奥村雪男にとって奥村燐という存在は『兄』という名を持つだけのただの形骸だった。好きでも嫌いでもない、無関心の対象。―――ただしそれは表層意識での話だ。
 母親はおらず、父親は人間の敵・青焔魔。育ててくれた養父や修道院の皆はいたが、実父と同じく人間側から敵視されてもおかしくない立場の雪男にとって、真の意味での同胞は血を分けた実の兄だけだった。しかしその兄は雪男の物心が付く前に失われてしまった。“悪魔の所為”で。
 もし悪魔がいなければ、兄は青い炎に飲み込まれて死ぬことなどなかっただろう。
 もし悪魔がいなければ、自分達は普通の兄弟としてこの世に生を受けただろう。
 もし悪魔がいなければ、兄が失われなければ、兄はきっと雪男を守ってくれただろう。
 もし悪魔がいなければ、兄が失われなければ、雪男はきっと兄を守るために全力を尽くしただろう。
 だって自分達は双子の兄弟だ。同じ女の胎で育ち、同じ時に生まれ、同じ空気の中で産声を上げた片割れ。雪男がこの世界で独りぼっちではないと一番に証明してくれる存在のはずだった。
 しかし現実は雪男から兄を奪った。雪男を独りぼっちにした。雪男を守る存在を、雪男が守るべき存在を、悪魔は雪男から永遠に奪ったのである。
 ゆえに雪男は悪魔を強く憎み、その感情と同じ強さで無意識のうちに兄を求めていた。言葉すら交わしたことのない兄に焦がれていた。
 兄がいないという現実があるためにその想いが表層に現れることは決して無かったが。



* * *



 使い魔・アオの顔を初めて目にした任務から数日後、雪男は未だもやもやとした思いを抱えていた。その名付け難い感情は小さくなるどころか日に日に大きくなっている。
 明確化されない感情は苛立ちを呼び、雪男の判断力を鈍らせた。祓魔塾での講義でも小さなミスが現れ始め、生徒達に不審がられる始末だ。
 このままでは任務の方にも支障が出かねない。命の危険と隣り合わせと言ってもいい悪魔払いの任務では小さなミスが命取りになる場合もある。しかし、このままではいけないという思いが焦りとなり、更に悪い状況になるのは最早必然だった。


 その日、雪男は祓魔塾の生徒達を連れて街中での任務に当たっていた。とは言っても、塾生達はまだ祓魔候補生。任務の内容はごくごく簡単なもので、引率役として雪男以外にも志摩柔造が同行している。
 ミーシャの正体が藤本獅郎の使い魔であったと明かされた一件以来、雪男はあまり柔造と関わらないようにしている。仕事上必要な会話はするが、講師陣の中で一番年が近いから――ただし近いと言っても十年離れているが――などと言ってプライベートな付き合いをするつもりは一欠片もない。
 それに柔造の方もアオに対して冷たい態度をとる雪男にあまり良い印象は抱いていないだろう。
 感情に従って仕事を放棄するような人間ではなかったことが幸いだと思いながら、雪男は柔造の隣で塾生達に任務内容の最終確認を行っていた。
「では今日の任務の内容を確認します。場所はここ北正十字町二丁目三番地、ホワイト・コーポ。四階建て、築二十年のアパートですが、現在の入居者はゼロ。地脈の関係で負の要素が溜まりやすく、五年ほど前から魍魎(コールタール)及び『腐の王』の眷属に分類される他の下級悪魔の住処になっています。我々はこの建造物内からBB(ダブルB)濃度の聖水を霧状に噴射し、悪魔を一掃します」
「組分けはこないだ決めたとおりでエエな。一班は志摩、神木、宝。二班は勝呂、三輪、杜山や」
「僕は一班、志摩先生は二班に同行します。何か質問のある人は?」
 雪男がそう尋ねるが、挙手はない。先日十分に説明を行ったためだ。
 生徒達の顔を見て大丈夫だと判断した後は聖水の噴射機――ポリタンクを背中に背負い、手に持った柄の長いシャワーノズルから聖水を撒く――が正常に動くことを各自に確認させ、散会の号令を告げる。
「では、一班は僕について来てください」
「二班も行くでー」
 柔造の声を聞きながら雪男は一班のメンバーを引き連れて建物内を進み始めた。
 建物内部はほんの少し太陽の光が届かない場所に来るだけで至る所にコールタールの群を見つけることができる。時折、ネズミの死骸に憑依したらしき悪魔が足下を駆け抜け、コールタールと合わせてそれらに聖水を吹きかけて祓っていった。
 雪男達一班は建物の正面玄関から入り、一階と二階を担当する。柔造達二班は外階段から四階に入り、その階と三階の担当だ。ゆえにしばらく進んでいくと、上の方の階からかすかに自分達と同じく下級悪魔を祓う音が聞こえてきた。
 聖水を浴びた悪魔はコールタールならほぼ無音で消滅。発声器官を持つ悪魔なら小さな悲鳴を上げて消える。それ以外の音と目立つ言えば、自分達の歩く音や話し声、それと聖水を噴射する時の音くらいだろうか。
 建物の周囲には一般人が近付かないようにしているため、外から町の雑多な音が入ってくることもない。遠くの方でバイクが走り出す音や救急車のサイレンが聞こえるといった、そんな程度だ。
 ゆえに、“それ”には雪男も生徒達もほぼ同時に気付くことができた。
 二階で作業していると、すぐ上―――三階の方からギシという、家鳴りしてはいささか大きすぎる軋み音が聞こえた。雪男、志摩、出雲、宝の四人はその場で足を止め、天井を見上げて息を殺す。
「先生」
「……何か、いますね」
 出雲の呼びかけに雪男はそっと頷いた。
 ギシギシという音は徐々に移動し、こちらに近付いてくる。明らかに何者かが動いている証だ。これが柔造達二班によって立てられている音なら何ら問題はないが、ゆっくり近付いてくる速度や、ギシギシという音以外聞こえないところから推測するに、楽観視はできないだろう。
 雪男は生徒達を背に庇い、右手で銃を構える。左手はいつでも薬品のアンプルを引き抜けるよう、力を抜いて脇に垂らした。生徒には聖水が噴射される勢いを強くするよう指示する。その後、志摩は錫杖を構え、出雲は使い魔である白狐を召還した。宝は相変わらずパペットを手に装着したまま、けれどもすぐに動けるよう構えを取る。
 やがて音は雪男達から直線距離で四メートルも離れていない所まで辿り着き、一旦止まった。
「なんだ……?」
 雪男が小さく呟いた。
 ギシギシという音が止まったと思われる所、天井の部分にじわりと黒い染みが現れる。その染みは急速に広がり、ひと一人なら十分通り抜けられる程になり―――



□■□



 志摩柔造は三人の生徒達の後ろに続きながら自身の背後に現れていた“彼”に気付いて目を瞠った。気配の隠し方は相当なもので、上二級祓魔師の柔造ですらいつ現れたのか判らない。柔造がそうなのだから、前を行く勝呂、子猫丸、しえみの三人が気付けるはずもなかった。
「(こんな所で何やってるんや?)」
 ちらりと背後に視線を向け、ほとんど声を出さずに口の動きで言葉を伝える。
「(……なあ、燐くん?)」
「(何って、そりゃあ何かあった時の護衛のつもりだけど)」
 問われた相手―――奥村燐がフードを目深に被った状態のままそう答えた。柔造の隣に立ち位置を変え、フードの奥からチラリと青い瞳を覗かせる。
「(だめだった?)」
「(その目ぇは卑怯やで)」
「(?)」
 小さな子供が親に見捨てられないか心配するような目だ、とは流石に言えない。柔造は疑問符を浮かべる燐に淡い苦笑を返して、何でもないのだと首を横に振った。
「(弟くんの方には行かへんの?)」
「(あっちは近付きすぎると嫌がられるんだ。でも離れすぎてても助けが間に合わないのは前の件で解ったし、今日はこのくらいの距離を空けておこうかなって)」
 それに柔造さんや勝呂達も俺にとっては大事な人だし、怪我させたくない・守りたいって思ってるよ、と燐は続けた。「だからここにいてもいい?」と許可を求めているように聞こえたのは、柔造の思い過ごし……であれば良いのだが。
 燐は柔造に言われたとおり雪男との距離を戻そうとしている。しかし十五年間絶ち続けたものはそう易々と理想の形になってはくれない。雪男が大切で大好きだからこそ、燐はこうして距離を詰められずにいるのだろう。
(難儀なもんや)
 同じ兄という立場を持つ者として、彼を愛しく思う者として、そして助言を与えた者として、柔造はままならない現状に歯噛みした。だが自分にはもうおそらくできることなど高が知れている。あとは燐と雪男の問題だ。彼らが揃って互いに歩み寄らなければ、二人の距離は縮まらない。
(奥村雪男の態度を軟化させる方法って何や。あいつは一体“何”を好きや思て生きてんのやろ)
 嫌いなものは知っている。雪男が心底嫌っているのは悪魔だ。そしておそらく人間もあまり好きではない。かと言って神や天使やらを盲目的に信仰しているわけでもなさそうだ。むしろ雪男にとって神や仏への信仰は悪魔を殺すための力としか考えていないように見える。
 まさか好きなものなどないのだろうか。
 親しいわけではないため情報量は少ないが、それでもこれまで見てきた雪男を思い出しつつ柔造は考える。と、そんな時だった。隣を歩いていた燐が足を止め、下の階を無言で見つめる。
「(燐くん?)」
 ここは四階で柔造達二班の担当はここともう一つ下の三階だ。これまで祓った悪魔は当初の予想通りコールタールを始めとする『腐の王』に属する下級の悪魔ばかりで、実にスムーズに進んでいる。まさか三階にはちょっとばかり手こずる敵でも潜んでいるのだろうか。
 燐がフードを深く被り直して顔を隠す。同時に柔造の足が止まる。三人の生徒達は数歩先に進んで、後方の様子にはまだ気付かない。
「(なあ、燐く―――)」
「待て。下に厄介なのがいる」
「「「……ッ!?」」」
 驚いて振り返ったのは勝呂、子猫丸、しえみ。三人は息を呑んで(彼らにとっては)突然現れた人影に目を見開く。
「お、お前……」
 フードを目深に被った燐の姿を捉えて勝呂が一番最初に口を開いた。
「ミーシャ……いや、アオか?」
 前回の遭遇で敵ではないと認識しているため、刺々しい口調ではない。しかしその声は何故こんな所にいるのかという疑問で満ちていた。勝呂達も祓魔師を手助けする『ミーシャ』の噂なら知っているかもしれないが、それ以前に彼らは雪男がミーシャを毛嫌いしているらしいと推測せざるを得ない場面を目撃している。
 そんな勝呂達の様子を理解した上で燐が笑った。
「俺としてはアオの方がいいかな。まぁどっちでも判るから良いんだけど」
 それはともかく、と燐は続ける。
「三階に降りるのはちょっと待ってくれ。なんか変なのがいる。俺が様子を見てくるから、お前らはここで一旦停止な。志摩上二級祓魔師、あんたもだ。生徒達の安全を第一に行動してくれ」
「承知した。任せてもええな?」
「ああ、任せろ」
 答えて燐は戸惑う生徒達の脇を颯爽とすり抜けていく。雪男に近付いて嫌がられるのは怖いが、彼の身に危険が迫っているとなればそんなものなど気にしていられない。大事な人を守るため、大事な弟を守るため、燐は呼吸するように自然に体を動かせるのだろう。
 優先順位を本能的に理解して行動できる。それは時折、他人から見れば考えなしに動く馬鹿とも捉えられるかもしれないが、何よりも尊いものでもあった。
(『悪魔』やのうてこない真っ直ぐな『兄ちゃん』なんやって、早ぅ気付いたりや、奥村先生)
 燐の背を見送りながら柔造は胸中でそう独りごちる。
 やがて、階下の異変に耳を澄ませていると、ギシギシという音が聞こえてきた。燐は完全に気配を絶っているらしく、足音すら聞こえない。静寂の中、離れた位置で発しているらしいその軋み音だけが妙に不安を煽り、そして―――



□■□



 ドンッ!! と衝撃音と共に天井が崩れ落ちた。ちょうど黒い染みが浮いていた部分を中心として直径二メートル弱。木片をまき散らしながら激しい音と共に崩れ、換気の悪い空間にもうもうと粉塵が舞い上がる。
 細かい木片は咄嗟に左腕でガードし、雪男は右手に持つ銃口を“落下してきた何者か”に向けた。
 建造物の破壊によってではない黒煙がぶわっと上がる。よく見れば、それは煙などではなくコールタールの大群だ。煙と見間違うほどに密集した小さな悪魔が空気中を漂っている。そして、それらが取り巻いている何者かがヌチャ、と生理的嫌悪感を煽る類の粘着質な音を立てた。“それ”がゆっくりと雪男達に向かって来ているのだ。第六感に訴えかける壮絶な悪寒に雪男は叫ぶ。
「全員、聖水噴射!」
「っ!? りょ、了解!!」
「はい!」
 雪男の号令に一瞬遅れて遅れてBB濃度の聖水が志摩、出雲、宝から噴射される。コールタールは聖水に触れた瞬間に消えていく。しかし数が多すぎて全く減っていないように見えた。
 それでもコールタールの処理は生徒達に任せ、雪男はもう一挺の銃を抜く。装填されているのは聖銀でコーティングされた祝福儀礼済みの弾丸。この弾丸を浴びせれば、大抵の悪魔は属性に関係なくダメージを受けるはずだ。
 構えるのと同時に発砲。何発もの大きな銃声が悪魔と聖水の水音を消し、硝煙の香りが辺りに広がる。双方共にマガジン一個分ずつの弾丸を撃ち終え、更に次のマガジンを淀みなく再装填してようやく雪男は発砲を止めた。
 生徒達の聖水放射は銃声が止むのと同時に一旦終了したが、雪男は銃口を下ろさない。コールタールは聖水と弾丸により若干減少したが、それでもまだ向こうを隠す程の数が空気中を漂っている。そして最初に襲ってきた悪寒も未だ継続中だ。
 聖水により濡れた天井や壁からはぽたぽたと滴が落ち、床の水溜まりに落ちて音を立てる。だがそのかすかな音の中にあの粘着質な音が混じった。
(まだ動けるのか!)
 判断を誤ったと悟る。この場合、攻撃よりもまず先に退避することを考えるべきだったのだ。
「全員待避! 一階から外に出てください!!」
「先生は!?」
「いいから行って!!」
 背後の生徒達に告げて雪男は正面を見据える。しかし生徒達が走り出すよりも、また雪男の人差し指が引き金を引くよりも早く、コールタールの壁を割って素早い何かが雪男の首に巻き付いた。
「……ぐっ」
 それは茶色いスライムのような物だった。軟体動物の足を思わせる形をしたそれはぐっと力を入れ、雪男を持ち上げようとする。雪男の力ではそれに逆らえない。しかしこのままでは首を吊るのと同じ状況に―――

「そいつを離せっ!!」

 聞き覚えのある声だった。
 ああまたアイツか、と雪男が思ったのとほぼ同時に首が解放される。床に膝をついて咳き込みながらそちらを見れば、日本刀を振り切った姿のままのアオが立っていた。この悪魔がまたもや雪男の仕事について来ていたのは知っている。気配を探れば自分よりも上の階にいたことも。だから彼が現れたことには欠片も驚いたりなどしない。
 茶色い悪魔が開けた穴から飛び降りて剣を振るうという一連の動きの中でフードが脱げてしまったらしく、今はアオの顔がはっきりと見える。黒髪と、そしてあの青い目だ。
 雪男を襲った敵を睨み付ける双眸は何故か記憶にあるものよりもっと鮮烈な青を宿しているように感じた。瞳の中で怒りが炎に転じたかのように青色がゆらゆらと揺らめいている。
(なん、だ)
 アオの横顔を眺めながら雪男は自問した。彼の姿を見ていると胸の奥がざわめく。酷く落ち着かない。雪男はそれを常から負の感情として処理してきたのだが、前回と同じく青色に対して奇妙な既視感があり、どうしても完全に悪いものとして処理しきることができない。
 そうやって困惑している雪男を庇うようにアオが一歩、二歩と前へ出る。雪男が膝をついている間にもコールタールの煙幕を破って茶色い触手モドキによるムチのような攻撃が次々とやってくるのだ。
 アオはそれを的確に斬って捨て、決して己より後ろに行かせない。しかし相手からの攻撃は徐々に苛烈さを増し、加えてただ漂っているだけだと思われたコールタールが意志を持って動き出す。
 あんなに小さくて数の多いものを剣一本で対処できるはずがない。案の定、茶色い触手を相手にしていたアオの隙を突いてコールタールの群が本格的に動きを開始した。かの使い魔の脇をすり抜け、雪男やまだ逃げていなかった志摩達へと殺到する。
 生徒達は慌てて聖水の用意をするが、間に合わない。
 せめて過剰に吸い込まないよう、襲いかかる黒い影に雪男は腕で顔を覆い、息を止めた。だが。
(……あれ?)
 腕で防いだ視界の隙間が一瞬だけ明るくなる。そしてぶつかってくるものと思っていた衝撃が一向にやって来ない。疑問を覚えて腕の防御を解けば、さっきまで空中を漂っていたコールタールの大部分が姿を消していた。そしてコールタールの壁の向こう側にいた悪魔が姿を現している。
 それは攻撃から推測されるように、本当に茶色いスライムのような形をしていた。目も鼻も口もない、成人男性三人分ぐらいの体積を持つ茶色く濁った塊である。『腐の王』の眷属らしく、鼻を掠めるのは顔をしかめざるを得ない腐臭。
 だがそんな敵の姿に驚くよりもまず、雪男は別のことで言葉を失った。
 雪男達を庇うように立っていたアオがもう一振りの刀を抜いている。初めて見るその刃は明らかに技物と判る一品で、そして―――
「青い……炎?」
 魅入られるほどに美しい青い炎を纏っていた。
 その刀を握るアオにも変化は現れている。むしろ雪男の一言は剣よりもアオを見て発したと言ってもいい。
 アオの体の至る所に剣と同じ青い炎がまとわりついている。しかし炎はその身を焼いているのではなく、むしろアオの内側から溢れ出た力のようだ。そしてフードが取り払われた顔―――二本の角のようにひときわ鮮烈な青い炎が額に灯っていた。
「うそ」
 少女の声が聞こえる。神木出雲だろうか。
 けれど彼女以外の者も同じことを思っただろう。
 青い炎は人間の敵・青焔魔の証。その炎を従えている黒髪の悪魔は一体何者なのか。―――生徒達はこう考えただろう。まさか青焔魔が現れたのか、と。
 少女の声にアオは一瞬だけ背後を振り返り、ほんの少しだけ眉尻を下げた。その表情は笑っているような、けれど泣いているような、悲しい笑みだ。
 アオもそんな表情を晒すつもりはなかったのか、さっさと前を向いて無造作に剣を振るった。途端、茶色い悪魔とその周囲に残っていたコールタールが青い炎で焼き尽くされる。
 その明るさに、先程のコールタールの群を消し去ったのも同じ青い炎なのだと雪男は知った。そうだったのかと納得しながらドクリと心臓が強く脈打つのを感じる。
 青い炎は青焔魔の証。青い炎を操れるのは青焔魔だけ。しかし雪男やごく少数の人間は知っている。青焔魔以外にもう一人、かつてその青い炎を扱える可能性を持つ人間がいたことを。“彼”は物心つく前に炎に呑まれ、結局は死んでしまったけれど。雪男と同じ黒髪に、雪男よりももっと純度の高い青い瞳を持った、雪男と同じ血を引く人間がいたことを。
 黒髪。
 青い瞳。
 年の頃は十五・六歳くらいだろうか。
 藤本獅郎やメフィスト・フェレスと交流があり。
 そして極めつけの、青い炎。



「にい、さん……?」



 無意識が表層へと現れる。
 雪男が最も強く求め続けていた片割れへの思慕が深く沈めた胸の奥底から顔を出す。
(あ、あ……ああ、でも。だとしたら…………僕は……この、人に……)
 しかし溢れ出るのは愛しさを凌駕する後悔と絶望。自分がこれまで彼の人物に対してとってきた態度を思い返し、雪男は愕然としながらその呼称を口にした。







2012.03.07 pixivにて初出