今日は朝から父親の姿を見かけており、勝呂竜士は珍しいなと独りごちた。
 いつもふらりふらりとどこかへ行ってしまう父親は勝呂とて容易には見つけられない。きちんと目的地があって出かけているらしいのだが、それがどこなのか、父親・勝呂達磨の側近である志摩八百造達ですら知らないのだ。
「今日はお客が来るらしいですよ」
 たまたま小耳に挟んだと言ってその情報を開示したのは幼馴染の一人、志摩廉造である。
 共にいた同じく幼馴染の三輪子猫丸は「お客さんですか?」と眼鏡の奥の目をしばたかせた。
「昨日の晩、女将さんが出張所(こっち)に来てはったやないですか。そん時に和尚(おっさま)に言うてんの聞いたんですよ。和尚を訪ねて来た人が虎屋に泊まっとるって」
「そんで、そのお客が今日こっちに来るっちゅうわけか」
「そうみたいです」
 勝呂の言葉に志摩が頷いた。
「和尚にお客っちゅうのも珍しですけど、一体どないなお人なんでしょうねぇ。坊は心当たりあります?」
「さあな。和尚(おとん)のことは俺もよう解らん」
 やや憮然とした表情で勝呂は子猫丸の問いに答える。
「せやったら今日はこのままこっちに居といて、和尚のお客の顔でも拝んで行きませんか。うちの親父も呼ばれとらんようですし、たぶん個人的な知り合いですよ。あの和尚の」
 最後は強調するようにそう告げて、志摩はにんまりと表情を歪ませた。中学生活最後の夏休みに慣れない勉強――勿論受験勉強である――から少しでも遠ざかりたいという思惑が透けて見えたが、達磨の個人的な、しかし自宅や旅館ではなく出張所の方に訪れる客については勝呂や子猫丸も気にならないわけではない。
 ね? と志摩がもう一押しすれば、勝呂は「しゃあない」と言ってその提案に形だけ消極的な賛成の意を示した。


 達磨の個人的な客と聞いて気になったのは勝呂達だけではなかったらしく、昼前になると出張所には普段より多くの祓魔師達が屯っていた。
 とは言っても元々達磨の客について知っている者はそう多くなく、志摩が自分の親兄弟の姿を見かけて「お父? それに柔兄も?」と声をかけた程度である。なお、志摩家の四男坊は昨日の次男坊と入れ替わりで私用により外出中だ。
「二人ともやっぱ和尚のお客ゆうんが気になっとんの?」
「そりゃまぁ少しはな。せやけどメインは仕事やで」
「廉造、お前こんな所で何しとんのや。坊や子猫丸ならともかく、お前はこの夏必死に勉強せなあかんやろが」
 柔造の当たりはまだ軽かったが父親である八百造はそうもいかないらしい。相変わらず厳しい目つきで廉造を捉えると、呆れと怒りが混じった声音でそう告げる。
 廉造はマズい人にマズいタイミングで話しかけてしまったと若干後悔しながらも、この場をどう切り抜けようかと末弟らしく頭を働かせ始める。だがその頭が答えを弾き出す前に玄関の方でザワリと空気が動いた。
「よっ、達磨! 久しぶりだな!」
「藤本くん……。君、ほんま相変わらずやねぇ。私の方が年上やて何度言うたら解ってくれるんやろか」
 当人達は訪問時刻を事前に決めていたのだろう。驚いた様子もなく達磨が奥から出てきて客人を出迎えた。
 勝呂達の視線が達磨とその客に向けられる。
 藤本と言うらしいその客は達磨と同じくらいの年齢の男性に見えた。達磨の言葉を借りるなら、彼より年下らしいが。そしてその男は正十字騎士團に属しながらも仏教系である明陀の中において非常に浮いた服装―――カソックを纏っていた。顔には丸眼鏡をかけており柔和そうな神父然としていたが、薄く色が付いた硝子の奥で輝く瞳は壮年の男をどこかいたずら小僧のように思わせる。
 一体誰なのだろうと勝呂が頭上に疑問符を浮かべると、その答えは意外なところから齎された。
「藤本聖騎士やないか」
「聖騎士……?」
 柔造の呟きに少年達は彼を見上げる。すると柔造に続くように今度は八百造も呟きを漏らした。ただしこちらは若干忌々しげに。
「あの男が何の用や」
「お父、あの藤本さんとやらのこと知ってはんの?」
「知ってるも何も……」
 廉造の問いに八百造はカソックの男を睨み付けながら答える。
「十五年前、明陀の本尊を一度盗んでった男やぞ、あいつは」
「はあ!?」
 その声は一体誰が漏らしただろうか。判らないが、声に出そうと出すまいと、八百造の呟きを聞いた勝呂達は皆そう思った。柔造も初耳らしく、目を丸くしている。
 明陀の本尊―――降魔剣『倶利伽羅』。
 それは十五年前に強奪され、しかし一年程して返ってきた一振りの刀である。奪われて数ヶ月後に『青い夜』という大事件があったためか、その経緯の詳細を知る者はあまりいないのだが、八百造は当時倶利伽羅が奪われた場所にいたために少ない人間の方に分類されていた。
 いくら後で手土産を持って返しにきたと言っても、また何より彼が一度目に明陀を訪れた際に救ってくれた多くの命のことがあっても、八百造は件の聖騎士を好意的な目で見ることはできない。おそらくは彼の行為云々よりも飄々とした雰囲気が八百造の気質と合っていなかったからだろう。
 しかしながら八百造が聖騎士・藤本獅郎を好いていないと言っても、彼を迎える達磨はそうでもないらしい。どこか気安さを感じさせる風に客を奥の間へと案内している。
 そんな中、
「……あれ。あの子は連れてへんのか」
 そう独りごちたのは柔造だった。
「あの子?」
 兄の台詞に弟が反応する。この反応の早さは呼称の仕方が女子供を連想させるからだろうか。
「なんや柔兄、藤本さんと知り合いやったん?」
「いや、知り合いっちゅうもんでもないけど……。昨日、藤本先生と京都まで来た子ぉを旅館まで案内してあげたんや。せやけどあの子、今日は一緒におらんから」
「どないな子やったん?」
「青い目ぇがぱっちりした可愛(かえ)らし子やったで。……おいコラ廉造。お前、何いきなり目ぇ輝かせとんのや」
「せやかて可愛らし子ぉやったて柔兄が言うたんやし!」
「志摩さんは相変わらずですねぇ」
「ほんまや」
「……」
 志摩の興味津々といった風情に子猫丸は苦笑し、勝呂は呆れ、八百造は偏頭痛でも覚えたかのようにこめかみを押さえる。だが幼馴染の視線よりも父親の溜息よりも、効果的に志摩を鎮静化させたのは兄の一言だった。
「言うとくけどな、廉造。その子、お前らと同い年ぐらいの男やで」
「………………俺らとおんなじ年の性別・オスに可愛らし言うたらアカンて柔兄」
「そぉか? せやけど子猫丸より少し大きいくらいやったし、なんや目ぇおっきいし、動きはちょい小動物っぽかったし」
「ほんまアカン。この人、素で言うてはる」
 兄から視線を外し、志摩ははぁぁああ、と深い深い溜息を吐き出した。
 だが兄も兄でそんな弟に構うことはない。奥へと姿を消した聖騎士を見送った彼はぼんやりと中空を見つめ、「お留守番でもしてるんやろか」と零す。
「あの男が子連れかい。去年来よった時は一人やったけどなぁ」
「お父、それホンマ? 去年も藤本先生来てはったん?」
「秋の終わり頃にな。こっち方面で任務があったらしいで」
「へぇ。俺が言うてる子、たぶん藤本先生の秘蔵っ子ってやつやから一緒に来ててもおかしない思たんやけど」
「秘蔵っ子……。ああ、確かそないな子ぉがおるて聞いたことあるわ」
 八百造が記憶を探りながらそう呟くと、柔造が更に説明を付け加えた。
「奥村雪男くん言うんやなかったかな。ほら、十三で祓魔師になった、最年少の。祓魔塾の方は俺と入れ違いで会ぉたこと無いんやけど」
「そうなんか」
 父親の応えに次男も「おん」と首を縦に動かす。自分の予想が間違っているとは気付かずに。
 そして柔造の間違った推測はそのまま父や弟、その友人達に広がってしまう。
「十三で祓魔師」
「エラいお人もおるもんですねぇ」
「坊以上の変態や」
「うっさいわ志摩。……にしても、奥村か」
 正しい姿も知らぬまま勝呂は奥村雪男という名前を頭の端に刻む。
 聖騎士の秘蔵っ子で青い目の少年で、そして歴代最年少祓魔師、と。
 本当の奥村雪男は勝呂並の長身で目も純粋な青ではなく緑がかっており、聖騎士の秘蔵っ子ではあるが今回の訪問に関しては同行どころか養父が京都へ行く理由すら知らされていないのだが。



□■□



「ほんま、いきなりどないしたんや藤本くん。あれから進展あったちゅうことでええんやろか」
「察しが良いな。あの時は本当に助かった。おかげで大事なモンがまた一個増えたよ」
 そう言って藤本獅郎が浮かべた微笑に達磨は目を瞠った。
 以前、明陀に置かれている倶利伽羅が実はレプリカであると教えた時よりももっとずっと優しい顔をしている。本当に言葉通り、彼には大切なものがまた一つ増えたのだと判る表情だった。
「もう十四・五年前になるか……俺が倶利伽羅を返しに来たのは。その時に言ったよな? この剣で殺すはずの子供は自分の力に焼かれて死んじまったって」
「藤本くん、“殺す”ら言うたらアカンえ。君は降魔剣にその子の力を封印しようとしとったんやろ」
「最終的にはな。でもお前の所から剣を貰ってった時はまだ殺すつもりだったよ」
 祓魔師として。上司命令を聞く駒の一つとして。
 しかし実際に子供と会ってしまえば、本当の目的が殺すのではなく生かすためだったと知ってほっとしたのも事実だった。
「……でも、君が救うはずやったその子は死んでしもた」
 フラっと京都にやって来て周囲の罵詈雑言も気にすることなく倶利伽羅を置いて帰った十年以上前の獅郎の姿を思い出し、達磨は苦しげに眉根を寄せる。自分に彼が喪ったのと同じくらいの年の息子がいるだけに。
 後々返却された倶利伽羅が偽物だったことに気付いたが、獅郎の姿を思い出すと何も言えなくなり、また正十字騎士團日本支部の支部長から真意は伏せたまま口止めを頼まれたことで、昨年獅郎が京都を訪れるまでレプリカの件は達磨の中だけに仕舞われていた。何かあるなと思っても、これ以上獅郎の傷を抉りたくないと考えてしまったがゆえに。
 しかも倶利伽羅は僧侶・不角が不浄王討伐の際にそこへ伽樓羅という強力な火の悪魔を宿らせたことで明王陀羅尼宗の本尊になった剣なのだが、達磨の父親が座主であった頃にはもう既に実は“抜け殻”だった。何の力も無い――とは言っても普通の刀よりは魔を祓う力を秘めているのだが―― それがレプリカであろうと本物であろうと、事実を知ってしまった達磨には最早大きな差は無いと思えるようになっていたのだ。
「ああ、それなんだけどな」
 だが達磨の沈んだ気分とは対照的に獅郎は嬉しそうな表情を浮かべて告げる。
「俺のもう一人の息子、実は生きてたんだわ。そんでお前に倶利伽羅がレプリカだって教えて貰った後にちゃんと再会したよ」
「……は?」
「だーかーらー。死んだと思ってた子供が生きてたんだ。お前ん所に返した倶利伽羅が偽物だったのも、本当は生きていた子供の力を封じるために本物が必要だったからなんだよ。ま、俺がそれを知ったのはお前の所でレプリカを見せてもらったからなんだけどな」
「え、え? 藤本くんには大事なモンが増えて、それで死んだはずの子ぉが生きとって……」
「おう」
 達磨の答えが出る前に獅郎はにこりと笑い、そうして虚空に語りかけた。

「燐、出てきてくれ」

 その瞬間、達磨の視界の端に黒い影が映り込んだ。ぎょっとしてそちらに顔を向ければ、祓魔師のコートに身を包み、フードを目深に被った人物が一人。小柄と言う程でもないが痩せ型で、一目で子供だと判る。
「この子は……それに一体いつから、どこに隠れとったんや」
「名前は燐」
 現れた人影―――燐の手を取り隣に座らせながら獅郎は続けた。
「正式な祓魔師じゃねーが、裏でこっそり俺らのサポートなんかをしてくれてる。その所為で他人に自分を悟らせねえのが病的に上手いんだよ」
「……」
 獅郎の説明を耳にした達磨は斜め向かいに腰を下ろした子供を眺める。
 探るような視線を向けられた燐は少し戸惑いを見せた後、獅郎を一瞥してから首を縦に動かした。その様子は返答を獅郎に伺ったというよりも、獅郎の発言の真意を問うているようにも見える。顔を隠していることも合わせ、あまり他人に素性をバラしたくないのだろうか。
「燐、達磨ならまだ構わねえよな。それにお前の正体を黙ったままじゃ協力もしてもらえねえだろう?」
「……、うん」
 フードの下から聞こえてきたのは少年の声。「男の子やったんか」と達磨が呟くと、獅郎が「今年で十五になる」と年齢の説明を付け加えた。
 十五―――ちょうど達磨の息子と同じ年だ。しかしそう思った直後に達磨はもう一つの重要なことに気が付いた。
 藤本獅郎が倶利伽羅を使って殺すつもりだった赤子というのは何年前の話だったか。結局自分の力で死んでしまった、と思いきや生きていたらしいその子は、今何歳になる? それはちょうど達磨の息子と同い年ぐらいではなかっただろうか。加えて獅郎が燐を呼んだタイミング―――。
「まさか、藤本くんの言うてたもう一つて」
「こいつだよ。俺の、大事なもう一人の息子だ」
「名前、燐くん言うたか。つまりその子、人間やないんやね?」
 ただの人間なら倶利伽羅に力を封印する必要など無い。生まれる前からその必要性を論じられるのは余程強力な力を持った悪魔かそれに類する者だけだ。
 達磨の予想は当たりらしく、獅郎も燐も頷く。
「こいつはもう倶利伽羅を抜いて自分の力を自由に扱えるようになってる。その上で勝呂達磨、あんたに頼みたい。あんたの所の“あるもの”を燐の炎で完全にこの世から葬り去りたいんだ」
「あるもの……? あるものて何や。そんな、私ん所にはわざわざ炎で焼いてもらわなアカンもんなんぞ」
「あるだろう?」
 達磨の言葉尻を取って獅郎は言った。
「お前のご先祖さんが祓いきれずに封印するしかなかった“あれ”が」
「……ッ! 藤本くん、君」
 明陀の座主にしか明かされない秘密を部外者である獅郎が知っていると判り、達磨は思わず立ち上がる。過去の己の父のように今すぐ目の前の聖騎士に攻撃を仕掛けるつもりはなかったが、驚愕と警戒が一気に達磨の中で跳ね上がった。
 しかし獅郎は座布団の上に腰を下ろしたまま先刻から変わらぬ双眸で達磨を見上げている。
「そう慌てんなよ。こっちも少々特殊な事情でな、説明しても到底信じてもらえねえような状況なんだわ。そりゃ俺だって教えられた時は吃驚したし疑いもした。でも確かに十五年前……お前の父親の行動は少々異常だっただろ。あの意味がようやく解ったんだよ」
「せやけど、どこで不浄王の話を」
「俺が教えたんだ」
 問いに答えたのは獅郎ではないもう一人、燐だった。達磨の視線がそちらに向く。
「君が……?」
 藤本獅郎よりもずっと年下の子供が何故? と達磨は怪訝そうに燐を見た。
 いくらこの子が強い悪魔の力を持っていようとも――“燐の炎”という台詞が出てきたから『火の王』の眷属なのだろうか?――、生まれたのはおそらく達磨の息子と同じ年。京都に住まう息子やその友人達に秘されているそれを、遠く離れた正十字学園町の人間が知っているというのは奇妙なことだった。
 そんな達磨の心情を悟ってか、燐が口元だけの淡い苦笑を浮かべる。
「だってあんたが教えてくれたんだぜ?」
「は……?」
 奇妙なことを言う燐に達磨は目を見開いた。
 自分は不浄王に関する秘密をまだ誰にも話していない。また座主となるはずの息子にも話すつもりはない。不浄王のミイラが寺の地下に封じられていることも、もしもの時には大きな対価を支払ってそれに対処する方法があることも、そういう負の遺産は自分の代で終わらせようと思っていたのだから。
「なんで、君が」
「長い話になるんだけど、いいかな」
 そう告げると燐は己の顔を隠していたフードに手をかける。
 布の奥から現れたその双眸は純度の高い青―――まるで『青い夜』に多くの聖職者達を焼いたあの炎を閉じ込めたかのような、恐ろしくも美しい色をしていた。
「まずは……そうだな。俺が『何』の血を引いてるかってところから始めるか」







2011.09.18 pixivにて初出

志摩兄弟とオヤジーズが別々に出張っている繋ぎの話。
早く京都組と燐を絡ませたいのに柔兄以外は燐の顔すら知らないよ……! そしてぺちぺち設置している伏線が今後ちゃんと回収できるか心配です。とりあえず柔兄、それ雪男君ちゃう。燐君や。