「奥村くん。貴方、派手に動きすぎましたね。特にここ一年は」
「メフィスト?」 突然理事長室に呼び出されたかと思えば開口一番そう言われ、燐はパチパチと青い目を瞬かせた。 燐をここに呼び出した張本人は立派な椅子に腰掛けたまま執務机の向こう側からわざとらしい溜息を一つ落とす。 「大事な弟くんが受験生というのもあったのでしょうが……。まさか名前まで付けられるとは」 「は? 名前? お前、何が言いたいんだよ」 頭の上に疑問符を大量生産しながら問えば、メフィストはニヤリと口の端を持ち上げた。何かを面白がる時のその表情に燐は嫌な予感を覚えつつも、ここで「やっぱいい」と言っていいことではないと第六感が告げるために口は閉じたままだ。 「『ミーシャ』だそうですよ」 燐の様子から会話続行の意志を読み取り、メフィストは表情に違わぬ楽しそうな口調で言ってのけた。 「ミーシャ?」 オウム返しに問う燐へメフィストは頷く。 「ええ。貴方、弟くん以外の任務でもたまに助っ人をやっているでしょう? 単独時とは違い、勿論姿を見られないことが前提で。しかし藤本ほどではないにしろ気付く者はいるんですよ。何せ知らぬ間に敵の数が減っているのですから。そしてそんな貴方の気配に気付いた者達が自分達を助けてくれる謎の存在に名前を付けた」 「それがミーシャ……?」 「Genau !(ご明察!) ミーシャの存在はまだ日本支部内での噂にしかすぎませんが、ごく一部ではミーシャの容姿まで話に出てきているようです。曰く、ミーシャは祓魔師のコートでフードを目深に被った細身の人物だ、と。どこかで見られましたね」 「うっ。き、気を付けてはいるんだけどなぁ」 雪男を筆頭とする大事な人達に奥村燐の存在を知られないよう、もし自分が騎士團から敵視されたり命を落としたとしても彼らが気に病むことなど無いように。そう願って燐は己の存在を世間から隠している。ゆえにその大事な人達は勿論のこと、彼らに話が伝わってしまうことを気にして他の人間に対しても用心して振る舞ってきたつもりだった。 しかし、やはり危険度の高い任務について行って手助けをしているとこうなるらしい。ちなみに手を出さないという選択肢は無いわけではないが、順位的には下位の方にある。かつて養父から言われたとおり、また十五歳の自分が弟に告げたとおり、己のこの力は優しいことのために使いたいのだ。 そんな燐の心情などお見通しと言った風にメフィストは小さな苦笑を漏らした。 「だから“動きすぎた”と申し上げたでしょう? 噂が流れ始めたのは弟くんが祓魔師になってから。先程も言いましたが、ここ一年は殊更に。ご自身の存在を秘匿したいならもっと慎重に動きなさい。それが無理ならいっそ『奥村燐』以外の存在を確立して自分の立場を明らかにしてみますか? 噂にあるように私が用意した対悪魔武器でもいい。以前貴方自身が名乗ったとおり、聖騎士・藤本獅郎の使い魔『アオ』でもいい。望むなら悪魔と人間のハーフとして祓魔師の席を用意しましょう。無論、謎の存在『ミーシャ』として噂を噂のままにしておくというのも一つの手ですが」 さあどうします? と問うメフィストに燐は黙り込む。 どうすれば一番自分が望むとおりになってくれるのか分からない。どうすれば雪男が最も苦しまずに済む未来を掴み取れるのか。 隠れる? 別人として表舞台に立つ? それともこのまま曖昧な状態で様子を見る? 一つ目の選択肢は無理だ。それができるなら、そもそも噂になるほど動いたりはしない。ならば残りの選択肢は、立場の確立か現状維持である。 ただし下手に『奥村燐』以外の存在として表舞台に立ってしまえば、その新たな役柄として誰かと関わり、最終的にその誰かを傷つけてしまうかもしれない。たとえ『兄』としてでなくとも、その誰かが雪男だったならば燐の心は耐えられないだろう。 「カッコ悪ぃとは思うんだけどさ……今はまだこのままで。噂なら、まだ『ミーシャ』は居るか居ないか判別できない存在のままだろうから。それなら雪男と関わってまたアイツを悲しませるようなことにもならないだろ?」 「……了解しました」 ふぅ、と小さく息を吐き出してメフィストは答える。 「私としては貴方ももう少し自分の思うままに生きればいいと思うんですけどねえ」 「俺はちゃんと自分が思うように動いてるよ。俺の望みは俺のことで雪男が苦しんだり悲しんだりしないこと。今のところそれは叶ってるじゃねえか。勿論これからも叶え続けるけどさ」 「そうですね……。それが貴方の望みでした。よろしい、ならばそのように手配しましょう。噂は噂のままで。『ミーシャ』は祓魔師を守護する偶像のようなものとして私も裏から働きかけておきます」 「さんきゅ、メフィスト」 「どういたしまして。……さて、これで私からの話は終わりです。突然お呼び出ししてすみませんでした」 「俺の方こそ色々やってもらってて悪い。ほんとに助かってる。今度お礼に何か作ってくるよ。じゃあ俺はこれで」 「ええ。楽しみにしていますよ。それでは、また」 メフィストに見送られ、燐は理事長室を出た。己の背後で部屋の主が「やれやれ」と小さく呟いたことにも気付かぬまま。 □■□ 「と言うわけで、現状維持だそうですよ。残念でしたね、大事なもう一人の息子を表舞台に立たせてやれなくて」 燐が退室した後、メフィストは一人であるはずの部屋でそう告げた。と同時にパチンと指を鳴らす。するとメフィストの斜め後ろ、壁に背を預けるような格好で一人の人物が現れた。 黒いカソックに丸眼鏡、首からは祓魔師のバッチと古びた鍵を下げている―――燐の(かつての)養父でもある藤本獅郎その人だ。 獅郎は眉間に皺を刻んで燐が出て行った扉を見据える。 「やっぱあいつは雪男達と関わるつもりがねえんだな」 「そのようです。献身的と言えば聞こえは良いですが、彼を知る者からすれば哀れで痛々しい。悪魔であるこの私にすらそう思わせる程にね」 メフィストもまた廊下へと繋がる正面の扉を見つめて言った。 そして沈黙。ただし二人の間に落ちた沈黙はそう長く続かず、獅郎が悪友でもある悪魔に視線を向けて「つーかよぉ」と呆れたような声を出す。 「ミーシャって何だ。俺も燐のことがちょっとばかり噂になってんのは知ってたが、ミーシャなんて名前までは知らなかったぞ。あと姿形のこととか」 「それは“これから”噂になるんですよ。彼を強制的に表舞台に立たせるための手段として」 にこりとメフィストは獅郎と視線を合わせることなく笑った。 そして、 「藤本、お前は息子のこととなると正直言って保守的すぎる。いつものお前らしくもない」 「っ、」 いきなりの指摘に獅郎は息を呑んだ。しかしその驚き様は突然だったからだけではない。何よりもまずメフィストの指摘が正しかったからだ。 メフィストは椅子に座したまま悪友を見上げると、呆れと苦笑を混ぜた微妙な表情を浮かべる。 「まあ、それ程までに奥村燐が大切なのだということでもあるのだろう。今まで無意識のうちに己を削って痛めつけてきた息子の心をこれ以上傷つけたくないという親の愛情というやつか。しかし守るだけで彼が救われるなら、そもそも私が動いていない」 最初は興味だけだった。 メフィストがまだ赤ん坊だった燐の手を取り、彼の存在を世界から抹消したのは。 しかし今は違うようだとメフィストは己を分析する。今はあの哀れで愛しい子供が傷つく様を見たくない。もっと笑っていて欲しいと思うのだ。 「己を削り続けて壊れるのもまた一興。私は悪魔だからそう思う自分もいる。しかしもう半分の私はあの子が笑う姿を好ましいと思っているのだよ。だから藤本、お前とも関わらせた。おかげであの子は笑うようになったさ。それはもう幸せそうに。だが……」 「まだ足りねえ」 「ああ。まだ半分だ」 獅郎の言葉を肯定し、メフィストは告げる。 「だからもう半分を手に入れるために私は……そしてお前も動く。『ミーシャ』はそのための手段だ。正直、私としてもどう転ぶのか完全には見通せていないがな。それでも停滞よりはずっとマシのはずだろう」 「噂だけの存在に名前を付けたのはその存在感を強めるためか」 「名無しのままより呼び名を付けた方が人の意識に残りやすいだろう? 今後も人間に手を貸し続けるあの子によって『ミーシャ』の存在はより大きく強くなっていく。形ができればあとはどうとでもできるだろう。それこそお前の使い魔としても、また私が用意した兵器としても。そうして形を得たあの子は他人と関わらざるを得なくなる」 存在を悟られただけで藤本獅郎と関わったように。 また京都から志摩柔造を引き抜いたように。 「そしていずれは雪男とも」 「あの子の幸せにはどうやら弟が欠かせないらしいのでな」 メフィストはふっと吐息を零し、「まぁ一肌脱がせてもらうさ」と続けた。 「勿論、貴方にも精一杯頑張ってもらいますけどね、お父さん☆」 「そりゃ俺にできることなら何でもするさ。ただし、メフィスト」 「はい?」 口調を戻したメフィストが獅郎に名を呼ばれておどけたように首を傾げる。 そんな悪友の仕草を獅郎はこめかみを引き攣らせながら眺め、 「テメェに父と呼ばれる筋合いは無ェ。あとさっきから妙に不審な言葉が混じっていたようだが、その辺もきっちり聞かせてもらおうじゃねーか。誰が壊れるのも一興だって?」 地の底から響いてくるような、それはもう低く恐ろしい声で言った。 2011.12.03 pixivにて初出 メフィ「親馬鹿マジ怖い」 本家セコム(雪男)がいない分、他メンバーがセコム化してしまいました(笑) |