翼が生えた悪魔の頭部を踏み砕き、獅郎はようやく動きを止めた。遅れてその悪魔の羽根が空から降ってくる。眼鏡越しの視界に入り込んだそれは光の加減によって深い青を放ってみせた。
 すると獅郎はゆっくりと足をずらし、コートのポケットから「聖水」と書かれたボトルを取り出した。悪魔は全て討伐され、もう一匹たりとも動かないのだからこれ以上の攻撃は必要ないはず。しかし獅郎はボトルを頭上に放り投げ、銃で撃ち抜き破裂させた。飛び散った聖水が未だ空中を漂う羽根に当たり色を醜く変色させる。
 聖水の雨を浴びながら獅郎は天を仰いで唇を歪めた。
「テメェごときが燐の色を持ってんじゃねーよ、クズ」






 まだ、待ち人は現れない。







2011.08.04 pixivにて初出

07で藤燐が再会する前の話。
獅郎さんが歌ってる賛美歌の「主」は神様じゃなくてあの子です。