候補生認定試験当日。
 燐が少しばかり話してくれた認定試験は強化合宿と称して実は試験だというものだったらしいが、夜が受ける今回の試験はそういったフェイクが無い。
 生徒達を油断させるシチュエーションが不要であるため、試験が行われたのは学園内の建物ではなく、同じ学園の敷地内だが完全屋外の森。これもまた燐にとっては馴染みのある森だそうだが、生憎試験を受けるのは夜であって燐ではない。加えて燐本人はヴァチカン本部の方からちょっとした任務を言い渡されてしまい、夜が試験を受けている間は鍵を使ってどこかの任務地に出張中である。
 夜が悪魔であることや夜を庇護する燐が一部の上層部に未だ煙たがられていることを考えれば、いくらか不安がある。しかしだからと言って祓魔塾に通って祓魔師の称号を得るためには試験を受けずにいられるわけもなく、ひとまず気を抜かずにいるくらいしかできない。
 横やりの有無は気になるものの、試験内容自体は至ってシンプルだった。日が高いうちに正十字学園内の森に入ってベースキャンプを作り、日の入りと共にスタート地点から各自一斉に出発。個人別に指定されたポイントを経由して戻ってくると言うものである。
 森の中には下級の悪魔が住み着いており、そこに加えて手騎士に従う中級の悪魔を要所に配置しているのだが、気が緩まないよう祓魔塾徒達には「悪魔が出る」ということまでしか知らされていない。生徒達は個人で、また必要に応じて複数で協力体制をとりながら定められたポイントに辿り着き、悪魔の妨害をクリアしながら戻ってくるというわけである。
 リタイア時には基本装備品として配られた物の中にある特殊なロケット花火を使うよう教師から生徒に指示があった。説明した教師もとい志摩柔造はそれを見ながら「十年前からいっこも変わってへんなぁ」と呟いていたので、どうやら祓魔師および祓魔師予備群の中では安心と信頼のロングセラー商品なのだろう。
「けど使わずに済むならそれに越したことはねぇよな」
 途中、中級の悪魔の妨害に遭ったものの、難なく指定ポイントから折り返してきた夜はスタート地点に戻る道すがらぽつりと独りごちた。
 悪魔の力を封じている刀は袋に入れて背中に来るよう斜め掛けしている。こちらは自身の力で暴走することが無いよう使用不可とされており、代わりに夜の得物となっているのはかつて燐が使用していたという刀身に梵字が刻まれた一振りの日本刀だ。
 他の塾生達と比べて単体の攻撃力が高く、襲いかかってくる悪魔にも力押しが可能な夜はここまで一人で進んできた。指定ポイントに辿り着いた証拠となる守り札――と言っても退魔効果等があるわけではない、少し丈夫なだけの紙切れだ――も、しっかり上着のポケットに入っている。
「咲はもうクリアしてんのかなー」
 何とはなしに夜がそう告げた直後、
「あー夜はっけーん!」
「うお? 咲じゃねーか。まだクリアしてなかったのか」
「おん。帰る途中やで。夜も?」
「うん、そう」
 ガサガサと茂みの奥から咲が顔を出した。咲は夜の隣に並ぶと、自分が指定されたポイントは途中に古い吊り橋があり、行き道の時に渡りきった途端壊れてしまったのだと教えてくれた。
「せやから帰りは遠回りせなあかんかったんや」
「吊り橋かー。この森って谷とかあったんだな」
 夜が想像したのは峡谷を流れる川とその遙か上空に架けられた橋というイメージだった。しかし夜のその台詞を聞いた咲は急にげんなりとした顔で、
「ちゃうねん。すっごい浅いとこやったんやけど」
「浅い? もしかして足が濡れねぇように回り道したってことか?」
「水やったら良かったんやけどなー……」
 遠い目をして咲は続ける。
「芋虫やった」
「は?」
「水と違ぉて、膝くらいまでなんやよう判らん芋虫がうようよしてたんや」
「……おおう。それは」
「迂回できるもんなら迂回したなるやろ」
 肩を落として低い声で唸るように告げた咲に夜はこくりと頭を縦に動かした。
 必要に迫られれば問答無用で突っ切ってみせるが、そうしなくても良いならば避けて通りたい障害物だと思う。そして咲はその通りに迂回してたまたま夜の帰路と合流したわけだ。
 多少の差はあれど各自のスタート地点・指定ポイント間は(順調に進めば)片道一時間から一時間半程度といったところであり、夜達が今いる地点からスタート地点までは徒歩で四十分程度の道のりである。一応は森にいる悪魔の強襲に備えながらも、二人はざくざくと下草を踏みつけながら一緒に歩きだした。
 塾での一件はどうなるかと不安になったものの、こうして歩いていると先日のことなどまるで気にならなくなってくる。咲の態度もいつも通りであり、夜はほっと胸を撫で下ろした。
「そういや進路調査のことだけど、咲は竜騎士と詠唱騎士のところに丸してたよな。二つも取るって大変なんじゃねえの」
「大変やろうけど、竜騎士になって弾切れしたら目も当てられへん。それやったら一緒に詠唱騎士も取っといて、いざっちゅう時は詠唱で対応できるようになろかなーって」
「へぇ……考えてんなぁ」
「まぁ騎士が取れたら良かったんやけど、僕、銃はそこそこでも剣はちょっとアレやから」
「そうか? 体育の授業じゃ上手くやってるように見えたけど」
「あんがと。でもアカンねん。接近戦苦手なんよ。どうも斬った感触とか体液ドバーってかかったりすんのとか遠慮したいなぁて」
「ふぅん。とりあえず咲は中・遠距離型なんだな」
「夜は近距離型やんな。おお、相性ぴったり。いざっちゅう時はよろしゅうな」
「おう! 任せとけ!」
 咲がどうして悪魔を斬った時の感触や体液をかぶることを嫌うのか≠ニいう理由までは気にせず、夜はニカッと笑う。
 だが、その時。
「夜っ!」
「わかってる!」
 ガサッと脇の茂みが動いた瞬間、二人は素早く後退した。茂みを割り、二人が直前まで立っていた場所に現れたのは四本足の獣。形や大きさは狼に似ていたが、その体は毛で覆われておらず、濁った水でできていた。
 獲物を捕らえ損ねたと判った濁水の獣は鼻先を夜達に向ける。唸り声の代わりに体内でごぽりと気泡が立った。
「なんだ、こいつ」
「悪魔なんやろうけど……見た目から判断するんやったら『水の王』の眷属ってところやろか」
 教科書でも見たことがない悪魔の姿に二人は緊張の度合いを高める。
 水で形成されているような見た目から『水の王』の眷属かと見当はつけたが、その水の腐敗具合も考慮すると『腐の王』との関係も捨てきれない。だが二つの王の属性を持つ悪魔などいるのだろうか。
「……すっげぇヤな感じ」
「そらピンチっちゅうやつやしな」
「それもあるけど」
「夜?」
 悪魔としての夜の感覚が目の前の四本足の悪魔に対して恐怖ではなくすさまじい嫌悪感を抱かせる。本来あるべき形が崩れたような、無いはずのものを無理やり作り上げたような。冒涜だ、と。ただそう思った。
「あいつ、すっげぇチグハグ。気持ち悪ぃ」
 自分でもそう思う原因など判らない。だが本当にそう感じてしまっているのだと、夜は濁水の獣から視線を離さず咲に告げる。
「チグハグ、か」
 咲はぽつりとそれだけ言った。金髪の下ですっと両目が細くなる。
 隙を作ったつもりはなかったが、耐えきれなくなったのか獣が飛びかかってきた。二人は左右に飛んでそれを避ける。濁水の獣の攻撃は単純なので避けることはさほど難しくない。スピードは速いが。ともあれ知能はあまり高くないと推測された。
 避けると共に夜は梵字が刻まれている方の剣を抜刀する。ついでに咲を一瞥したが、彼は武器を持っていなかった。
(ま、そうだよな)
 普通、候補生認定試験の時点で自分用の武器を持っている生徒などほとんどいない。夜が特殊な例なのだ。
 夜の視線に気付いた咲が苦笑を浮かべる。
「僕のことより自分のことやで、夜。僕はまあ、それっぽい聖句覚えてる分だけ片っ端から唱えていくさかい」
「了解。早めにヒットしてくれんの祈っとく」
 気休め程度に足下の木の枝を拾い上げる咲から視線を外し、夜は剣を構え直した。ここで咲と夜の身を守れるのは自分だけ。教師達に居場所を知らせる花火を使うのは「リタイア」という文字が背後に控えているため躊躇われる。それにいざと言うときは戦闘で両手が塞がる夜に代わって咲が使ってくれるだろうという思いもあった。そうしたら二人一緒に失格になるのだろうけども。
(そうならねぇためにも、いっちょやりますか!)
 気合いを入れて地面を蹴る。元々猫によく似た身体であったこと、またこの肉体に流れる血によって瞬発力には自信があった。
 一気に近づいた夜に反応しきれなかった獣が一太刀目を受ける。だが肉を斬るような感覚ではなく、本当に水の中に刃を差し込んでいるかのようだ。夜はヒット・アンド・アウェイ方式で一撃を加えた後はすぐに距離を取る。観察するとダメージは与えられたようだったが、それは太刀傷によるものではなく、刀身に刻まれた梵字の効果によるもののようだった。
(つーことは、頼りになんのはこのオマケ程度の梵字様だけってことか)
 無いよりマシだが、いささか心許ない。刃でダメージを与えられる普通の悪魔ならば良かったのだが、今の相手は物理攻撃が効かない類のものだ。
 しかも……
「おいおい、マジかよ」
 本当に片っ端から覚えている聖句を声に出している咲も一瞬だけ言葉を止めた。そんな場合ではないとすぐに再開されたが、驚きは夜と同じだろう。
 詠唱のため無防備になっている咲の傍に夜が駆け寄る。その二人を取り囲むのは濁水の獣。……そう、取り囲む≠セ。茂みを揺らして新たに現れたのは、最初の悪魔と同じ容姿をした存在。しかも一体だけでなく、もう一体、更に一体と、茂みを割って次々に姿を現す。
 最終的に二人を取り囲むようにして現れたのは合計十体の悪魔だった。普通の悪魔とは違うチクハグなそれらに取り囲まれて正体不明の気持ち悪さは更に悪化し、吐き気すら覚える。
 だがこちらの体調不良に合わせて退いてくれるような奴らではない。むしろ好機と取ったのか、群の中の一体が夜に飛びかかってきた。
「ナメんな!」
 一閃。刃を水平にして飛びかかってきた相手の力も利用しながら横に薙ぐ。梵字を刻んだ刀身に触れている時間が長かったためか、先程の一撃よりも大きなダメージを与えられたようだった。攻撃を受けた悪魔が身体を痙攣させている。これでしばらくは動けないだろう。
「次!」
 声と共に一歩踏み出し、夜の剣が一番近くにいた二体目に届く。そのまま相手を突き刺して、横から大口を開けてジャンプしてきた三体目にぶつける。その頃になると他の悪魔達も仲間につられるように攻撃を開始し、四体目が夜の足を狙って噛みつこうとする。だが夜は左足を軸にして右足を蹴り上げ、四体目の顎を爪先で砕く。
「って、やっぱダメか!」
 砕いたと思ったのだが、爪先は濁った水を蹴り上げて一時的に形を崩したものの、後退したそいつが再度飛びかかる頃にはしっかり元に戻っていた。
 今度は胴を狙った攻撃に夜はバックステップで回避し、二体目と三体目を吹き飛ばして空いた刀を上から下に振り降ろす。頭を真っ二つにする一撃だったはずなのだが、頭蓋骨のような堅い感触は全く伝わってこない。やはり水を斬る感触。だが梵字の効果で攻撃を受けた悪魔は夜に噛みつく力を失って地面に伏した。
 と、その時。夜の耳に届いていた声が途切れる。
「っ! 咲!!」
 振り返った夜の視線の咲、詠唱する余裕をなくして悪魔の攻撃を避ける咲の姿があった。夜が他の悪魔に気を取られている隙にひっそりと近寄ってきていたのだろう。
 今の咲は武器を持っていない。ぞっと背筋を冷たいものが這う感覚の中、夜はきびすを返し、咲に襲いかかる悪魔の前に自分の身体を突っ込ませた。
「っぐあ」
「よ、る……!」
 視界の端で咲が大きく目を見開く。なんでそんな意外そうな顔してんだよ、という軽口はさすがに出せなかった。
 脇腹に走るのは激痛。そして噛みつかれた傷口から気味の悪いものが流れ込むのを感じる。
「なん……なんで僕のことなんか庇ったんや! お前は深山鶯最中を助けなあかんのやろ!?」
「そーだけどさ」
 珍しく取り乱す咲に夜は苦笑を浮かべた。
「お前も俺にとっては大切な奴なんだから……しょうがねぇだろ」
 最後の力を振り絞って脇腹に噛みつく一体を剣で突き刺して無力化し、夜はそう返す。
 まったくもって咲の言う通り、深山鶯最中は大切な人間だ。しかし今、目の前でピンチに陥っているのに助けないほど、夜にとって咲がどうでもいい人間だとは絶対に認めない。
 咲が息を呑む気配がする。しかしそれをきちんと見ることができない。
 気持ち悪さをはっきりと感じるのに反し、急速に視界が暗くなっていくことに夜は焦るが、どうにもできないままその意識は暗闇へと落ちた。



□■□



「なん……なんで僕のことなんか庇ったんや! お前は深山鶯最中を助けなあかんのやろ!?」
「そーだけどさ。お前も俺にとっては大切な奴なんだから……しょうがねぇだろ」
 そう言いながら脇腹から血を流してく苦笑する夜を見た瞬間、咲の根底がガラガラと音を立てて瓦解した。悪魔は全て憎しみの対象である。けれど。
(ああ、もう。ホンマかなわんなぁ)
 ―――それはもう夜には当てはまらない。この優しすぎる悪魔は咲にとって勿体無いくらいの友人≠セった。
「しょうのないヤツやで」
 呟きながら咲は立ち上がる。傍らに伏した夜はすでに気を失っていた。濁水でできた獣達は未だ健在で、こちらを狙ってぐるりと周囲を取り囲んでいる。
 咲は夜を優しい視線で一瞥した後、軽く肩を竦めた。そして荷物の中に紛れ込ませていたそれ≠取り出すと、瞬時に構えて銃口≠敵に向ける。
「ほな、命がけで庇ってくれたダチのためにも、いっちょ本気出したろか」
 不敵に笑い、咲は本来の己の得物である銃の引き金を引いた。



* * *



「夜!」
 最後の空薬莢が地面に落ちるよりも早く、咲は夜に駆け寄った。視界の端でラスト一体になっていた悪魔がぱしゃんと音を立ててただの濁った水に戻る。
 咲を庇って脇腹に噛みつかれた夜は蒼白な顔で気絶している。彼が受けたのはただの噛み傷ではない。悪魔を形作っていた濁水をそのまま利用した汚染≠セ。
 本来ならば聖水を用いて治療できる怪我なのだが、悪魔である夜にその治療方法は使えない。
「どないしたらええんや」

「心配は要りません。それくらいじゃその身体は死にませんから」

「!? 誰や!」
 突然現れた気配に咲は素早く振り返る。その背に夜を庇う形で。
 そして目にした人物に驚愕する。
「アンタは……」
「初めまして、ですかね。花巻咲くん」
「奥村、雪男……」
「呼び捨てですか」
 苦笑し、現れた人影―――奥村雪男が咲達の方へ歩み寄ってきた。
「一応、僕の方が先輩ですし、位も一つ上なんですが」
「それは失礼しました、奥村上一級祓魔師」
「別にもういいですよ。こちらこそ意地悪を言ってすみません。悪魔と一緒に悪魔を育ててる祓魔師なんて君にとっては嫌悪の対象にしかならないでしょうし」
「……」
 どうやら雪男は咲の事情をそれなりに知っているらしい。悪魔嫌いである部分を指摘されて咲はそう悟った。
「でも」
 雪男は口を噤む咲とその背後を見やって眼鏡の奥の目を眇める。
「例外が、できたみたいですね」
 まるで僕にみたいに、と雪男が続けた声は小さすぎて咲に届かない。しかし「例外」と言われた咲は雪男の登場に合わせて自分が無意識に守ろうとした夜を振り返り、眉尻を下げた。
「僕かてびっくりしてますよ。……そんで、夜が大丈夫やて言うんはホンマですか」
「本当ですよ。その身体は兄さん―――奥村燐の血と細胞から作られている。この程度の悪魔が流し込んだ毒程度じゃ死にません」
 雪男は「この程度」というところで足下の汚水を踏みにじりながら咲に微笑みかける。その態度で咲は悟った。人当たりの良さそうな顔の下に隠された素顔は咲と似ている。濁った水に戻った悪魔の残骸を一瞥した時の視線が、悪魔を嫌う咲のものと同じだったのだから。
 だからこそ今、背後に庇っている無力な状態の夜をほいほいと差し出せないとも思った。奥村雪男は夜の後見人である燐の実弟だが、きっと元々悪魔に好意を抱くような人間ではない。むしろ逆で、激しい嫌悪を覚えるタイプだ。
 そんな咲の警戒を読みとったのか、雪男は困ったように頬を掻く。
「そう堅くならないでください。僕はね、兄が好きなんです。だから兄が大切にしているものは大切だと思うようにしているんですよ」
 雪男の台詞は、つまり雪男に夜を害するつもりはないという意味だったのだが、さらりと告げられた内容に咲は違和感を覚えた。が、今はその違和感を問いつめる時ではない。
 ひとまず雪男の言葉を信じ、咲は次に解決すべき事項を口にした。
「そんで、奥村さんはなんでここに?」
「僕が試験官の一人だからです。とは言っても成績を判断する側ではなく、支部長の指示で生徒達を守る立場としての飛び入り参加ですが」
「生徒達、ねぇ……」
 おそらくそれは試験を受ける塾生全員を指しているのではない。ヴァチカンに目を付けられているであろう夜とその周囲にいることになるかもしれない誰かだ。
 そして支部長であるメフィストとその指示で動いた雪男の予想通り、夜はピンチに陥った。
「ホンマ、なんでもお見通しやなぁ。あの理事長は」
 からからと笑って咲は足下の水をぴしゃりと鳴らす。
「ネタバレといきましょか。っちゅうても、僕かてこないな所で上≠ェ手ぇ出してくるやなんて全然知らされてなかったんやけど」
「ネタバレ、ですか」
「そ。ネタバレですわ」
 そう言って咲はまず自分が使っていた銃を雪男の前に掲げる。
「いざっちゅう時に夜を止められるよう……ちゃうな。夜を殺せる≠謔、に、AAA濃度の聖水を詰めた特注の弾丸ですわ。もちろん祝福儀礼済みの聖銀もしっかり使ぉてるやつ」
 今やそれを夜に使う気などさらさら無いが。
「そんで、こいつらの話」
 足下の汚水を指して続ける。
「こいつらに物理攻撃は効かへん。『水の王』と『腐の王』の属性の悪魔を掛け合わせて作った人工の悪魔や。厄介っちゅうたら厄介やけど、普通の人間にとってはそれほどでもないよう作られとる。そん身体に高濃度の聖水を混ぜてやったら呆気なくオシマイや。おかげで夜を殺すために作った弾丸一発で死んでくれた」
「詳しいですね」
「ヴァチカンの反奥村燐派(うち)のアホ研究者らが作った試作品やさかいな」
 さすがに夜と一緒に襲われたのには驚いたが、元々人の命令を正確に聞けるほど高い知能を持っているわけではない。仕方がないと思う。かと言って味方≠ナあるはずの咲にまで危険が及ぶ場面でそれを使ったこと自体を許容するつもりもなかったが。
(って、もう味方≠竄ネいんやな)
 夜の身を本気で案じたのが今の咲の立場を明確に示している。
 未だ悪魔は嫌いだ。しかし人間の少女を救うと誓って、その一方で友達を庇うため敵の前に身を差し出すような夜の姿に、同じ思いを返さないわけにはいかなかった。もう夜をピンチに追い込むようなことはできない。
(ああもう、すっかり絆されてしもた)
 夜が青い顔で倒れていなければ、また雪男が目の前にいなければ、咲は今の自分の姿を大声で笑っただろう。
「悪魔と戦わせるための人工悪魔ですか。人間に都合が悪くなればさっさと消せるよう、人間には無害な聖水を最大の弱点としている。……その手腕をすごいと思えばいいのか、そういうものを作ろうとする考えに呆れたらいいのか」
「どっちもやと思いますよ」
 雪男の半分独り言になっていた台詞にそう返し、咲は己の銃を鞄にしまう。硝煙の匂いが服にも移っていたが、夜には濁水の悪魔を雪男が祓ったと説明すれば、咲の立場を疑われることはないだろう。
 夜の味方にはなるが、これまで自分が彼をどういう目と立場で見ていたかは知られたくない。少しでも不快に思われるのは嫌だった。
 そう思った咲は「奥村さん」と雪男を呼ぶ。
「お願いが一つあります。今回の件、夜を助けてくれたんは奥村さんっちゅうことにしてください」
「……わかりました。これからも夜をよろしくお願いします」
 咲の考えを読んだらしい雪男は少しの間を空けて頷いた。それにほっと肩の力を抜いて咲は頭を下げる。
「ありがとうございます」
「構いません。ところで試験はどうします? 今回は想定外の襲撃があったことを僕が証言できますから、このまま医務室に向かっても君達二人は合格ですけど」
「あー……それやったらお言葉に甘えます。人間と同じ治療はできんでも、このまま夜を地面に寝かしとくんはアレなんで」
「では担当の先生に伝えておきます。夜を運ぶのは……そうですね、理事長に頼みますか」
 彼も『燐の弟子』を医務室に運ぶくらいなら手を貸してくれるだろう。そういうニュアンスで雪男は告げると、コートのポケットから携帯電話を取り出してメフィストに連絡を取り始めた。
 了承を得られたらしい雪男の様子を眺めた後、咲は地面に伏している夜へと視線を向ける。傷口は早くも半分ほど塞がっており、顔色も徐々に回復している。雪男の言った通り、この身体は特別であるようだ。
 そのことに嫌悪や驚愕を覚えるのではなく、ただほっとする。
 汚れてしまった夜の黒髪を撫でて咲は小さく微笑んだ。
「おつかれさん、僕の親友」







2012.10.15 pixivにて初出

黒々しい雪男さん。少しでも「お前マジでか…!」と思っていただければガッツポーズです(笑)
そう言えばミーシャ内の彼はこういう立ち位置(性格)だったのです。