藤堂三郎太の身柄は拘束し、鍵を使って直接ヴァチカンに送った。そう告げた獅郎の言葉を、燐は勝呂達磨と共に地上で彼を出迎えながら生死を疑いもせず素直に信じた。流石に血の匂いは無視できずに怪我でもしたのかと心配してきたが、獅郎が己は無傷だと笑って見せれば、ほっとしたように肩の力を抜く。
 不浄王への対処は完了して藤堂ももうおらず、青い炎のこともこの場にいる人間以外にはバレていない。あとは不浄王復活かと慌てているであろう京都出張所を達磨が収めれば終了だ。―――と、獅郎が思っていた矢先。

「ごめん。柔造さんに俺のことバレた」

 愛息子のその爆弾発言に、とりあえず藤本獅郎は頭を抱えてみせた。



□■□



 不浄王と藤堂の一件から数日後。
 なんとか落ち着きを取り戻した京都出張所をこっそり訪れた人物が一人。
「こ、こんにちは」
「ああ。えっと、奥村……」
「燐、です」
「燐くん、か」
 黒髪に青い目の子供を裏口で出迎えて志摩柔造はやわからかく笑った。
 部屋に案内すれば、まず「俺のこと、黙っていてくれてありがとう」と頭を下げられる。どうやら魔神の落胤の話が出張所の方で全くされていないことに気付いたらしい。
「そら約束したしな。この志摩柔造、約束は守る男やで」
 軽さを意識してそう告げれば、緊張に硬くなっていた白い頬が苦笑の形に緩んだ。
「こっちこそ蝮のこと感謝しとる。おかげで怪我も最小限で済んだ。目ぇもしばらくすれば見えるようになるらしいわ。それに不浄王のこともありがとぉな。あれ、悪魔落ちしとった藤堂先生も不浄王も聖騎士が全部片付けたて公表されとるけど、燐くんも噛んどるんやろ? 本当のことは和尚も話してくれへんかったけど、百五十年も封印しかできんかったヤツや……そら燐くんの力でも無いと燃やせんやろ」
「蝮さん、無事だったんだ。良かった。……それにしても凄いな。あの場には居なかったのに柔造さんにはちゃんと分かっちまうんだ」
「何言うてんねん。俺はただ他の奴らと違ぉて君っちゅう存在を知っとるからそう推測できるんや。ちっとも凄ぉないよ」
 防音と人払いをした客間でお茶とお菓子を出しながら柔造は微笑んだ。
 相手は憎い敵の落胤だと言うのに柔造の心は穏やかで、浮かぶ表情にも偽りはない。柔造自身にとってもそれは不思議な感覚だったが、原因はきっとこの少年の目にあるのだろう。
 穏やかで優しくて、でも悲しい青。
 それは愛することと失うことの両方を知っている目だった。
「燐くん、ほな早速やけど話してくれるか。君が話せるとこまででエエから」
 不動峯寺で約束を交わした時には“燐が話せるところまで”などという遠慮をするつもりは全く無かった。しかし今はどうか。
 燐が話して楽になるなら、また詳細を知った自分が燐に何かしてやれるなら、柔造は詳しく話を聞きたい欲しいと思う。だがこの話をすることで燐が嫌な思いをするなら、このまま口を噤んでくれても構わないと思った。
 人が詳細を知りたがる一因には“その物事や人に対して恐怖を抱いているから”というのが挙げられる。知らないものは怖い。怖いものは少ない方がいい。だから人は知ろうとする。だが逆に言えば、怖くないならわざわざ知る必要もないのである。そして柔造は今、燐を怖いと感じてなどいない。こんな目をした存在が自分やその大事な人を傷つけるはずがないと確信しているからだ。
(やっぱちゃんと時間置いたんが良かったんやなぁ。あの場で全部聞こう思とったら俺もこないな考え方にはなっとらんかったやろうし)
「……柔造さん?」
「いんや、何もあらへんよ」
 今こうして落ち着いていられるのは、数日の期間を設けたおかげで柔造自身が落ち着きを取り戻し、己の頭の中を整理できたからだろう。そして護摩壇の炎に照らされた横顔、青く輝く瞳、守りたいと言った言葉、それら全てを幾度も反芻して燐への理解を深めていった。今回の一件の詳細を把握するには燐の話を聞かねばならないだろうが、『奥村燐』がどういう人間なのかはあの薄闇の中で交わした会話だけで十分だったのだと今なら分かる。
(それでも知れる所まで知ろうとすんのは……興味があるから、なんやろか)
 胸中で己をそう分析しながら柔造は燐が語り出すのを待った。
 燐は「達磨和尚の時と同じ感じて良いのかな?」と呟きながら話し方を考えている。あの場には既に自分達明陀宗の座主・勝呂達磨がいたが、彼には既に燐のことを明かしていたのだろう。そしておそらく達磨が燐の存在を志摩家や宝生家に黙っていたのは、明陀という自分の大きな“家族”と燐の身の両方を案じて身動きが取れなくなっていたからだ。
 強くなったつもりだが未だ守ってばかりの自分に柔造は小さく苦笑する。達磨にも、燐にも。皆が今回は彼らに守られてばかりだった。
(俺にも何かできひんやろか)
 自分にもできることが、燐の話を聞けば見えてくるのだろうか。
 柔造がそう考えている間に燐の方はどう話すのかまとまったらしく、「よし」と頷いて青い目がこちらを真っ直ぐに見つめてきた。
「信じられない話だろうけど、聞いてください」
 そして少年は語る。
 己の出生。己の死と二度目の誕生。守りたいもの。愛しい人。
 それは確かに冗談のような話だった。しかし燐の目は真剣で、その言葉に嘘は欠片も含まれていないのだと柔造に知らしめる。
 全ての話を聞き終えた後、柔造は燐の隣に腰を下ろしてそっとその頭を抱きかかえた。
「じゅ、柔造さん……!?」
「よぉ頑張ったな」
「ッ!」
「ほんま、燐くんはよぉ頑張っとるよ」
 大切な人を守るために大切な人から離れるなんて身を切られるような辛さだったろうに。それをこの子はずっと続けてきた。唯一の救いは――燐は巻き込んだことを申し訳なく思っているようだが――彼の養父だった人が今もまた傍にいることだろうか。
 そしていずれは己も奥村燐の支えになれたならと柔造は思う。
「安心しぃ。燐くんが望むんやったら、燐くんのことは誰にも言わへん。俺の胸に一生仕舞っといたる」
 ぽんぽんと背中を撫でながら優しく告げれば、腕の中で燐の頭がこくりと動いた。
「なんかあったら今度は俺のことも頼ってくれたらええ。こっちは一応分別のある大人やさかい、そこそこ気持ちの整理はつけられるはずや」
 だから傷つけることを恐れずに関わって欲しい。
 そんな柔造の言葉に燐は一瞬躊躇いを見せるも、やがて小さく「ありがとう」と呟いた。それは柔造が燐の事情を他言しないと約束したことに対するものか、それとももっとこちらに頼ってくれていいと言ったことに対するものか、どちらか判らなかったけれど。
(でもまあ、たぶん黙っとく言う方への「ありがとう」なんやろな……)
 人と関わることを恐れている子供だから。きっと柔造から仕掛けなければ、燐は一生こちらと関わらないようにする。
 やがて話を終えると燐は再度礼を告げてから部屋を去り、柔造は一人残された。
 足の短いテーブルの上には空っぽの湯呑みが二つ。それを眺めながら柔造は独り言つ。
「君も兄貴なんやろうけど、俺も兄貴なんや。兄貴気質、ナメたらあかんえ?」
 向こうが関わろうとしないなら、こちらから関わっていけばいい。愛に飢え続ける子供はきっとその手を拒みきれない。
 空っぽの湯呑みの縁を指で弾いて柔造は小さく笑みを浮かべた。







2011.10.11 pixivにて初出

燐もお兄ちゃんですけど、もう一人のお兄ちゃんキャラも忘れちゃ困るぜ☆編です(笑)
……ミーシャの燐は年上キラーだなぁ。一度目と二度目の年数を合わせるなら 燐>柔造 になっちゃうんですけどね。まぁ精神年齢なんて見た目に引きずられるとも言いますし!