その日は養父の月命日だった。
双子の弟と共に墓参りを済ませた燐は今にも降り出しそうな曇天を眺めながら一人で寮までの道を歩く。弟の雪男は急用ができて先に帰ってしまっていた。これが悪魔退治の任務ならば燐もついていったかもしれないが、生憎今回の呼び出しは塾の講師としての方らしい。となると後を追っても本当に邪魔にしかならないので、こうして大人しく帰路についているというわけだ。 「なんかなぁ」 大事な養父の月命日だからか、それともこの重苦しい天気の所為だろうか。吐き出す呼気の一つ一つでさえ鉛が混じったように重い。これなら我武者羅に刀を振り回して戦う方がずっとマシだ。戦っていればたとえ一時であってもこの苦しさを忘れることができるだろうから。 「ジジィ……俺は」 「はっあーい☆ ご機嫌いかがですか奥村君!」 「……」 重苦しい空気は勘弁だが、この突き抜けた明るさもどうかと思う。 そんなことを胸中で呟きながら燐は背後からかけられた声に足を止めた。この一本道、誰かとすれ違った記憶はないし、そもそも他人が近付いた気配など微塵も感じなかった。にも拘わらず燐の背後に現れた人物―――。声といい、台詞といい、登場方法といい。そんなものに当て嵌まる人物など燐の知る中では一人しかおらず、青い目がじっとりと背後を振り返る。そして声をかけてきた目に痛いファッションの長身を睨め付け、 「……メフィスト」 「ご機嫌麗しゅう、奥村君。藤本の墓参りの帰りですか?」 「おう」 「それは関心」 燐や雪男が通う正十字学園の理事長であり、祓魔師を育てる塾の塾長でもある人間―――と見せかけて実は悪魔のメフィスト・フェレスがうんうんと頷いた。 悪魔のくせに祓魔師で、そして祓魔師の最高位『聖騎士』だった燐達の養父・藤本獅郎の友人だったメフィスト。彼が一体何を考えて物質界にいるのか知らないが、獅郎亡き後、燐達の後見人になってくれたことは確かに感謝していた。だからこそ訳が分からなくても服の趣味が合わなくても、月々渡される生活費がたったの二千円でも、燐はとりあえずきちんと身体全体で相手に振り返ってみる。 「で? 色々と忙しいはずのあんたがなんでここに?」 人間ヨハン・ファウスト五世としても多忙だと聞いている後見人が何故こんな所にいるのだろうか。 問いかける燐にメフィストは「ふふふ」と奇妙な含み笑いをしつつ、お得意の「アインス、ツヴァイ、ドライ!」というカウントと共に指を鳴らしてみせた。途端、ポンッという軽い音と共にピンクがかった煙が現れる。それが晴れるとメフィストの右手には短い紐がついた縦長のペラペラした物が現れていた。 「……それって栞か?」 ラミネート加工されているらしきそれは、この曇天の下でも僅かな光を反射してテカテカ光っている。濃いブルーの無地で、よくある押し花等は挟まれていなかった。 「これを君に差し上げましょう。いつも頑張っている奥村君へ、私からのちょっとしたご褒美です」 「ご褒美っつったって……」 この悪魔がご褒美だとか言っても全然良さそうな物には思えない。それに何より、 「俺、あんま本とか読まねえし」 だから栞なんて貰っても嬉しくない。 燐がはっきりそう返すと、メフィストはきょとんと目を丸くし、それから肩を震わせた。くすくすと笑っている。 「な、なんだよ!」 「いえいえ、そんな奥村君だと奥村先生も苦労なさっているでしょうねぇ。ともあれ、これは本に挟むための物ではあませんよ」 「はあ?」 「これはね、枕の下に入れる物なんです」 「……?」 「この栞を枕の下に入れて眠ると会いたい人に会えるという代物なんですよ。頑張っている君にたとえ一時であってもご褒美を、と」 「ご褒美の傾向が実に悪魔らしいな」 「なにせ私はメフィスト・フェレスですから☆」 バチンッとウインクまでかましてメフィストは半ば無理矢理、燐の手にその栞を握らせた。そして燐が何か言う前に「では!」という声と共にその姿がピンクの煙に包まれる。気配も共に消失し、燐は誰もいなくなった道でぽつんと一人立ち尽くすこととなった。 「…………」 燐は一人、メフィストの言った言葉を思い出す。 濃いブルーの栞は夢で会いたい人に会えるアイテム。ならば、燐がこれを枕の下に入れて眠りについた時、夢に現れる人物とは――― 「……っ」 たった一人、どうしても謝りたくて、でも謝る術も権利すらない、そんな人物が思い浮かび、燐は唇を噛みしめた。鋭い犬歯は容易く唇を裂き、赤い血がじわりと滲む。 「ぐだらねぇ」 自嘲混じりにそう呟くが、常人より遙かに強い握力の手が栞を握り潰すことは決してなかった。 2011.07.17 pixivにて初出 |