かつて祓魔塾の同期だった三人と出会ったその日の夜。時計の針が日付を跨いだ頃に、燐は獅郎の声によって目を覚ました。
「燐、起きろ。緊急事態だ」 「とうさん……?」 二度目の人生でもやはり長い睡眠を欲する身体は寝ぼけ眼でそう返す。 燐が口にした呼称に獅郎はふっと微笑んだが、その顔はすぐに引き締まり、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。加えて獅郎の服装が寝間着でなければよく見るカソックでもない―――祓魔師のロングコートであることに気付き、燐の青い目が大きく見開かれる。 「何が、あったんだ?」 一瞬で意識を覚醒させた燐が養父に問う。すると獅郎は眉間に皺を寄せながらも口の端を持ち上げてこう答えた。 「京都出張所の『深部』が藤堂三郎太に襲撃された」 * * * 「藤堂の奴、どうやら『最深部』の左目が偽物だって気付いたらしい。しかも摩り替わったのがちょうど俺が視察に来てた頃で、俺自身は今“右目”と“本体”がある京都にいる。あいつ、血相変えて残りが無くなる前に仕掛けてきやがったみてえだ」 襲撃を受け“不浄王の右目”を奪われた『深部』ではなく、それを奪った後に藤堂が向かうであろう明王陀羅尼宗の総本山―――金剛深山・不動峯寺を目指して獅郎と燐は走る。 「でもなんでだ? 両目が無きゃ不浄王は復活しないはずじゃねえの?」 「燐、よく考えてみろ。お前が教えてくれた藤堂の目的は何だった? 不浄王の完全復活……じゃあなかっただろ」 「あいつの目的って達磨和尚の伽樓羅だから……」 「そうだ」 かなりのスピードで走っているにも拘わらず、獅郎は息を切らした風もなく頷いた。 「達磨が伽樓羅を出さざるを得ない状況を作れれば、不浄王が完全に復活しようが半分だけ復活しようが、はたまた別の悪魔を使おうが構わねえってことだよ。でもって不浄王は残った右目で半分だけ復活しても十分驚異だ。あの野郎、右目とミイラでやらかすつもりだぞ」 「ッ!」 失われた時間の記憶が蘇る。あの巨大な悪魔が半分だけでも復活すれば、それはとんでもないことになるだろう。これなら先に本体の方だけでも焼いておくべきだった。 「悪いな、燐。俺もまさかこんなに早く気付かれるとは思ってなかった」 燐が顔を顰めたのに気付いたのか、獅郎は丸眼鏡の奥で瞳を歪ませながら謝罪する。こういう事態は先に予想しておくべきだった、と。 「んな……。ジジィの所為じゃねーよ。俺だって思い付かなかったし」 彼だけが謝ることじゃない。獅郎が全て解っていて明陀よりも燐を優先するため暗躍していたことには気付かず、燐はそう思いながら街を抜けて山道へと入る。 「そういや達磨和尚は? もしかして」 「ああ。藤堂を追って先行してる。宝生蝮が『深部』から右目を奪ってそのまま藤堂と一緒に外へ出たらしい。お前が言った通り、こっち方面にな」 「無茶しなきゃいいけど……」 燐の記憶の中でかつて達磨は単独で藤堂を追って瀕死の重傷を負った。今回は燐達の行動も早く、上手くいけば藤堂が不浄王のミイラと右目を合わせる前に――遅くとも(半)復活した不浄王が巨大になるまでに――到着できるだろうが、それでも不安は尽きない。 「まぁ藤堂の目的は不浄王の復活じゃなくて達磨が持ってる伽樓羅だって教えてあるからな。その辺は考えてやってくれるだろ。……が、急ぐに越したことはねえな」 「おう」 燐が答え、二人は更にスピードを速める。 木々の向こうに目的地たる不動峯寺が見えてきた。シンと静まったそこは朽ちていながらも未だ威厳を漂わせ、確かに明王陀羅尼宗の総本山なのだと納得させる。 その静けさの中、獅郎はぼそりと呟いた。 「まだ大丈夫か……?」 「いや、もう中に誰か入ってるみてえだ」 悪魔として覚醒済みであるため人間より遙かに性能の良い燐の双眸が暗闇の中で本殿の扉が開いているのを確認する。 「達磨が時間稼ぎしてくれてんのか」 「早く行かねえと」 「ああ。燐、俺が先行するからお前は隠れて来い。藤堂は俺が不浄王から引き離すから、お前はその隙に全部燃やしちまえ」 「わかった」 短い打ち合わせの後、獅郎が本殿へと突っ込んでいく。燐はフードを被り気配を消して、僅かな時間を置いた後にそっと養父の背を追った。 * * * 不動峯寺降魔堂、その中に作られた地下へと続く隠し戸。獅郎を追って不浄王のミイラが封じられている地下空間へ入ろうとした燐だったが、他人が上がってくる気配を察知してそっと身を隠した。 「蝮っ、しっかりせえや。今出張所まで連れてったるからな……!」 必死の形相で腕の中の人物に語りかけるのは志摩柔造。おそらく達磨の後を追ってここまで辿り着き、藤堂に裏切られ負傷した蝮を逃がすよう指示されたのだろう。 彼が抱えている蝮は右目が完全に潰れて血を流していた。不浄王の右目をそこに嵌め込んで運搬したのが最大の原因だろうが、抜き取った後に正しい処置をしなかったのも傷を酷くする理由となっているはずだ。そして腐の王の眷属たる不浄王から受けた魔障はすぐに人間の細胞を壊死させて周囲にまで侵食していく。早く対応しなければ蝮の命が危ない。 「……」 蝮を抱えて地上に上がってきた柔造を眺めて燐は両目をスッと細める。一瞬のうちに思考したのは、このまま自分は姿を隠して彼らが去るのを待つか、それとも己の正体を明かすリスクを犯して彼女に応急処置を施すか、この二択。 己の保身を考えるなら断然前者に決まっている。しかし目の前には苦しげに息を吐く蝮と、それを心配そうに、また悔しそうに見つめて何とかしたいと願っている柔造。 その様子に燐の判断はすぐさま下された。 「ちょっと待ってくれ」 「ッ!?」 燐が語りかけると柔造の肩がビクリと揺れた。振り返った彼の双眸には、護摩壇の炎に照らされて正十字騎士團のコートを着用しフードを目深に被った少年が一人映り込む。 「お前、誰や。さっき地下に入ってった藤本聖騎士の連れか?」 「うん。そんなもん。とりあえずその女の人の応急処置をさせてくれねえか」 「蝮の……? こんな所でできるんか」 「できる」 燐が頷けば柔造の表情からほんの少しだけ厳しさが抜けた。やはり彼もなるべく早い処置が必要だと焦っていたのだろう。 祓魔師のコートと獅郎の連れということで警戒心も幾分解けているようだ。その場に蝮を寝かせてくれるよう言えば、柔造は素直に従ってくれた。暗がりと気が動転していることで燐のコートに祓魔師の証拠たるバッチが無いことまでは気付いておらず、そこは幸いと言える。 「そんで治療の道具はどないするんや。俺は何も持ってへんで?」 「大丈夫。俺の力を使うから」 言って、燐は寝かされた蝮の右目を手のひらで覆う。そして柔造が「ちから?」と訝る中、意を決して――― 青い炎を顕現させた。 「……ッ青い、炎! お前一体何者や!?」 「静かにしてくれ。集中が切れるとこの人まで焼いちまう」 「は? って、え……!」 祓魔師にとってあまりにも憎い青い炎を使う存在に柔造が声を荒げ掴みかかろうとする。が、燐の言葉と青い炎が現れてややもしないうちに蝮が受けた魔障の侵食速度が衰えているのに気付き、垂れがちな目を大きく見開いた。 「治っとる……?」 「治ってはいない。俺の炎でこれ以上侵食しねえように止めてるだけだ。ちゃんとした治療は出張所に戻ってからやってくれ」 燐がそっと蝮から手を退ければ、どくどくと溢れ出していた赤黒い血液が止まっており、苦しげに歪んでいた彼女の表情も幾分和らいでいた。青い炎も鳴りを潜めて再び赤い炎にぼんやり照らされた薄暗い闇が戻ってくる。 「お前、誰なんや」 蝮が苦しみで呻き声を上げなくなったためか、柔造が表面上だけでも落ち着きを取り戻して静かに問いかけた。 「青い炎はサタンの証。そやけどサタンの力は強すぎて憑依に耐えられる者はおらん。それやのに青い炎を扱えるお前は一体何者なんや。しかも人間である俺らに味方までして」 「あんたが言う通り、俺はサタンじゃねえ。……でも、その血は継いでる。俺はサタンと人間の間に生まれた子供だから」 「なっ、それホンマなんか!? サタンの息子がこの世におるって!」 「残念ながら本当だよ」 フードの下で苦笑しつつ燐は続ける。 「ただし青い炎を使えるのは俺だけだし、俺は誰かを傷つけるつもりなんかない。だから安心して欲しい。……つってもそう簡単には信じてもらえねーんだろうけど」 そう言って燐は肩を竦めた。 「お前……」 「それでも無理を承知で頼む。出張所に戻っても他の奴らには俺のことを話さないでおいて欲しい。サタンの息子が生きてるなんて気分悪ぃだろ? ほら……詳しい説明はまた今度するから、今は早く出張所に帰ってその人を治療してやってくれ」 「……」 フードから覗いている口元を見てその言葉を聞いた柔造は次いで呼吸の落ち着いた蝮を見遣る。今、彼の中では様々な考えが渦巻き、大きな葛藤に苦しめられているのだろう。祖父や兄を殺した青い炎、サタンの落胤、大事な幼馴染の怪我、この地下で復活しようとしている悪魔への恐れとそれを連絡しなければいけない己の指命。何を優先すれば一番いいのか解らないのだ。 そんな柔造の葛藤を悟って燐は薄く微笑む。 「混乱させてごめん。本当は俺みたいな奴が存在しちゃいけないってのは解ってる。でも助けたい人が……傷つけたくない人がいるんだ。だから頼む。今は見逃してくれ」 「傷つけとぉない人、て」 「弟だ」 「!」 燐がたった一人を脳裏に思い浮かべてそう答えれば、柔造ははっと息を呑んだ。彼にも解るところがあるのだろう。 長兄を失い、自分が兄弟達の中で最も上の『兄』となった。普段は蔑ろにしたり容赦がなかったり、そんな対応を弟達にしていても、やはり彼は下の兄弟を守り慈しむ立場にある者なのだ。 「その言葉、ほんまなんやな?」 「ああ。俺は弟が傷つかずに済む世界が欲しい。それにできればもう二度と他の大切な人達も傷つかないような、そんな世界が。そのためなら俺は何だってするよ。それが俺の生きてる理由だから」 雪男が泣かなくていい未来が欲しい。養父が死なずに済んで、塾の同期達や師匠は騎士團の排除対象となった燐を見て顔を青褪めさせずに済んで、もう誰も燐のことで悲しまないような、そんな未来が。世界が。 最初にメフィストを選んだのもあの道化ならば燐のことで傷ついたりしないと無意識のうちに察していたからかもしれない。途中で守るべき養父を巻き込んでしまったのは誤算だったが。 「もう行ってくれ。不浄王は俺達が何とかするし」 「不浄王のことまで知って……!?」 「京都には元々そのために来たんだ。生憎藤堂の動きが早すぎてちょっと大事になりかけてるけど」 「……ッああ、もう! わかった。詳しい話はまた今度や。せやけど最後に顔だけ見せぇ。この件が終わってから訪ねて来られても顔知らんかったら判らへんわ」 自分の知らない情報が膨大すぎることを察して柔造はそう決めたらしい。だが顔を見せろと言われて燐は一瞬戸惑った。何せ柔造は燐の素顔を知っている。が、ここで見せずにいては相手も動いてくれなさそうな気配を漂わせていたため、溜息を一つ零してフードに手を掛けた。 「ッ、きみ」 「言っとくけど、俺は雪男じゃねーからな」 顔が見えるよう持ち上げたフードを深く被り直し、燐は本日一番の瞠目を晒した柔造に背を向ける。そのまま地下へと繋がる階段を駆け降りて行けば、同じく柔造の気配も寺から遠ざかっていった。 □■□ 用済みとなった宝生蝮、追ってきた勝呂達磨に少し遅れて辿り着いた志摩柔造。藤堂自身を含めて四人のこのキャストにもう一人加わったのは忌々しいながらもある程度予期していたことだった。 「藤本獅郎……。本当に貴方には困ったものだ」 正十字学園『最深部』に保管されていた“不浄王の左目”を偽物と摩り替えたのはこの男だという情報を得ていた藤堂三郎太は、悪魔落ちした己の姿を晒しながら溜息混じりにそう呟いた。 以前、獅郎が最深部を訪れた時とは違い、今の彼は神父としてのカソックではなく正十字騎士團の黒いロングコートを身に纏っている。現役の聖騎士が完全な戦闘態勢であることを悟りつつも、しかし藤堂は恐れるそぶりを見せなかった。何故なら彼の背後には不浄王の本体、そして手にはまだ京都出張所『深部』から持ち出した右目があるのだから。それに己自身もまた悪魔落ちによって人間だった頃より遙かに強い力を手に入れている。 (ふむ。勝呂達磨に伽樓羅を出させるよりも先に藤本獅郎を片付けておくとするか) 柔造が腐属性の魔障に苦しむ蝮を抱えて地上へ上がっていくのをわざと見逃しながら、藤堂は目の前の邪魔な羽虫を片付ける程度の気持ちでそう決定する。どうせ達磨を含む明陀の人間は不浄王の身体を封印することしかできなかったのだし、藤堂が獅郎との戦闘に専念してもその間に何かされるとは思えなかった。 正十字学園『最深部』にあった“不浄王の左目”がただ摩り替えられただけではなく、悪魔の中で最も強い炎によって“焼失”させられたと思いもしない藤堂は、そうして“誰も手出しできない”と決めつけた不浄王の本体から一歩二歩と離れる。 そして三歩目。ダンッと強く床を蹴って加速すると同時に、見据えた先の聖騎士もまた駆け出していた。藤堂は長く伸びた爪で相手の腹部を貫こうとするがそれを躱され、逆に両手に構えたアサルトライフルで足下を撃ち抜かれる。祝福儀礼済みの銀製弾丸であるそれをバックステップで避ければ、着地予想地点にまた穴が空く。 「流石聖騎士。悪魔落ちした人間の動きにもついてこられるとは。しかし貴方ももう年だろう? あまり無茶はしない方がいい」 「うっせーんだよクソが。ったく、似たような台詞でも言う奴が違えばこんなにムカつくモンなんだな」 誰と比べたのかは知らないが、獅郎はそう吐き捨てて更に銃弾を放った。ワントリガーでタタタッという破裂音が連続して生まれ、床に穴が追加される。 それを避ける藤堂は知らず知らずのうちに不浄王の本体からどんどん遠ざかっていく。内心で、やはり聖騎士と言えども年老いた藤本獅郎にはこの辺が限界か、と嘲りながら。 しかし余裕の表情で銃弾を躱していたその時、藤堂の視界の端を黒い影がよぎった。 そして。 ゴウッ! と背後で火の手が上がる。 何事かと思い振り返った先には封じられているはずの不浄王のミイラ。空中に吊り下げられ下部で火を焚かれていたそれが、今は全体を炎に包まれていた。 しかも不浄王を焼かんとするのは単なる炎ではない。下で燃えている朱色の火ではなく、その炎は目を焼かんばかりの眩しい青色をしていた。 「な、ん……ッ」 いきなりのことに呼吸すら忘れて藤堂はその光景を見上げた。少し離れた所では達磨もまた片膝をついた格好で驚いたように同じ物を見つめている。ただしその口は「まさかこないにあっさり……ほんま、凄い力や」と呟いていた。ただ単純に不浄王のミイラが燃えているのとは別の意味で驚愕しているのだ。 「何が、起こっている」 「そりゃ見たまんまだろうが」 嘲るように答えたのは藤本獅郎。その彼もまた意識はまだしも視線だけは完全に藤堂を通り越して青い炎に包まれた不浄王を見ている。 やがて驚愕の時間も長くは続かず、藤堂にとって大事な切り札となるはずだった不浄王のミイラは完全に燃え尽きてしまった。 百五十年間、誰も滅することができず封印するしかなかった大悪魔の終わりにしてはあまりにも呆気ない。しかしそれを焼き尽くした炎の色、そして大きな炎が収まった後に姿を見せた“それ”の存在に、藤堂は新たな驚愕を抱きつつも得心がいったと唇を歪めた。 「まさか青い炎……サタンと同じ力を使える者が騎士團の中にいたとは。サタン本人の憑依ではないようだが……彼もまた悪魔落ちを? それとも藤本獅郎、貴方の使い魔か何かなのかな?」 姿を現した“それ”もまた青い炎を纏っていた。しかし焼き尽くされた不浄王とは違い、彼の身体に灯った炎は完全に彼自身の支配下にある。右手には抜き身の刀、左手に鞘を持ち、背後では黒い尻尾がコートの下でゆらりと揺れる。フードに隠れたその中にはおそらく尖った耳が隠れているのだろう。 そのフードがぴくりと動いた。布で遮られているはずなのにその向こうの双眸が確かに藤堂を見据えているのだと判る。一体何だと藤堂が思った瞬間、 「は……?」 視界の中から相手が消えた。 まるで溶けるように。最初からそこにはいなかったかのように。 そうして気付いた時には左手の先から青い光が――― 「ッ、あ゛、あ゛ああああああああ!!!???!?!!」 左手が燃えている。正確には左手に持っていた不浄王の右目が燃えているのだが同じことだ。そして痛みは後からやってきた。熱いのに冷たい、神経が端から凍り付くような痛み。そして燃え盛る左手の向こうには姿を消したはずのフードの悪魔が立っていた。 「き、さまッ!」 燃える右目を投げ捨て、藤堂は声を掠れさせながらその悪魔を睨みつける。焼失対象である目を手放したことで自身の左手は燃え尽きることなく既に修復を始めているが、これで良かったなどとは欠片も言えない。こいつの所為で全て台無しになってしまった。目も、不浄王本体も、完全に失われてしまった。これでは折角勝呂達磨を舞台に引き摺り出せても目的の伽樓羅が手に入らない。 憎い。藤堂は自分の長年の計画を潰したこの悪魔に対して一気に憎悪を加速させた。この計画のために自分は明陀の人間(蝮)を手懐け、協力者にまで仕立て上げたのに。 「…………、いや」 そう思う藤堂だったがふと気付いた。己の目的はより強い悪魔を取り込むこと。伽樓羅に目を付けたのも、人に使役されるという形であるにも拘わらず不浄王を封印できた程の力を有しているからだ。ならば。 「ははっ、だったら代わりに君を頂戴しようか」 「?」 ぼそりと呟いた藤堂にフードの悪魔が訝しげな気配を漂わせる。それを喉の奥でクッと笑い、藤堂は元々顕現した伽樓羅を刺し貫くために用意していた直刀を抜いた。 その切っ先を真っ直ぐ相手に向けて宣言する。 「君には伽樓羅の代わりになってもらう。その力、私が喰らわせてもらうよ」 「は? てめぇいきなり何言って……ッ!?」 相手が全て言い切る前に藤堂は攻撃目標を藤本獅郎からフードの悪魔へとシフトした。右手に握った直刀で胸の辺りを真横に凪ぐ。それを躱すために悪魔は床を蹴って後退するが、藤堂もまた床を蹴って相手に追いすがった。 「あははっ! だから言った通りさ。伽樓羅の代わりに君が私の餌になるんだ」 「ッ、冗談じゃねえ!!」 言葉の反論と共に青炎を纏った魔剣が振るわれる。しかしそれは藤堂の皮膚を浅く斬るだけ。致命傷どころか足止めにすらならない。藤堂はニヤリと口の端を持ち上げた。 悪魔落ちした肉体は藤堂の実年齢相当どころか人生の最盛期すら比べ物にならない程の素晴らしい動きをしてくれる。しかもフードの悪魔は方は不浄王を燃やせても元々人間である藤堂にはどうやら致命的な一撃を加えたくないらしい。追えば逃げるし、攻撃を仕掛けてきたと思っても急所を外しているのだ。 これなら勝算は十分にある。 伽樓羅ですら封印するのが精一杯だった不浄王をこうも容易く燃やし尽くしてしまったその炎。単純な力比べでは現在の藤堂が敵うはずなどないのだが、そこに感情が加われば話は別だ。ポテンシャルに大きな差があったとしても、こちらを殺せない悪魔と、悪魔を酷く傷つけ殺しても構わない自分がこの場で出せる力は互角か己の方が上だと藤堂は思った。 「私は運が良い。まさか予定以上に早く、想定以上に強い悪魔を取り込むことができるなんて」 己の勝利を確信しながら藤堂は直刀を突き出す。相手が顔を逸らしたためその刃が頭部を貫くことはなかったが、代わりに顔を隠していたフードが大きく切り裂かれた。刀身に引っかけられヒラリと舞うフードの一部。それを視界の端に捉えながら藤堂は少しばかり驚くようにして感嘆の吐息を漏らした。 「ほう。これはこれは……見事な青だ」 露わになった顔の中でもひときわ目を引く二つの青。まさにこの悪魔が纏う青い炎を凝縮し宝石にでもしたかのような双眸は、あまりそういったことに興味のない藤堂ですら純粋に美しいと思う。 「いいね、その青。ますます欲しくなったよ」 藤堂が強者の笑みでそう告げた直後。 「燐、そいつの相手は俺がする。お前は達磨を連れて先に上がってろ」 暢気な。それはあまりにもこの場に相応しくない、暢気な声だった。 まるで日常の中で親しい人間に軽い頼み事をするかのような。 その所為で藤堂は一瞬、誰が誰に対してその言葉を発したのか判らなかった。己が手に掛けようとしていた悪魔が正面から姿を消し、戸惑うようにして聖騎士の横に立ってその顔を見上げているのを見つけ、ようやく藤本獅郎が発したこと、また悪魔の名前が「燐」であることを理解したのである。 それくらいこの場に不適切な軽さの声だったが、フードの悪魔―――燐とやらは獅郎の言葉を了承したらしい。信頼を垣間見せるように小さな頷きと微笑を彼に向けた後、達磨の元へと駆け寄って彼と共に地上を目指す。 伽樓羅の代わりに選んだ悪魔が去ろうとするその姿に藤堂は舌打ちして後を追う。だがその進路を遮るように獅郎が立ちはだかった。 「貴方では役者不足だよ」 燐と戦り合う前の聖騎士の動きを思い出して藤堂は嘲る。だが獅郎は何も答えないし、動こうともしない。 藤堂は溜息を吐いた。こんな羽虫に付き合っている暇は無い。さっさと青い炎の悪魔を取り込んでしまおうと考えつつ、聖騎士を殺すために直刀を振りかぶった。 しかし、 「ッ!?」 ゾワリ、と圧倒的な殺気を感じて身体が勝手に動きを止める。その隙に燐と達磨は完全に姿を消してしまった。藤堂は背中に嫌な汗が流れるのを感じながらゴクリと唾を飲み込む。 殺気は正面の藤本獅郎から発せられていた。先程の燐にこの場から去るよう告げた時と比べると、今の彼は姿以外のことごとくが“違う”。 「いったい……」 「あのよぉ」 声だけは相変わらず軽いまま。にも拘らず赤という色とは正反対の凍える瞳で獅郎は藤堂を見据えていた。 「燐を喰う? あはは、冗談はその顔だけにしてくれ」 「なに、を」 「役者不足はテメーの方だ」 告げると同時にトリガーが引かれる。足止めや威嚇のためではなく完全に藤堂の頭を吹き飛ばすために放たれたのは獅郎が腰に吊るしていたもう一つの大口径の銃。46マグナム弾を使用するごついフォルムのそれは<ハンティング・ホーク>とも呼ばれ、その破壊力は藤堂の腕を掠っただけで肉の半分をごっそり持って行く程だった。 「ッ、ぐあ!」 攻撃を躱すため身を捩ったにも拘わらず腕が吹き飛ばされるような感覚に藤堂は呻く。事実、弾が掠った左腕は最早動きそうにない。残りの皮膚と筋肉で辛うじて肩からぶら下がっているだけだ。しかも祝福儀礼済み弾丸の効果で回復速度が酷く鈍い。 「はっ! 貴方は“彼”と違って悪魔ならば元人間でも躊躇いなく銃口を向けることができるタイプだったか」 それでも藤堂は余裕を失わずに憎まれ口を叩く。所詮、目の前にいるのはただの人間だと。攻撃を喰らってしまったのはこちらが油断していたからだと。 だが藤堂の余裕を打ち砕くように聖騎士の名を冠する男は嗤った。 「ああ? なに寝惚けたこと言ってやがる。お前が悪魔だろうと悪魔落ちだろうと人間だろうと、俺はお前を『処分』する。それは最初から決まっていたことだ」 「は?」 「なんだ。まだ気付かねえのか」 丸眼鏡に赤い炎が反射して聖騎士の双眸を隠す。 そして男は『聖』という文字とは正反対の、まるで悪魔のように口元を吊り上げた表情で言った。 「お前に“左目”の情報を流したのは俺だぜ?」 「貴方が私に……?」 不浄王の左目が摩り替えられているという情報を流したと? 何の理由があってそんなことをする。そもそも“左目”を摩り替えたのは藤本獅郎(もしくはその協力者)ではないのか。 藤堂は混乱しながらも「信じられないな」と切り返す。だが聖騎士は相変わらず愉快そうな表情を浮かべたまま「理由ならあるさ」と答えた。 「不浄王の左目は俺が、ミイラなら勝呂達磨が協力者となれば、燐があの青い炎で全て焼き尽くしてくれる。だが“右目”はどうだ? 京都が管轄している所為で俺じゃ警護の奴らを誤魔化すことはできねえし、達磨だって下手に指示すりゃ変な勘繰りを受けることになる。だからって警護している宝生やら志摩やらに燐のことを教えるってのも駄目だ。虚無界の神と同じ力を扱える燐の存在はなるべく他人に明かさない方針なんでな。それにそうホイホイ他人にバラしちまってたら、近いうちに燐を害そうとする奴が出て来るだろう? 俺は何よりもそれが嫌でね」 「……だから私を嵌めてわざと『深部』から“右目”を奪わせた、と? 明陀宗の人間が傷ついても構わずに」 「正解。ようやく冴えてきてくれたようで助かる」 聖騎士はニコリと笑って一歩前に足を進めた。カツン、という硬質な音が妙に大きく聞こえたのは藤堂の心情を反映しているからか。 相手はまるで教師が生徒に物事を教える時のように、一歩一歩近付いて来る。ただし手に持つのは教師としての教鞭ではなく狩人としての大口径の銃。 「だからまぁそろそろ自分にどんな運命が用意されてるかも解ってきたんじゃねえか。用済みになったテメーを、そして何より燐の存在を知ったテメーを、俺が生かしておくなんて考えてるわけないよな」 ガシャン、と重い金属の音と共に真っ黒な銃口が藤堂を捉える。 引き金にかかる指に力が込められた瞬間、藤堂は右へ飛んだ。しかし躱きれない。衝撃と痛みは左脇腹を侵し、着地に失敗した藤堂は床の上に身を投げ出した。 「が、ぁ。っ、あ……ッ!!」 最早痛みで声すら出ない。ボタボタと傷口から零れ落ちる血液が床を濡らし、指先から急速に力が抜けていく。 「おー、すげーすげー。まだ息があんのか。でも下手に避けると苦しむのはテメー自身だぜ? それとも何だ。ただ殺されてくれるだけじゃなくて、燐を喰うとか何とか言ってた冗談の分を苦しみながら償ってくれんのか? だったら俺もちゃんと答えなきゃなあ」 そう言ってダンッと聖騎士のブーツが振り下ろされたのは、回復途中だった千切れかけの藤堂の腕だ。襲い来る激痛に藤堂は悲鳴を上げる。 「い、ぎぃぃああああああ!!!!!」 「テメーが燐を喰う? 俺の大事なあの子を? 本当にもう何て馬鹿なことを言ってくれちゃってんだろうねぇその口は」 台詞と共に聖騎士の指はトリガーを引き、その度に大きすぎる破裂音が地下空間を揺らした。 一発目は踏まれていなかった方の腕が飛んだ。二発目は右足、そして次に左足。反動が大きな銃であるにも拘わらず、聖騎士は正確に藤堂の四肢を破壊していく。 「優しいあの子は元人間のテメーを殺せない。でも俺は違う。俺は俺の中の優先事項を変えねえし、そのためだったら他のものはどうだっていい。騎士團の聖騎士ってのはな、別に誰もが想像する聖人のように全部守っていけるからその名前がついてるわけじゃねえ。力はある程度必要だが、それ以上にまず守るべきものの取捨選択が誰よりも上手い人間のことを指すんだよ。それが他人の目から見れば過剰に立派な姿として映るだけだ。……俺はあの子を守れるなら明陀の連中が多少怪我しようが何しようが知ったこっちゃない。つまりな、藤堂三郎太。テメーレベルの存在なんかその辺のゴミ以下だっつってんだ」 「ぁ、が、ぁぁあ、……ぁ、」 左足を撃ち抜かれた時点で藤堂の喉は既に声を殆ど失っていた。悪魔としての生命力が衝撃と出血によるショック死を免れさせていたが、逆に今はそれが最大の責め苦でもある。 聖騎士は己の顔に飛び散った血液をコートの袖で拭うことなく「最後だ」と告げて、銃の照準を藤堂の心臓に合わせた。 「この者に相応しい罰を。――― 苦しみながら死んでいけ」 2011.10.09 pixivにて初出 ピクシブでブラック獅郎さんOKのコメントを頂戴したので調子に乗りました。まる。あれ、作文? 実は京都編(不浄王編)での神父さんによる藤堂さん処理っていう流れが某素敵文字書き様と被っちゃってます……。本当にすみません。でもね、やっぱりね! 神父さんが藤堂さんとぶつかったらこの展開やりたいですよね!! ってなワケでご本人様から苦情が出ない限りはこのままで進めさせてくださいませ……! その他諸々@達磨さんが降魔堂で時間稼ぎをしていたので柔造さんも地下まで辿り着けました。Aまさか藤堂視点で書くとは思わなかったYO!B銃の名前は「ス.ト.レ.イ.ト.・.ジ.ャ.ケ.ッ.ト」(富.士.見.フ.ァ.ン.タ.ジ.ア.文.庫)から拝借しております。「と.あ.る.魔.術.の.禁.書.目.録」に出て来るメタルイーターでも面白そうだったんですけど。(どちらにしろ破壊力が対人用じゃない)Cちなみに藤本神父の聖騎士論はここの神父さんの考えってだけですので、どうぞご承知おきください。E微妙に藤堂×燐の成分も含まれているのですが、こちらも略すと藤燐になるという……。Fあ、半分復活っていう設定は完全なる捏造です。 |