「あ、やっぱりしえみも祓魔塾に入るんだな」
三月に入り、燐の記憶通りのメンバーの正十字学園高等部入学が決まって本格的な受け入れ体制も整った頃。燐はメフィストの執務机に広げられた来春の“正十字学園高等部”ではなく“祓魔塾”一年生の調査票を眺めてぽつりとそう呟いた。 「“しえみ”……? ああ、祓魔屋のお嬢さんのことですか。高校には通わないそうですが、塾には行きたいと申し出がありましてね。もともとこちらは人員不足、それに祓魔師御用達の用品店のお嬢さんともなれば断る理由などありませんから」 燐の呟きに部屋の主たるメフィストが答える。 「しかし“やっぱり”と言うからには何か理由でも?」 「んー、まぁな」 言葉を濁しながら燐は苦笑を浮かべた。 「実はさ、俺の記憶の中ではもっと遅いんだ」 「遅い?」 「おう。しえみは途中から塾に入ったんだよ」 「珍しいですね、途中から入るなんて。途中で辞めてしまう方は時々いるんですが」 「そっちはまた別。友達思いのいい奴だけど、自分に合ってないことは友情に引きずられてズルズル続けるんじゃなくて、ちゃんときっちり辞めるって言えるしっかり者だぜ。ま、ともあれ今はしえみだ」 「貴方の記憶にある方のしえみ嬢はどうして祓魔塾に通われるようになったんです?」 メフィストの問いに燐は瞼を閉じて己の記憶的には十五年以上前のことを思い出す。 しえみとは雪男に連れられて訪れた祓魔屋で出会った。正確には店側ではなく住居側の庭で。足が不自由な彼女を雪男が診察して、原因は悪魔だと判明し、そしてその悪魔を兄弟二人で協力して祓ったのだ。 (そういえばあの時、雪男に頼られてめちゃくちゃ嬉しかったんだよなー。俺にも雪男にしてやれることがあるんだって) 弟から藤本獅郎という立派な父親を奪ってしまった直後だったので余計にその思いは強かったのかもしれない。兄という立場と(当時は表に出すことなど無かったが)大きすぎる負い目により、燐は何かをせずにはいられなかった。無理やり雪男の任務について行きたがったのも、思い返せばそんな感情が少なからず原因の一部を占めていたのかもしれない。 しかし、そうやって走り続けた結果はどうだ。 確かに雪男は燐の祓魔塾初日に「死んでくれ」と言った。けれどその言葉は燐のために言った言葉―――覚悟を試し、燐が死なないよう願うための言葉だった。それなのに、 (雪男……) 耳に残る悲痛な声と銃声。 自分は弟の目の前で死んでしまった。それどころか弟自身に殺させてしまった。 (ほんと不甲斐無い兄貴だよな……。でももう二度とそんな辛い思いをお前にさせたりしねえから) 「奥村くん?」 「ん? あ、ああ。まぁ簡単に説明するとだな―――」 メフィストの声で意識を浮上させた燐は己が覚えている過去のことを掻い摘んで説明する。しかし燐は最後にこう付け足した。 「ま、今のしえみは悪魔の声に耳を傾けて足が不自由になった経験なんて無いんだけどさ」 「……貴方、普段は人前に立とうとしないくせにまた何かしたんですね?」 「だって仕方ないだろー」 呆れた風に呟くメフィストへ燐は唇を尖らせながら続ける。 「しえみのばあちゃんを死なせたくなかったんだから」 * * * 時間は数ヶ月ばかり遡る。 秋が終わり、霜が降り始める頃のことだ。 (へぇ、あれがしえみのばあちゃんか) 魔除けの門の外側から祓魔屋の庭の様子を伺いつつ、燐は胸中で独りごちる。光に満ち溢れた庭では見知らぬ老婆と見知った少女が仲良さげに庭いじりをしていた。 陽光を浴びて淡い金色に輝く髪と深い緑の瞳を持つ少女の方は杜山しえみ。そんな彼女の傍らで優しげな笑みを浮かべている白髪で小柄な女性が彼女の祖母なのだろう。 今は仲良く笑い会っている二人。魔除けの門のおかげか、彼女達の周囲には魍魎(コールタール)一匹すらいない。甘くて優しいだけの世界がそこにある。しかしこの優しい空間は間もなく崩れ去ってしまうのだ。 (確かしえみが出掛けてる間にばあちゃんが死んじまって……) 詳しい話をしえみから聞いていたわけではない。彼女が悪魔に見入られる原因でもあるそれを燐は断片しか知らなかった。燐が知っているのは、しえみの祖母が冬の初めになくなったこと、その時しえみは出掛けていたこと、しえみの祖母の死因がおそらく事故死であったこと、くらいである。 そんな状況ではあったが、未来を知っていることに違いはない。燐はこの優しい空間を見つめて己がここを訪れる前に抱いた考えを更に強くした。しえみの心を、彼女の祖母の命を、助けたい。と。 そうして燐が彼女達を――と言うよりもしえみの祖母を――気にかけ、様子を伺うようになってからしばらく後。正十字学園町にも霜が降りた日の午後、しえみが天空の庭を探すと言って珍しく一人で出掛けていった。無論、少女が貯めた小遣い程度で世界中を回れるはずもなく、苦笑した祖母はまず近所を探しておいでと孫娘を送り出していたが。 タッタッタと軽い足取りで階段を下りていくしえみの背を見送り、燐は視線を庭にいる老婆へと戻す。 しえみの祖母は葡萄のつる棚をしばらく見上げ、どうしたものかと考え込んでいるようだった。しえみは自分が戻ってから霜対策の布を掛けるつもりらしいが、祖母の方は遊び疲れた孫にそんな仕事をさせたくないらしい。自分の身長とつる棚の差に少し躊躇いはあるものの、彼女は「よし」と呟いて蔵から布を引っ張り出してきた。 それを見て慌てたのは勿論燐である。このままではしえみの祖母が前の世界と同じように死んでしまう。燐は咄嗟に隠れていた場所から飛び出して魔除けの門に手を触れさせた。 「あ、あのっ!」 外からそう話しかけた瞬間、門に触れている手がバチィッ!と強く弾かれる。大抵の悪魔の侵入を防ぐはずのそれも最上級の悪魔の血を引く燐には効かない。門は退魔の効果を失って扉の部分が外れてしまった。 弾く音と外れた扉がガチャンと地面に落ちる音で老婆がこちらを振り返る。そして門に触れた格好のまま固まってしまった燐を見つけると、彼女は驚いたように目を瞠って―――。 (“また”悪魔だって怯えられる!) 「あら。変わったお客さんだこと」 (……え?) 以前のしえみの反応とは違う実に穏やかな声が燐の耳に届いた。 「貴方、人の姿をした悪魔なのね。本当に珍しいわ。ここじゃフェレス卿の結界で中級以上の悪魔は容易に入って来られないから。貴方、手騎士の使い魔さんか何かなのかしら」 「え、っと……」 「あたしも足腰が弱くなってしまってねぇ。なかなか外を出歩けないものだから、顔を合わせるのは家族と祓魔屋に来た祓魔師さん、それに門の外を時々漂っている魍魎くらいなのよ。だから貴方のような変わったお客さんに会うのは本当に久しぶり」 「あの、怖くないんですか。俺が」 にこにこと語るしえみの祖母へ燐は戸惑いがちに問う。すると老婆は楽しそうに微笑んで「見れば判るわ」と答えた。 「わかる……?」 「ええ。貴方、あたしに危害を加えそうには見えないもの」 言われて燐は己の格好を見下ろす。 己が纏っているのは正十字騎士團の制服である黒いコートだ。しかし胸に祓魔師であることを示すバッチはなく、また顔はフードを目深に被って隠している。自分で言うのも難だが、怪しさ満載ではないだろうか。 燐が「どうして怖がらないのだろう」と頭に疑問符を浮かべると、老婆は庭の方から手招きをしながらこう答えた。 「年を取るとそういうのが感覚で判るようになるのよ。それとも貴方はあたしを傷つけるつもりでそこにいるのかしら?」 「ち、違う」 「なら良いわね。さあ、いらっしゃい。特性のハーブティーをごちそうしてあげるわ。だから少しこのばばあの話し相手になってくれないかしら。孫のしえみも遊びに行ってしまったしね」 「入っていいのか……いいんですか?」 「勿論よ」 そう言ってしえみの祖母が更に手招くので、燐はそっと庭に足を踏み入れた。壊してしまった扉を脇に立てかけ、心拍数を上げながら誘われるまま彼女が寝起きしているという蔵の出入り口―――ちょっとした段差に腰を下ろす。 (予想外の展開なんだけど) しえみの祖母はお茶を淹れてくると言って蔵の奥に引っ込んでしまった。一人残された燐はそわそわと落ち着きなく明るい庭を見渡す。 本当はしえみの祖母が危なくなったらさっと飛び出して格好良く彼女を助け、そして何も言わずに姿を消す―――。そんなことを考えていた。しかし実際にしえみの祖母が危ないことをしようとしているのを見てしまえば、もういても立ってもいられず、咄嗟に声をかけたらこの様だ。別に悪いわけではないが、何かおかしい。 「さあ、どうぞ。あたしがオリジナルで調合した特性のブレンドティーよ。どうぞ召し上がれ」 「ありがとう、ございます」 表に出てきた老婆から耐熱ガラスのカップを受け取り、燐はふぅと水面に息を吹きかけた。ハーブティーを淹れるのが得意なしえみの祖母だけあって、湯気と一緒に立ち昇ってくる香りも格別である。思わず料理好きとして使っているハーブの種類と割合を訊きたくなってしまう程に。 「悪魔さん、貴方のお名前を伺ってもいいかしら?」 「あ、えっと……アオって言います」 咄嗟に猫又のクロに対して使っている偽名を名乗れば、しえみの祖母は「可愛らしいお名前ね」と目尻の皺を増やした。 「アオさんはどうしてこの庭にいらっしゃったの? しえみにご用でもあった?」 老婆は燐の隣に腰を下ろし、自分もまたハーブティーを口にしてからぽつりと問う。 燐はその問いにふるふると首を横に振り、否定の意を示した。他の大事な人達と同じように、しえみともまた関わるつもりはない。昔のように言葉を交わせずともいい。笑いかけてもらえなくてもいい。しえみの知らないところで彼女の祖母を救うことができればそれで満足だった。 「じゃあどうして?」 「……葡萄のつる棚を手伝おうと思って」 「え?」 まさか貴女が死ぬのを防ぐために来ましたと素直に答えるわけにもいかず、燐がなんとか答えを出すと、老婆はぱちくりと瞬いてその一音を発する。 流石にこれはいきなりすぎただろうか。しかし必要ならしえみやしえみの祖母の代わりに霜対策の作業をするつもりも最初からあった。当初の予定通り一度しえみの祖母を助けても、彼女がまた挑戦してしまっては意味がない。それなら燐が彼女の代わりに作業を終わらせてしまえば問題無いと考えていたのだ。 「お年寄りに危ない作業はさせちゃいけねえから。でももう霜が降り始めたし、放っておいたら葡萄が弱っちまう。だから俺が」 「手伝ってくれるの?」 問われ、燐はこくりと頷く。 するとしえみの祖母は驚きに丸くしていた目を糸のように細めて、握れば折れてしまいそうな細い腕をそっと伸ばした。燐が黙ってその動きを目で追うと、彼女の手はぽんとフードの天辺に辿り着く。そして老婆の弱々しくも暖かい手がフードの上から燐の頭を優しく撫でた。 「っ、あの」 「いい子ね。貴方を育てた人はきっととても素敵な方なんでしょう」 彼女は燐の生い立ちや事情など欠片も知らない。だが年を経た者としての勘が何かを感じているのだろうか。それともただ当たり障りの無い言い回しをしているだけなのだろうか。燐には彼女の考えなど読めない。しかしどちらにせよ彼女の言葉は燐にとって嬉しいものだった。 「……はい。とても自慢の父親です。血は繋がってねえけど、俺も弟もあの人が大好きだから」 「あら。弟さんがいるの?」 「俺より勉強もできて努力家で性格もよくて、自慢の弟が一人」 「そう。貴方、ご家族が大好きなのね」 微笑ましいものを見るような目に燐は恥ずかしさを覚えながらも、こくこくと何度も首を縦に動かす。その動きに合わせて首から下げた銀のロザリオがコートの金具に当たって涼やかな音を立てた。 その後、二人はお茶を飲み終えると、しえみの祖母の指示に従って燐が葡萄のつる棚に布を掛け始めた。初めての作業だったが彼女の指示は丁寧で、燐もその身軽さを生かし意外なほどスムーズに進んだ。 つる棚の件が終わるとまた少し休憩を入れ、普段男手がない所為でなかなか進まない力作業まで手伝い始める。やがて西の空が赤く染まると、しえみの祖母は土をいじっていた手を止めて燐を見た。 「アオさん、ありがとう。話し相手になってほしいってお誘いしただけなのに、こんなにも手伝わせてしまってごめんなさいね」 「ううん。俺も話とか花の世話とかできて嬉しかったから。もういいのか?」 「ええ、もう十分。アオさんのおかげでやろうと思っていたことが殆ど終わってしまったわ」 「なら良かった」 燐としてもここまでしえみの祖母と関わるとは予想外だったが、この時間は決して嫌なものではなかった。杜山しえみという優しい少女が育った理由が解る、とても優しい空間。しえみの祖母を救うつもりが、終われば燐の気持ちの方が暖かいものに包まれている。 己の状況に燐は小さく苦笑して、差し出された水桶で手を洗う。そうして爪の間に入った泥を落として手拭いを受け取り、礼を言おうとすると――― 「こんばんは、大女将」 庭の出入り口に人影。 その声と姿に燐は驚き、しえみの祖母はにこやかに笑った。 「あらまぁ聖騎士様じゃありませんか。今日は何を御入り用で?」 「いや、今日は道具の仕入れじゃねえんだわ。俺の息子を迎えに来た」 「息子さん……?」 はて、としえみの祖母は首を傾げる。そして彼女の瞳が現れた人物―――藤本獅郎の視線を辿って燐に行き着いた。 二人の視線を受け止めた燐はあたふたと両手を振りながら、 「っお、俺! あの人の使い魔なんだ! でも藤本神父は優しいから俺のこと息子って呼んでくれて……!」 「そうだったのね。やっぱり素敵な“お父さん”だわ。ね、アオさん」 「お、おう!」 焦って答えた割にはなんとか誤魔化せたらしい。燐がした話と合わせ、しえみの祖母の中では「燐(アオ)=聖騎士の使い魔」で、疑似的な親子を名乗るほど仲が良いということで落ち着いたようだった。 ほっと一息吐いて他人にとんでもない発言をした獅郎を睨み付けると、彼はこうなることを半ば予想していたようでニヤニヤと余裕かつ腹立たしい笑みを浮かべている。基本的に燐の意思を尊重してくれる養父であるが、これは少しサプライズすぎた。……でも。 (“俺の息子”って言ってくれた) その言葉は何度聞いても嬉しい。もう表立って親子と名乗れなくなってしまったからこそ―― そもそもこの二度目の世界では二人の間で親子の情を育む前に別れてしまったからこそ――獅郎の言葉は燐の胸に染み渡る。 「ほら、アオ。もう帰るぞ。今夜は仕事が一個控えてる」 しえみの祖母の発言から燐が偽名を名乗っていることを即座に読み取り、獅郎が燐を偽名で呼ぶ。燐はそれに頷き、しえみの祖母に「お茶、ごちそうさまでした」と再びお茶のお礼を言ってから彼女に背を向けた。 「私の方こそ手伝ってくれてありがとうね。また時間ができたらいらっしゃい」 “また”がいつになるか分からないが、燐は足を止めて小さく頷く。そうして歩みを再開し、獅郎と共に庭を出ていった。 後日、獅郎が燐のお迎えではなく祓魔屋の客として訪ねた際、大女将もといしえみの祖母と話す機会があったそうだ。 聞いた話によると、どうやら彼女はしえみに燐と獅郎のことを語って聞かせたらしい。今の聖騎士にはとても親切な使い魔がいて、しえみが出かけている間に庭の手入れを手伝ってもらったのだと。しかもその使い魔の姿形はおそらくしえみと同じくらいの年頃のものであり、話せばきっと仲良くなれるだろうとまで。 「そしたら祓魔屋の娘さんが随分祓魔師……とりわけ手騎士に興味を持ったらしくてな。人見知りをする自分でも仲良くできる使い魔を召喚できないかって」 「あー……しえみって手騎士の才能あったからなぁ。魔法円・印章術の授業で簡単に緑男(グリーンマン)の幼生を召喚したりとか」 「ほう。そりゃ凄い」 燐が昔のことを思い出しながら呟けば、獅郎が感嘆の吐息を漏らした。 「じゃあ本当に手騎士になっちまうのかもなぁ」 「え、ってことは……しえみ、祓魔塾に通うのか?」 「ああ、かもな。前から知り合いだった雪男も来年から講師として塾に在籍するから、人見知りを直す良い機会でもあるんだろう。お前が記憶してる方はどうだったんだ?」 「途中から塾に通ってたぜ。しえみのばあちゃんが死んでから悪魔に魔障を受けて足が動かなくなってたんだけどさ、それを雪男と祓魔塾に入ったばっかの俺が祓ったんだ。そしたらあいつも塾に通い出した」 「……大女将が死んで?」 「あ、そっか。言ってなかったっけ」 獅郎の訝しげな反応に燐はしえみの祖母が事故死することを説明していなかったのを思い出した。そもそも今回の件は前の不浄王とは違い大掛かりな一件ではなく、そのため燐が一人で決めて一人で実行したことだった。 しえみと彼女の祖母のことを掻い摘んで話せば、獅郎は納得したように頷く。 「だからお前、祓魔屋の庭にいたのか」 「おう」 しえみの顔が悲しみで曇ることなど無いように。祖母の死はしえみの心を強くする一端を担っていたかもしれないが、やはり家族を失うのは辛くて悲しいことだ。しかも自分が原因だと思う者には殊更に。 かつて己の心ない一言により藤本獅郎を失った燐にはその辛さが痛いほど解る。だからこそ、助けられるならばしえみの心と彼女の祖母の命を救いたいと思った。 「傲慢かもしれねーけど、でも」 「別に傲慢でも何でもねえよ。一人の命と一人の心を救えたんだ、もっと胸を張れ」 燐の黒髪を撫でながら獅郎が笑う。その笑みと優しい手つきに燐は下がり気味だった視線を上げた。 「父さん……」 「そうだぞ、燐。胸を張ってろよ。お前は俺の自慢の息子なんだからな」 * * * 「藤本の貴方への溺愛っぷりが痛々しい程なのは十分承知していますから、そこまで語ってくれなくて結構です」 「おまっ、他人の回想に水差すなよ」 「とりあえず事情は把握しました。手騎士の才能を持った方が入塾されたのは本当に喜ばしいことですね」 「俺の台詞は完全無視!?」 メフィストのさらりとした反応に燐は冗談半分で声を荒げる。 ともあれそういう事情だ。しえみは最初から塾生で、勝呂や志摩や子猫丸、それに出雲や朴、宝も同じく。雪男は新米講師で、シュラは燐の件がないからおそらくヴァチカン在住。獅郎はメイン講師を降りて雪男のサポートに回るらしい。 二度目の人生は概ね良好だ。一部巻き込んでしまった人はいるが、かつて同期だった仲間達と大事な弟は未だ『燐』を知らず、これなら今後、燐に何かがあっても彼らが悲しむことはないだろう。 燐はメフィストから視線を外し、大きな窓の向こうに広がる青空を見上げた。春の霞がかった柔らかな青色がどこまでも続いている。この空を桜の花弁が舞うのはもう間もなくだ。 そうして、『奥村燐』がいないまま“始まりの年”が始まる。 2011.11.28 pixivにて初出 |