Q.俺を拾ってくださった方が虚無界で最も高貴な存在のご落胤でした。どうすればいいですか。
A.どうにもならないので、流れに身を任せましょう。

 そんなQ&Aが夜の頭の中で繰り返されたのは、全身に負った傷がそれなりに回復するまでずっとだった。つまり数日どろこの話ではない。
 しかしながら慣れとは恐ろしいもので――それプラスご落胤もとい燐の気質により――、つたない敬語から同世代の知人のような口調に変わるまで三ヶ月もあれば十分だった。その頃にはちょうど怪我も完治しており、夜が抱えた事情も説明済み。パズスを倒し最中を救うため、夜が悪魔を倒す力を手に入れる―――つまり祓魔師になるための行動が本格的に開始された。
 猶予は深山鶯最中が十六歳になるまで。およそ十年。
 長いようで、力を手に入れるにはあまりにも短い期間の中、まず最初に夜へ課せられたのは人型の身体を得てそれに慣れること≠ナある。
 人間に憑依しているメフィストや元々人間の姿で生まれてきた燐と違い、夜はずっと四足歩行の獣の姿で生きてきた。しかし祓魔師として燐に指示するならば、なるべく燐と同じ人型である方が良い。それに人型ならば人間と言葉が通じる。
 そんなわけで、夜の傷が癒えた頃、燐は一振りの日本刀を持ってきた。
《師匠、これは……?》
 燐のことを師匠と呼ぶ夜の目の前に置かれた日本刀。ただ切れ味を良くしただけの鉄の棒ではない。何か強い力を感じる。燐の心臓を封印しているという倶利伽羅ほどではないが、赤い柄のその刀からも言い知れぬ力の気配を感じ取ることができた。
「俺のダチに頼んで用意してもらった」
 その友人のことが余程大切で尊敬しているのか、燐は誇らしげにそう告げる。
《友達に頼んで? 一体何に使うんだ?》
 獣の姿をした自分には刀を扱うことなど勿論できない。まさかと思う夜に燐は頷く。
「これにお前の心臓を封印する。ある程度悪魔の力を抑えた状態で今の獣の身体から人型の身体に乗り換えてもらおうと思う」
《そんなことできるのか? そりゃ俺みたいな低級の悪魔なら憑依できる身体も見つけやすいけど、それでも波長が合う人間を探すなんて》
「誰が人間を探すなんて言った?」
《え?》
 てっきり人間の身体に憑依して、その姿で祓魔師の修行をすると思っていたのだが、その予想はばっさりと燐に切って捨てられる。
 しかし、それならば一体どうやって人型の身体≠ネど手に入れるのだろうか。
 と、そこまで考えて夜は違和感を覚えた。なぜ燐は「人間」や「人間の身体」ではなく、あえて「人型の」という表現をしたのか。
 実のところ夜は燐が扱える権力(燐自身の分と燐の支持者達の分)や彼の弟がどういう方面に強いのか、またメフィスト・フェレスが物質界を満喫する中で一体何をやらかしてきたのか、全くと言って良いほど知らない。ゆえに――もしくはそれを知っていたとしても――己の師匠の弟が遅れて現れた時、彼が背負って持ってきたそれ≠ノ度肝を抜かれた。
《え、し……師匠? これって》
 雪男が背負って持ってきたのは人の形をしていた。それどころか燐と瓜二つと言って良いほどの容貌を持っていた。
 閉じられた瞼の奥にある瞳の色は判らないが、本当の双子の兄弟である雪男よりも燐と似ている。見た目が燐よりも幼いため、彼の弟と言えば十中八九信じてしまうレベルだ。
 夜が燐と目を閉じた何かを交互に見比べると、苦笑を浮かべた師匠本人から苦笑と共に答えがもたらされた。
「これがお前の身体だ。お前との親和性を高めるためにお前の血と同じ悪魔である俺の血を使ってる。ま、俺の血の方が強すぎたみてえで形は俺そっくりになっちまってるんだけど」
 雪男が椅子に座らせた燐と同じ顔をした人形。魂の入れ物。夜を迎え入れるためだけに作られた夜の新しい身体。
 これで剣を握ることができる。最中を救い出すための第一歩をようやく踏み出すことができるのか。
《……ッ》
「おいおい、感極まるのはまだ早ぇぜ。そりゃ雪男とかメフィストとかそれ以外の奴らにも協力してもらって作った入れ物だから喜んでくれるに越したことはねーけどな。本番はこっからだろ?」
《ししょう……ッ!》
 こくこくと何度も頷き、夜は改めて己の師に頭を下げた。
《よろしくお願いしますっ!》



□■□



 時間は少し遡り、夜に人型を与えた方が良いのではと燐が考え始めた頃。燐が一番最初に相談を持ちかけたのは弟である雪男だった。
 人間の身体が必要であったとしても、この世に生きる誰かを犠牲にすることはできない。死者に憑依させる方法もあるが、それもまた死者に対する冒涜であり、加えて夜本人が『腐の王』の眷属ではないため、その案はあまり現実的でなかった。
 ならば、と雪男は言った。
「僕らで夜の身体を作れないかな」
 見繕うのではなく、創造する。
 弟の案に燐は顔を輝かせ、それを実行に移すため次に足を運んだのはメフィスト・フェレスの元。雪男もそれなりに生体系の学問には精通しているが、それでも人と同じ身体を一から作り上げることは難しい。ゆえにメフィストに誰か専門家を紹介してもらえないかと思ってのことだった。
 しかしある意味で嬉しい誤算だったのは、メフィスト本人に人体を作る知識があることだった。燐にとってメフィストは信頼できる人物であり、その人物本人に直接協力してもらえるのなら、これ以上に心強いことはない。
 案が出て、作成方法も提示された。
 次に必要なのは夜を人型の身体に押し込めるため燐と同じく悪魔の力を封じる手段である。これにはかつての級友である勝呂竜士が協力してくれた。京都に根を張る組織として、倶利伽羅ほどではないにしろそれ相応に退魔の力を持つ刀を提供してくれたのだ。
 こうして夜のために身体を用意する実際の道具と手順が隣の手元に集まった。次に必要なのは騎士團の許可である。
 秘密裏に作り上げることもできるが、これから夜を正式な祓魔師にすることを考慮すると、なるべく不正になるようなことは避けた方がいい。
 ただし馬鹿正直に騎士團上層部へ許可を求めても成功率は限りなく低かった。許可を求める内容――悪魔に憑依させるため人間と見分けがつかない身体を作ること――もそうだが、何より燐が°哩ツを求めているというのが上層部の一部の者達に忌避されるのである。
 青十字騎士会の働きのおかげで燐に否定的な人間はかつてと比べて随分少なくなったが、決してゼロになることはない。また青十字騎士会に排除されるほど強行派ではなく、しかしながら燐の提案に否定はしないが賛成も示さないという者達もいる。
 そういう者達への対策として、燐に好意的な者と本当の意味で中立派の者にまず根回しをする必要があった。騎士團上層部のごちゃごちゃと面倒なことに関して燐が相談を持ちかけられるのは―――
「よくぞこの俺を頼ってくれた! なになに、悪魔を倒すため別の悪魔に人間と同じ身体を与えるか! いいぞ、私から皆に働きかけておこう」
 アーサー・O・エンジェル上一級祓魔師にして現在の聖騎士=B
 藤本獅郎が年齢を理由に引退を宣言し、それを継ぐ形でアーサーが聖騎士になった。おかげでアーサー率いる奥村燐肯定派の青十字騎士会の勢力は更に増している。そのアーサーと騎士会が根回しを担当すると了承してくれた。
 ちなみに正十字騎士会がどれくらい大きな勢力になったかというと、当初ヴァチカン本部に内包される団体の一つであったものが、十年の月日を経て各支部に仲間を持つようになっていた。例えを挙げると、十年前の団体のフルネームが『正十字騎士團ヴァチカン本部青十字騎士会』ならば、現在は『正十字騎士團青十字騎士会ヴァチカン本部』『正十字騎士團青十字騎士会日本支部』と言って差し支えない規模になっているのである。
 なお、この名称は一応非公式なものであるため、祓魔師の免許証に青十字騎士会の文字が入ることはない。……が、アーサーはいずれ免許証に青十字騎士会の名前を入れるつもりであるらしい。そして今のところ青十字騎士会のメンバーには正式な免許証の他に青十字騎士会バージョンの免許証が発行されている。
 余りに成長しすぎる青十字騎士会に、一度、燐は冗談でアーサーに正十字騎士團を乗っ取るつもりかと聞いたことがあるのだが、その際の返答は「俺はただ自分と同じものを好いている同志を集めているだけだぞ?」というものだった。アーサーの言う「好きなもの」が何であるか自覚しているだけに、それ以上突っ込んで問うことはできなかったが。
 ともあれこれで問題は全て解決し、夜と燐の血を使って夜のための身体を作る作業が始まったのだった。







2012.06.30 pixivにて初出