仕事はきっちりとこなす。それが花巻咲のプロとしてのプライドである。ゆえに咲は夜への敵意を失った後もヴァチカン本部にある反青十字騎士会派へ報告書を送り続けた。
 夜に絆される前も後も客観的に物事を判断しているつもりだったが、やはり彼を好意的に見始めると判断が甘くなる……と言う程ではないにしても、その行動の意味を深く理解しようとする姿勢になっていた。
 咲から送られてくる報告書の記載内容が変化してきたことに反青十字派も気付いたのだろう。祓魔塾の生徒になってから初めて迎える祓魔師認定試験が近くなった頃、一度ヴァチカンの方に出頭して口頭報告をしろという命令が下った。
 これは夜に絆された初期から覚悟していたことだ。咲が属する反青十字派も馬鹿ではない。むしろ古い歴史を持つがゆえに覇権争いは厳しく、タヌキばかりの世界で生き残ってきた者達ばかりである。若造の咲が簡単に攻略できるものではなかった。
 が、一度の口頭報告くらいは何とかできる。あくまで公正に。あくまで客観的に。途中で挟まれる質問にもしっかり答えて咲は二時間程度の報告を終えた。タヌキじじい共の反応はかんばしいものではなかったが、咲を断じるだけの材料も見つけられず、その悔しさから素っ気ない態度になっていたと予想される。
「でもまぁそろそろ潮時やろな……。僕自身、もう『反奥村燐派』(こないなとこ)におる理由もないしなぁ」
 誰もいない通路を歩きながらぽつりと呟く。元々ここは青焔魔、ひいては奥村燐が憎くて所属していた。しかし夜を好意的に見るようになった今、その彼の師であり命の恩人であり、また全く同じ容姿である燐を害そうとする組織に属する理由はない。むしろマイナスしかない。いや、燐達のためにそのまま組織に属してスパイのようなことをするというのも手の一つではあるが。
(僕になんかあったら夜が悲しんでまうかもしれへんし)
 だから下手なスパイ活動は止めておこうと思う。あのお人好しが傷つくところは見たくない。
「どないしよー。いっそ無所属にするかー?」
 どこの派閥にも属していないというのは、実は非常に弱い立場にいることになる。個人の実力が飛び抜けている場合は別だが、咲にそこまでの実力はない。上二級程度では足らないのだ。無所属でいたいなら、それこそ四大騎士や聖騎士レベルでなければ。ちなみに現在の聖騎士は無所属どころかきっちりがっちり青十字騎士会派である。
 組織というのも厄介だと咲が溜息をついた直後、

「だったら我々の元に来るか?」

 よく通る声が問いかけてきた。はっとして斜め後ろを振り返ると、廊下の巨大な柱に背を預ける格好で金髪の美丈夫が立っていた。
 纏っているのは咲とは違う、白い騎士團のコート。特注の一品ものだ。そして襟には深い青色の宝石を使用したブローチが留められている。
 咲に気配を悟らせないのはさすがだが、どうしてこんな所にいるのか解らない。混乱する咲に白いコートの男―――現聖騎士、アーサー・O・エンジェルがコツリと踵を鳴らして歩み寄る。
「いかんぞ。誰もいないと思ってそのように独り言を呟いていては。誰が聞いているか分かったもんじゃない」
「ご忠告痛み入ります、聖騎士(パラディン)。しかし僕の独り言をお聞きになったのが貴方だけで良かった」
 日本語も堪能なアーサーは咲に合わせて日本語で話しかけてきた。咲は一応英語もイタリア後も話せるが、やはり日本語の方が話しやすいので、ありがたいことに変わりはない。ちなみに標準語で話すのはアーサーへの気遣いである。
「ところで聖騎士、先程のお言葉の意味ですが……」
 我々の元に来るか、とは一体。
 咲の質問にアーサーは軽く笑う。
「なに、そのままの意味で取ってくれればいい。お前は今の派閥から抜けようと思っている。だが次に移るべき所も見つかっていない。そしてお前は夜の友人だろう?」
「まさか祓魔師達の頂点に立つ人物にすら僕の存在を認識されていたとは」
「お前の友人は特別だからな」
「本当の意味で特別なのはその師匠ですけどね」
「確かにそうだな」
 あっさりと頷き、アーサーはそれを認めた。別に隠すようなことではない。アーサーが燐に好意的な派閥の筆頭であることは騎士團内では周知の事実であり、そして有数の派閥である青十字騎士会を作ったのもまたアーサーであるのだから。
 その大派閥のトップ自ら咲に声をかけている。何てことだろうかと咲は思わず苦笑を零した。
「あいつは……夜は本当に大切にされていますね。今もまだ一応、奥村燐に忌避的な派閥に属する僕を迎え入れようとするなんて」
「我々は奥村燐のための組織だ。そして彼の心の安寧をはかるのも使命の一つだと思っている。それが彼に救われた者として彼に返せる精一杯のことだからな。そして夜は彼の大切な仲間の一人だ。ならば我々は夜を気遣おう。便宜を図ろう。君が夜にとって必要な人間であるならば喜んで庇護させてもらう」
「(……もうちょいオブラートに包んだ言い方っちゅーか、その燐大好きかつ他はどうでもええよーみたいな言い方はどうにかならんのかな)」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何も」
 首を横に振って笑顔を一つ。それで一応スルーしてくれるらしい聖騎士は「さて」と話を仕切り直す。
「君が望むなら我々は君を歓迎しよう。さあ、どうする? 花巻咲」
「僕は―――」
 答えは最初から決まっている、なんて格好は付けられないが、渡りに船とはこのことか。
 差し出された手をすっと握り返し、咲は答えた。
「これから、どうぞよろしくお願いします」



* * *



「さっ、咲がピアスあけてるぅぅぅううう!?」
 週末明けの月曜日。隣に座る夜がふと咲の方を向いた瞬間、椅子をガタガタと鳴らして立ち上がりながら叫んだ。
 土日のヴァチカン出張による時差ボケで半分身体が眠っていた咲はびくりと肩を揺らし、次いで夜が指差す己の左耳に手をやった。
「ん、あーなんや今気付いたんか。そやでー。日曜に開けてきました☆」
 どこぞの理事長ではないが語尾に星マークをつけつつ、咲はニカリと笑う。
 金髪の影に見え隠れするそれはプラチナの台座に青と赤の宝石が埋め込まれていた。少々値は張ったが、祓魔師としての稼ぎがあるので別段痛い出費ではない。それにかかった金額よりこれを身につけている意味の方が咲にとっては大きかった。
「きれーだな。この青い方、師匠の目ぇみたいだ」
 奥村燐の瞳の色を身につけるのは青十字騎士会メンバーにおける暗黙の了解のようなものだ。無論、強制ではなく、皆が自分の意志で身につけている。
 アーサー・O・エンジェルの推薦により昨日そのメンバーに加わった咲は早速青い物を身につけることにした。が、これは咲が燐を敬愛している証ではない。
 咲にとっての本命はブルーサファイヤの隣で輝くガーネット。こちらを見つめる夜の瞳と同じ色だ。咲が敬愛し、大切な存在だと思えるのはこの目の前の友人の方。その思いを込めて咲はこのピアスを選んだ。
「この前ふらっと買い物行って見つけたんよ。一目惚れってやつやね! まぁ僕は赤い石の方が好きなんやけど」
「咲は青より赤派だっけ?」
「んー? ん、まぁそやな」
「へぇ。ちなみに俺はどっちも好き」
「さよか。好きなもんは多い方がええわ」
 咲が抱いているのは重い想いだ。ゆえに真実を夜に明かすつもりはない。あとは適当に誤魔化し、他の話題を振ってピアスの件は終了させる。
「そういやもうすぐ祓魔師認定試験やんねー。絶対受かろな、夜」
「おう! ったりめーだろ!」
 きっともうすぐ後輩≠ノなるであろう夜の元気な返事に笑みを深め、咲はピアスの赤い石を指で撫でた。







2012.10.30 pixivにて初出