「にゃっほー。アーサーのハゲに新しい部下ができたって聞いたんで見に来たんだけど」
 その第一声を伴って任務終了直後の自分達の前へ現れた人物に、雪男は盛大に溜息をつき、彼とペアを組んでいた燐は小さく苦笑を浮かべた。
 毛先が金色に染まった赤く長い髪。露出面積の大きな服。しかしその身のこなしは上一級という資格に見合った超一級品。そう、二人の前に現れたのは―――
「シュラさん……どうしてここに」
 ―――霧隠シュラ。正十字騎士團ヴァチカン本部所属にして、あのアーサー・O・エンジェルを上司に持つ祓魔師である。
 この二度目の人生で姿を見るのは初めてだが、懐かしい彼女の出で立ちに燐は知らず頬を緩めた。
 青焔魔の落胤≠ェ生後間もなく死んだことになっていたため、燐の悪魔覚醒と高校入学に伴って彼女が祓魔塾にやって来るという事態も起こらず、燐はずっと彼女を一方的に知っているにすぎなかった。それがまさか、こんな形で再会≠キることになるとは予想外である。
(そりゃアーサーの所為で俺はヴァチカン本部所属になってるけど)
 いくらシュラと同じ本部所属の祓魔師になったとは言え、燐は高校を卒業するまで日本支部預かりになることが決定している。これは燐の所属を知った雪男を筆頭に日本支部メンバーでヴァチカン本部の青十字騎士会に喧嘩を売った結果なのだが、それはさておき。
 ともあれ燐としてはシュラと初対面という名の再会≠するのはもう少し先になると思っていた。
「本部での仕事はどうしたんですか」
「休暇中。久々にビビリの顔も見たかったしな」
「だから僕はビビリなんて名前じゃないと前から何度も……」
「まぁそんな目くじら立てんなって」
 カラカラ笑うシュラだったが、その瞳がふと燐を捉えた。雪男との軽口で緩んでいた頬がすっと引き締まり、彼女の変化を察した雪男もまた呆れを浮かべていた顔に緊張を走らせる。
「シュラさん」
「そいつが青焔魔の落胤で初っ端から中一級認定された奥村燐かにゃー?」
「ああ。俺が奥村燐だ」
 一歩前に出て燐が頷いた。
 潔いその態度はシュラに好感を抱かせたらしく、彼女はふっと口元を緩めて名乗る。
「アタシは霧隠シュラ。正十字騎士團ヴァチカン本部所属でアーサー・O・エンジェルの部下だ。それから……」
「ジジィ―――藤本獅郎の弟子で、雪男の姉弟子なんだろ?」
「知ってたか」
「ちょっと話を聞いただけだよ」
「ほうほう。じゃあ雪男の候補生時代のあれこれは」
「詳しく知りたいので是非教えてくださいシュラ大先生」
「ちょ、兄さん!?」
「冗談だっつの」
「あははっ! お前面白いやつだなー」
 燐の悪ふざけに雪男が焦り、そしてシュラが思わずといった風に吹き出す。
「アーサーんとこの連中はみんな頭が堅くって冗談とか言えねー奴らばっかりなんだよ」
「しかもアーサー本人は天然だし?」
「お、それも知ってたか」
「ハゲって言ったら『俺はハゲじゃないぞ』って普通に返すだろ、あいつ」
「そうそう!」
 燐本人はこちらの世界でアーサーに暴言を吐いたことはないのだが、前の世界でシュラが散々言っていたのは覚えている。それを話題に出せば、シュラは嬉しそうに笑い声をあげた。
「兄貴の方が話わかってるなぁ! 雪男も兄貴を見習ってもうちょっと肩の力抜いていけよー」
「余計なお世話です」
 ずれてもいない眼鏡の位置を直しながら返す雪男の声はどこか不機嫌だ。
 原因はヴァチカン所属のシュラが青焔魔の落胤である燐にただ会いに来ただけとは考えにくく隠れた真意を警戒しているから……というのもあるのだが、その一方で初めて会ったはずの姉弟子と兄の仲が妙に良いのも半分くらいを占めていたりする。ただし前者はまだしも、後者に関しては燐の予想の範囲外である。
「なんだビビリはブラコンだったのか」
「? シュラさん、何か言いました?」
「いんや。何でもないよ」
 さすが姉弟子と言うべきか、雪男の不機嫌の理由を完全に把握しているシュラはニシシと笑って首を横に振った。言葉と態度が一致しておらず雪男の不審を煽る結果になったが、シュラがそれ以上説明することはない。
 一方、悪魔化により常人よりも聴力が格段に上がっている燐は、シュラの台詞をはっきりと聞き取りつつも彼女の発言に関しては軽く聞き流すだけだったので、特にリアクションらしいリアクションはなかった。強いて言うならば、自分の方がブラコンじゃなかろうかと思った程度である。
「さってと。お前ら、もう任務は終わりだよな?」
「ええ。誰かさんのおかげで報告のために帰還できないのが唯一の問題ですけどね」
「ハイハイそりゃ済みませんでしたー」
 雪男の棘のある発言をさらっと受け流し、シュラは続ける。
「じゃあこのシュラさんが先輩として飯を奢ってやろうじゃないか。折角日本に帰って来たんだし、アタシとしても日本食が恋しいからねぇ」
「……何を企んでいるんです?」
「人聞きの悪い奴だなぁ。素直に先輩の好意に甘えろっつの。……燐もそう思うだろ?」
「へ? あ、俺?」
「他に誰がいんだよー、燐」
 突然話を振られて燐が間抜けな反応をすると、シュラは不思議そうな顔をした。
 だが少しくらい驚いたっていいだろう。だって初めてシュラが燐を名前で呼んでくれたのだから。
 下の名前で呼んだのは彼女の性格や雪男と分けるためというのもあるだろう。しかし実際にこうして呼んでもらうと、彼女が自分を認めてくれたような、そんな気分になる。
 燐は自然と緩んでしまう頬を自覚しながら「俺はいいと思うけど」と答えた。シュラが何の意図で食事に誘うのかは不明だが、燐としては彼女と仲良くなる機会であるなら積極的に受け入れたい。しかも彼女はかつての燐の師匠でもある。つまりは特別な女性の一人だ。
 燐が承諾を返すと雪男は一瞬難しい顔をしたが、それでも兄の気持ちに反論するつもりはないらしい。「兄さんがそう言うなら」と消極的に自分もシュラの誘いを受け入れる。
「よし。じゃあさっさと報告済ませて飯行くぞー!」
 シュラの号令と共に三人は帰還の途についた。



□■□



「……あいつ、いい奴だな」
「そりゃ俺の息子だからな」
 奥村兄弟との夕食を終えた日の夜。シュラはかつての師である藤本獅郎を訪ねていた。雪男と燐は正十字学園の寮に入っているため、この南十字男子修道院にいるのは獅郎と数名の修道士のみである。
 修道士達には退席してもらい、二人は居間で酒の入ったグラスを傾ける。だが酒精に酔うことはない。弟子が久しぶりに師匠を訪ねたという形にはなっているが、実際にはヴァチカンの人間が日本支部預かりになっている青焔魔の落胤を視察しに来たというのが真実なのだから。しかもこの場合、ヴァチカンの人間≠ナあるシュラは上司にして燐に好意的なアーサーの部下としてではなく、その上―――燐を未だ目の敵にしている一部上層部から派遣された密偵という立場だ。
 しかしシュラは自分が感じたありのままを本部に報告しても、誰も燐を罰することはできないだろうと思う。獅郎に告げた通り、本当に奥村燐という人間≠ヘいい奴≠セったからだ。
 一度食事をしただけで解る。弟思いの兄で、父親(もちろん青焔魔ではなく獅郎の方である)が大好き且つとても尊敬している息子で、仲間を大切にしている祓魔師。しかも実力は当代の聖騎士や四大騎士のお墨付き。こんな彼のどこを非難することができるだろう。
「獅郎、アンタもホント親馬鹿になっちまったな」
「親馬鹿で結構。燐も雪男も可愛くてしゃーないんだよ」
「おうおうのろけちゃってまぁ」
 かつて最強にして冷酷非道と言われた聖騎士がこの様とは。
 氷のように冷たい藤本獅郎に育てられたシュラとしてはチクリと胸に刺さるものがあるものの、今、目の前で浮かべられている幸せそうな笑顔と本日見せられたばかりの燐や雪男の様子と比べれば、その棘も瞬時に溶けて消え失せた。
 燐が現れたことによって獅郎も雪男も幸せそうな表情が増えたと思う。そしてシュラ自身、燐と少し時間を共にしただけで格段に笑う回数が増えたのを自覚している。
「……あーもう。高校卒業前に燐の奴ヴァチカンに連れて行っちまおうかなぁ」
「それ、冗談でも雪男の前で言ったら撃たれるぞ」
「冗談じゃなくて本気」
 呆れ顔の獅郎にシュラはしれっとそう返した。
 燐をヴァチカン本部に連れて行けばきっと楽しい毎日が送れるに違いない。シュラが言えば燐大好きなアーサーも積極的に協力してくれるだろう。  ただし―――
「あーごめんごめん。雪男には勝ててもさすがに獅郎にゃ勝てないから」
 よっこらしょ、と言いながらおもむろにショットガンを取り出してきた師匠にシュラは口元をヒクつかせる。この親馬鹿がいる限り高校卒業前に燐を引っ張って行くのは無理そうだ。と言うより、この調子では燐が高校を卒業しても無理そうな気がする。
「燐の奴、本当に愛されてんな」
「燐が愛してくれるから、俺らもそれに応えずにはいられねえのさ」
 理想の相思相愛だろ? と誇らしげに語る獅郎へ、シュラは表情を崩して頷いた。







2012.05.22 pixivにて初出