「花巻の件に関してはしばらく様子が見たい」
 夜が祓魔塾に入塾した日の深夜。柔造が駐輪場で花巻咲と交わした話について燐に知らせると、夜の師匠でもある悪魔の青年はしばらく考え込んだ後にそう言った。
「やっぱり問題は夜に対する塾生の反応っちゅうところか」
 今、咲を下手に刺激すれば、夜の周りにいる祓魔塾生の態度に悪影響が出るだろう。人との関わりについて学ぶ必要がある夜にとって、それはなるべく避けたい事態だ。
 そう思い、柔造が返す。だが燐の考えは少し違っていた。
「それもあるけど……」
「けど?」
「悪い奴って感じがしねーんだよ」
「どいつが?」
「花巻が」
「……はあ?」
「や、俺も夜が心配でちょっと様子見に行ってたんだ。塾の方だけ。だからついでに花巻のことも見かけたんだけど……なんつーの? 第六感ってやつ? なんかまぁ俺ってこんなん≠セから悪意とかには敏感なんだけどさ、花巻のは確かに悪魔嫌いなんだけど、ちょっと違うっつーか、情状酌量の余地アリっつーか」
「相変わらずの気配遮断スキルやな……」
 教室内にいた上一級祓魔師である柔造ですら気付けなかった気配に改めて燐の凄さを認識しつつ、「それはさておき」と柔造は急に痛みを訴え始めたこめかみを押さえて唸る。
「あんだけ悪意モロ出ししとった花巻が悪い奴やない、やと?」
 燐が見かけた咲は塾で猫を被った姿のみ。けれど柔造はその猫が剥がれた場合も目にしている。自分と燐の違いはそこだろうかと一瞬思ったが、燐ならば猫を被った状態でも「なんとなく」で気付いてしまうだろう。ならば本質を見誤っているのは柔造の方なのか。
 けれども、やはり心配だ。下手を打てば夜だけでなく燐にまで被害が及ぶ。燐はそれを承知で夜を内に引き込んだのかもしれないが、傍で見ている者にとってはあまりにも心臓に悪い。しかも人間とは違い、燐の場合は今でも反対勢力に負けることは即ち封印や処刑に直結する。
 この十年でだいぶ改善されたとは言え、その立場の不安定さは燐が表舞台に出た頃から変わらず油断してはならないものだと柔造は思っている。
 思っていたのだが―――。
「もし花巻が夜にとって害にしかならないなら、あいつが何かする前に塾に来られねえようにするし」
「……ん?」
(今、この子。なんて言うた?)
 とても恐ろしい言葉を吐いたような気がするのだが、柔造の聞き間違いだろうか。
 先ほど燐が口にしたのは、反奥村燐派イコール古株でそれなりに地位も持っている老人どもを中心にしたヴァチカン本部内の派閥から派遣されている咲を即行で排除できるという意味に聞こえてしまったのだが。
「燐くん、いつの間にそない心強い助っ人と知り合うてたん?」
「知り合うっつーか、この十年で俺のこと仲間だって言ってくれる奴らも随分出世したっぽくてさぁ」
 からりとした表情で燐は笑う。
 実はかつて燐に命を救われた者が十年経って今や立派な上級祓魔師や騎士團の要職に就いていた。聖騎士を拝命したエンジェルはその代表格だが、彼以外にも多くの者が騎士團中枢に食い込んで、そして燐の手助けをしたいと願っているのだという。
「モテモテやな」
「? おう! 『前』とは違って俺のこと認めてくれる奴が沢山いてくれっからマジで嬉しいな!」
「アカン。今、完全に一方通行片思いが大量生産されよった」
「柔造さん? なんか言ったか?」
「なんもあらへんよー」
 少なくとも一方通行片思い£Bより燐に近い場所にいるであろう柔造はへらりと笑って誤魔化した。
 そんな態度に対して燐は少しばかり首を傾げたが、深く追求する気はないらしい。
「まぁさっきの冗談はさておき」
 一体どこまでが冗談なのか明確にしないまま燐は声のトーンを変える。
「とにかく今は静観ってことで。俺達が下手に手を出すより、夜に任せてみたいんだ」
「……ま、燐くんがそない言うんやったら俺がやることもないわ」
 夜のことも燐自身のことも、全て燐に決定権がある。そして柔造は燐を信じているから、彼の決定には逆らわない。
 それを伝えると、燐は嬉しそうにはにかんで見せた。
「ありがとう、柔造さん。夜をよろしくな」
「おん」



□■□



 塾が始まってしばらく経ったある日のこと。
「よーるー!」
 本日最後の授業が終わった瞬間、隣に座る咲が満面の笑みで夜を呼んだ。「んあ?」と教科書を仕舞いながら視線を向ければ、咲はいっそう目を輝かせながら「あんなー」と口を開く。
「明日、塾ないやん?」
「おう」
「実習もまだまだ先やんか」
「そだな」
「宿題もちょこっとしか出てへん」
「ありがたいことだよな」
「そんでな」
「ん」
「僕、明日なんも用事ないねん」
「ほうほう」
「夜、時間ある?」
「作れって言われりゃ作れるけど。基本、何も無い時は勉強か剣の訓練してるし」
 それがどうかしたかと問えば、咲は小さくガッツポーズをしてから夜の手をぎゅっと握った。
「よし、行こか!」
「……どこに?」
「前に言うたやん! 僕のバイクでどっか行こ!」
 ニカッと、深山鶯最中のような優しいものとは異なるが、真夏に太陽へ向かって咲く花のような笑みで咲が告げる。
 実は夜自身そこそこ自覚しているのだが、どうやら自分は花を連想させるものに物凄く弱いらしい。根本にあるのは勿論、深山鶯最中の存在だ。彼女を少しでも思わせるものに夜は逆らえない。むしろ好ましく、嬉しく思う。
 ゆえに咲の提案にも夜は驚愕による僅かな空白を挟んだ後、すぐに「おう!」と頷いていた。
「メットは僕の貸すさかい、夜は何も持ってこんでええよ。場所は……そやな、行ってからのお楽しみっちゅうことで!」
「わかった」
 咲の笑顔を見ていると夜まで彼の気分が移ったかのようにうきうきしてくる。それから待ち合わせの時間と場所を決めて、一緒に教室を出た。
 まだ残っていた塾生達からは「またなー。咲、夜」とごくごく自然に声がかかり、初日の怯えていた態度が嘘のようだ。これは咲の行動に起因する。咲が最初から夜に対して恐れを見せずに好意的な態度を取ってきたため、他の生徒達も次第に祓魔師を目指す仲間として夜を認めるようになったのだ。
 夜は元々他人(最中以外の人間)の態度など気にするつもりはなかった。しかしこうして好意を向けられていると徐々にその大切さが分かってくる。これが燐の言っていたことなのだろうかと思いながら、夜はそのきっかけを与えてくれた恩人に「ありがとな」と声に出さずに告げた。
「ん? 夜、なんか言うた?」
「いや。じゃあ俺はここで。また明日な、咲」
「おー! ほな明日!」
 駐輪場へと向かう咲の背を見送って夜もまた旧男子寮へと繋がる鍵を取り出した。


 帰宅後、夕食の席で夜が咲との会話やクラスメイト達の態度について燐と雪男に話すと、師とその弟は「そっか。良かったなぁ(良かったねぇ)」と小さく笑ってみせた。彼らの反応に夜は気分を良くして、食べ終わった食器を運んだ後、意気揚々と部屋に戻る。
 夜が食堂を出て十分離れた後、
「……さて。夜の態度が吉と出るか凶と出るか」
「そうだね」
 燐がぽつりと呟き、事情を知っている雪男もまた小さな声で同意を返した。
「その花巻くんって子が夜のことを本当の意味で知ってくれればいいんだけど」
「ああ。ちゃんと人間と悪魔が分かり合えることもあるんだってな。悪魔全てには当てはまるワケねーけど、でも夜なら……」
 兄弟の密やかな会話は当事者達の知らないところで交わされる。
 悪魔と、かつては異常な程の悪魔嫌いだった人間と。抱える事情も背景も立場も異なるが、自分達と同じく「悪魔と悪魔嫌いの人間」という組み合わせに対して、燐と雪男は弟子とその友人の距離が本当の意味で縮まることを願った。







2012.09.01 pixivにて初出

オリキャラ咲くんの本性モロ出しを受けてからの保護者(燐&柔造)のターン! そして咲くんの夜懐柔計画に見せかけた咲くん絆されフラグが立ち……始めてるといいな。あと、兄さんの精神年齢(記憶)を計算したら、まぁこれくらい黒いのは普通かな、と。そう思うわけでありまして。だって兄さん、もうごじゅ【自主規制】