「あ、奥村くん。その悪魔(こ)がこの前奥村くんの使い魔になったて言う猫又なん?」
「おう! クロって言うんだぜ。ほら、クロ。こっちが志摩廉造。俺と同じ祓魔塾に通ってる奴で、」 「奥村くんの押しかけ従者やでー」 「こいつ自分で“押しかけ”って言いやがった」 「自覚はしてますねん」 半眼になる燐に向かって志摩はそう苦笑してみせた。 そんな二人の傍らには先日新しく燐の『友達』になった猫又のクロが小首を傾げている。休日である今日、正十字学園高等部男子寮旧館の602号室を訪れたピンク頭の少年のことをクロはてっきり燐の同級生兼友達だと思ったのだが、彼らの話を聞くにどうやらそうでは無いらしい。 《なあ、りん。こいつ、りんの“けらい”なのか?》 「え、いや、その何と言うか……」 「そうやでー。どうぞよろしゅうな、クロ」 《! りん! こいつ、おれのことばがわかるのか!?》 二本の尻尾がピーン!と立つ。燐以外にも自分と会話ができる存在を見つけてクロは胸が躍った。 だが燐と血の繋がった弟である雪男にすら通じなかったのに、どうして赤の他人の志摩には解るのだろう。そんな疑問を直接本人にぶつけてみれば、志摩は「俺、自分で言うのも難やけどやっぱ隠すん上手いんやなぁ」と独りごちてからこう続けた。 「やって悪魔やし」 《は?》 「せやから俺も悪魔やねん。奥村くんとは違ぉてハーフやないんやけどね。いわゆる“悪魔落ち”っちゅうやつ。あ、でも他の塾生らには秘密な。いきなりバラして怖がらせらアカンやろ?」 《しまは あくまおち してるのか?》 「おん。むかーし、奥村くんと出会う前にしてもうてん」 《じゃ、じゃあ、にんげんをくるしめたり、ころしたりするのか?》 にゃーにゃーと、人間が大好きなクロは心配になって問いかける。 燐は優しい奴だがその従者までもが優しいとは限らないのだ。しかも志摩は悪魔落ち。つまり過去に周囲をとことん否定し絶望した人間である。そして悪魔落ちした人間は大抵、他者に危害を加える。己を絶望させた世界に復讐してやろうと動くのだ。 しかしそんな心配は杞憂に終わった。 クロの台詞を聞いた志摩は一瞬だけ固まり、そして、 「ぷ、あははは!! せえへん、せえへん。そない面倒なこと。それにもし俺が誰かを傷つけようもんなら、奥村くんに嫌われてしまうやんか」 なあ、と燐を一瞥しつつ志摩はそう言ってケラケラと笑う。 「あとは……そやねぇ。俺、こうして悪魔落ちしてもうてるけど、別に周りの人間が憎いわけちゃうし。そりゃ落ちてしもたんやから一度も嫌いやとか憎いて思たことないってのも嘘になるけどな。でも俺ん周りには基本的にエエ奴しかおりませんねん。そないな人らを心底憎んで苦しめたろ思えるはずもないやん?」 そう語る声音はとても優しく、クロは志摩が嘘を吐いていないと確信した。 《しまはみんながだいすきなんだな!》 「大好き言うんは俺のキャラ的にも年齢的にも似合わへんのやけどねぇ。まあクロの基準で言うたらそうなるんかもしれへんわ。あ、でも一番は奥村くんやさかい、そこんとこよろしゅうな」 《しまはりんがいちばんなのか! おれもりんがいちばんだぞ!》 生きている人々の中で燐はクロの一番の友達だ。藤本獅郎の時がそうであったように、燐が手を差し出して「仲直りしよう」と言ってくれた日のことをクロは一生忘れないだろう。あの時の表情も、手も、声も、全てクロの宝物なのである。 《りんがいちばんだから、おれたちおそろいだな!》 「あ、こらクロ。ハズいからそういうこと言うのやめろよ」 「ええやん奥村くーん、そう照れんでも。こない可愛らし猫又に好かれるんは誰であっても嬉しいことですて」 若干目元に朱を刷いた燐に志摩がにこにこと笑いながら言う。 「勿論俺も奥村くんのこと好いてますよ」 「〜〜ッ、はいはいありがとよ! 俺ちょっと喉渇いたから何か持ってくる! お前らはここで待ってろ!」 《? わかった!》 「いってらー」 急に顔の赤い部分を増やして部屋を出て行った燐をクロは不思議そうに、志摩はニヤニヤと表情を崩しながら見送った。 部屋の主の姿が見えなくなって一人と一匹が取り残されると、クロは《りん どうしたんだ?》と志摩に問いかける。 「ん? ああ、奥村くんな、クロと俺に好きや言われて嬉しかったんやと思うで。こら慣れるまでもっと言うたげやなアカンかもなぁ。目標は『好き』言うたら『俺も』て返してもらうってことで」 《おれ、りんがすきだから これからもっと「すき」っていう!》 「せやね。俺もあない可愛らし顔一回だけやのぉていっぱい見たいし、『好き』返してもらえるんやったらこれ以上は無いし……」 そう独りごち、けれども志摩はふと思い出したように「なぁクロ」と話し相手の名を呼んだ。 クロが《なんだ?》と尻尾を緩く振れば、志摩は変わらぬへらりとした笑みのまま、 「実はな、クロの一番と俺の一番はちょぉ意味合いが違うんやで」 《え……?》 意味が解らず目をパチクリと瞬かせたクロに志摩は続ける。 「クロは一番を守るためやったら他のモンみんな捨てられる? 俺はできるで。奥村くんを選んで他の大事なモン全部捨てられる。俺の『好き』はそぉいう『好き』や」 《すてる? なんですてなきゃいけないんだ? みんなすきなら、みんないっしょにいればいいだろ》 「それが許されるんやったらね」 志摩は部屋の主が出て行った扉を見つめ、ふっと一瞬だけ遠い目をした。 「クロはもう奥村くんが魔神の落胤やて知ってるやろ? それが人間にとってどういうモンか解っとる?」 《っでも、りんはすごくいいやつで!》 「ん。奥村くんはホンマにエエ人や。でも奥村くんのこと何も知らんと奥村くんがどういうお人か判断する奴はよぉさんおるし、世間さんは大抵そういう奴の意見が通る。それに奥村くんの人となりを知ってはっても、やっぱり青い炎が怖いて思う人もおるんやで。……そういう時、奥村くんのことが大好きな俺らはどっちかを選ばなアカンようになるやろな」 好きなのにどちらか一方しか、一つしか、選べない。そんな未来など来て欲しくないが、志摩はもしそうなっても躊躇い無く唯一を選んでみせると言って微笑んだ。 クロはただ無言でその微笑を見上げる。 《…………》 「そないな顔させるつもりはなかったんやけどなぁ」 志摩は微笑を苦笑に変えてクロの頭を撫でた。 《わっ》 「クロはクロのやりたいようにすればええねん。ただ俺が奥村くんを……燐様を特別に思ぉとるだけやさかい。クロの選んだ道やったら燐様もちゃんと受け入れてくれるて。ま、俺としては燐様が大事に思てる人らには何が何でも燐様を選んで欲しいんやけど」 そない簡単にいかんやろな、と志摩は肩を竦める。 だがしんみりとした空気を払うように彼はふるふると首を振って「ああ、アカン」と呟いた。 「自分で振っといてなんやけど、こないジメッとした空気は性に合わんわ。ごめんなークロ、いきなり変なこと言うてもうて」 《しま……》 「クロは燐様の友達。それだけでええよ。それだけで燐様はきっとものすごぉ救われる」 《そうかな?》 「そうやて。せやから今は俺が今言うたみたいなムズかしゅうて面倒なことは脇に置いといて、燐様と楽しいこといっぱいしよな。燐様が笑ってくれはったらクロも嬉しいやろ?」 《おう! りんがわらってくれたらすごくうれしいぞ!》 「ほなクロも笑っとかな。燐様が笑顔やったらクロも嬉しいみたいに、燐様もクロが笑顔やったら嬉しいはずやから」 そう言って志摩は微笑み、クロの顎を擽る。燐とはまた違うけれども優しい手の動きにクロはごろごろと喉を鳴らした。 そうやってしばらく戯れていると、廊下に面した扉が開き、 「あ、なんだよお前ら。すっげぇ仲良しじゃん」 そう言って部屋に入って来たのは本来この部屋に主にして先程赤面しながら出て行った燐だ。 一人と一匹は一緒に「お帰り」と告げて、燐が下の食堂から持ってきてくれた飲み物に手をつける。ちなみにクロが皿に入れられた牛乳で、志摩にはグラスの中で泡を弾けさせているグレープ味の無果汁ジュースである。 クロは《りん、ありがと!》と礼を言って皿の中の牛乳をぺろりと舐めた。頭上では志摩もまた同じく燐に礼を言ってコップに口をつけている。 「お前ら俺がいない間に何話してたんだ?」 「何、て……。まぁ強いて言うならどっちも奥村くんが好きやなぁって話? な、クロ」 《おう!》 「な、ななななな何だよそれ! お前らまだその話題だったのか!?」 「せやかてそない時間経ってませんし。俺もクロも奥村くん大好きなんはホンマですし」 《そうだぞ、りん! おれ、りんがだいすきだからな!》 「ッッッ!!」 顔を真っ赤にして口をパクパクさせている燐を見上げ、クロは志摩と一緒になって笑い合った。「もうやめてくれ!」と言われても燐が本当に嫌がっているわけではないと判るから、もっと「好き」という言葉を重ねたくなってしまう。 その「好き」は志摩曰く、彼と己で違う意味らしいが、それでも燐が大切だというのは同じだと思う。 (あ、でも) 耳の先から首筋まで赤く染まった燐を微笑ましく感じながらクロは考える。 志摩にとっては燐が一番で、それ以外なら捨てたって構わない。と言うことは、志摩は燐のためなら自分を捨てることも厭わないのかな、と。 2011.09.25 pixivにて初出 「燐様のためなら死ねる」状態な悪魔落ち志摩くん(燐の押しかけ従者)&燐は大好きだけどそんな志摩はまだちょっと理解不能なクロの話でした。弟君は任務か何かで不在の模様です(でなきゃ志摩くんが奥村兄弟の部屋に入れるはずが無い←)。 |