人間の中にも恐ろしい者、醜い者がいることは知っている。でもそれだけでは人間と敵対する悪魔を好意的に見るには理由が足らない。
 そもそも悪魔は存在自体が人間に害を及ぼすものだ。特に現役の祓魔師の中にも経験者が多い「青い夜」に関わりを持つ者なら、なおさらその意識は強いだろう。直接体験した者は言うに及ばず、親族――特に親や祖父母――が青い夜の経験者である場合、彼らの感情が籠もった話を聞かされて育った子供もまた悪魔への嫌悪は強くなる。
 そんな子供達の中でもごく一部―――とある悪魔≠ニ長短の差はあれど一時期を共に過ごした者達は初期に抱いていた感情を経験でもって塗り変えることができたのだが、とある悪魔と接点を持たなかった者は当然のことながら大勢いる。
 彼≠烽ワた後者の一人だった。
 彼の一族は「青い夜」によって多くの親族を亡くしている。祖父母や両親は難を逃れたが、その分恐怖が蓄積されており、その全てが彼へと注ぎ込まれていた。「青い夜」がきっかけとなり彼の一族が落ちぶれたのも悪魔を嫌悪する原因の一つだろう。
 悪魔への恐怖や憎しみは彼の力となり、彼は歴代最年少には及ばずとも若くして祓魔師の仲間入りを果たした。また力を磨くために生家を離れ、海を越え、祓魔師達の本拠地―――ヴァチカン本部所属として腕を磨いた。
 彼が持つ実力も悪魔への嫌悪も本物であり、肌の色で差別しがちな人間ですら彼を認めた。その証拠がまだ二十歳になっていない彼の「上二級」という地位であり、また「監察官」という立場だった。
「ははっ。悪魔のくせにホンマちょろいわぁ」
 一日目≠終えて、彼は嘲弄と共にそう呟く。
 資料に貼付されていた写真は何度も見たが、監察対象≠ナある本人を目にするのはこれが初めてだった。生粋の悪魔であり、しかも「青焔魔の落胤」の庇護を受けているとのことなのでそれなりに警戒していたのだが、何てことはない。その辺の学生よりも懐に入りやすい甘い$ォ格をしていた。
 どの部分が相手の琴線に触れたのかは判らない。しかしこちらの台詞や態度に一喜一憂する姿には愛おしさすら湧いてくる。無論、その「愛おしさ」とは、受ける本人から見ればあまり良い意味ではない性質のものであるが。
 これなら自分の仕事も問題なく進められそうだ。対象をそれと知られずに監察し、上位者の判断材料を集めるのが彼の仕事だ。しかし現実として彼が上位者から求められているのは、「対象が悪と宣言できる証拠(あら)を見つけること」である。相手の警戒を解いて距離を縮めるほど、また共にいる時間を長くすればするほど、それは見つけやすくなるだろう。
 彼は通学に使っているバイクのキーを指にひっかけてくるくると回しながら、上機嫌で正十字学園内にある駐輪場へと入っていく。
 対象との最初にして最大の接触ポイントである塾の担任が志摩柔造であったことには焦ったが、あちらがこちらに気づいた様子はなく、問題はないだろうと思われた。
 しかし―――
「よぉ、新入生。やっと来たんかい」
 駐輪場に止めてあった彼≠フバイクのすぐ脇に、つい先刻脳裏に浮かんだばかりの担任が立っていた。
 明陀出身であるにも拘わらずそちらの祓魔師コートではなく、本部仕様のロングコートを纏っている男だ。こちらも言えた義理ではないのだが、それはさておき。立ち止まって何も知らない無邪気な子供の顔を作る。
「こないな所でどないしはったんですか、先生」
「いやな、ちょいとばかしお前に聞いとかなアカン話があったんや」
 柔造は目尻を下げた柔らかい笑みを浮かべ、

「花巻 咲、十九歳。いくら童顔やからって、もう祓魔師資格を持っとるお前がなんで祓魔塾なんかにおるんや?」

 ぞっとするほど冷たい声音で告げた。
 彼―――咲はひょいと肩を竦め、あっさりと笑顔の仮面を剥ぐ。
「なんや気付いてはったんですか。教室で反応せんかったから隠し通せるて思てたんですけど……志摩家の跡継ぎはん≠熕lが悪いわぁ」
 身内的なニュアンスを含ませて咲が告げると、柔造は不快そうに眉を寄せて返した。
「気付かへんワケあらへんやろ。京都訛に『花巻』の姓―――電話で問い合わせたらすぐやったわ。俺ら志摩と同じ明陀の僧正血統の一角、花巻の次男やろ。さっさと明陀から出てヴァチカンに行ったさかい、顔知っとるモンは少ないけどな」
「仰るとおり、僕は『明陀の花巻』です。しかも祓魔師資格ももろてます。それで? 柔造さんはなんで僕がここにおるんやと思います?」
 最初の質問に質問で返す。勿論、相手の回答を予想した上でわざとだ。
 柔造にもそれが伝わったのか、更に眉間の皺を深く刻んで吐き捨てるように告げた。
「夜のあら探しか」
「加えて落胤殿のあら探しも暗黙の了解で承ってますけどね」
 夜を有害だと言えるだけの要素が見つかれば、かの悪魔を庇護するもう一人の悪魔も一緒につるし上げることができる。それが咲の上司であり「反奥村燐派」もとい「反青十字騎士会派」の人間の思惑だ。
 燐が夜の庇護を決め、その身体を用意する際に色々と青十字騎士会が動いた影響もあり、反青十字騎士会派の人間は随分と弱い立場に立たされている。しかしここで夜が有害だと認められれば、その立ち位置はずっと改善される……それどころか逆転するだろう。
 咲個人としては組織の立ち位置や発言権などどうでも良かったが、「青焔魔の落胤とその弟子」をまとめて裁くことができる可能性というのは非常に魅力的だった。悪魔に対し一般の祓魔師よりも強い負の感情を抱えている咲だからこそ。
 ともあれ。
「ま、僕は何もしませんて。僕の仕事は現状の監視と把握、それに上司への報告です。捏造でどうこうしても意味ありませんし、普段通り生活してはったら問題あらへんのとちゃいます?」
 あくまで悪魔嫌いの人間が文句を付けられないような生活であればの話だが。
 また、当然のことながら夜との距離を縮めることは「何もしない」の中に含まれない。
 咲の宣言に柔造は不快そうな表情を崩さなかったが、こちらもある意味で正式な仕事であることは理解しているのだろう。捏造した話でどうこうできるなら燐という存在が公式に認められた時にそうしているし、それができない――捏造した話など燐側の者達にあっさりと消されてしまう――からこそあら探し≠するのだ。
 仕事は公正かつスマートに。それは悪魔嫌いの咲にとっても変わらない。
「そういう訳で、帰ってもええですやろか」
 柔造のすぐ傍のバイクを指差して咲はさらりと告げた。再び生徒の仮面を貼り付け、笑顔まで浮かべて。
 こちらが不正をしない限り、柔造も強くは出られない。今にも舌打ちしそうな顔つきで一歩下がった教師に「どうも〜」と間延びした会釈をして、咲はバイクに跨った。
 慣れた所作でフルフェイスのヘルメットを被り、シールドを上げて柔造に視線を送る。
「僕のこと、教室のみんなに言うても構いませんけど、あんまりオススメもしませんえ。先生は知ってはるかどうか分かりませんけど、僕が夜に近付いたおかげで教室のみんなも夜を怖がらんようにし始めてますし。それがまぁ僕の態度が演技やったって知ったら……それどころか夜が見張られるような存在≠竄チて知ったら、どないなるでしょうね?」
「脅しのつもりか?」
「ただの忠告ですよ」
 くすりと笑い、咲はエンジンをかける。
「ほな先生、さいなら」







2012.08.20 pixivにて初出

前回友好的だった彼が実はアレでした…というお話。このあと先生(柔造)が保護者(燐)に報告に行くはずです、きっと(笑) でも兄さんまだ動かないよ! そして根底に柔燐なんだけど全く分からないよ!orz