奥村雪男は双子の兄弟の弟である。しかも普通の双子ではない。二卵性双生児である彼らは人間と悪魔の間に生まれた子供達だった。
母は人間、そして父は虚無界を統べる魔神サタン。禁忌の子として世界中から危険視されるはずの雪男は、しかしすくすくと成長し、それどころか悪魔を狩る側の祓魔師である養父に影響されて自らもまた祓魔師となった。 どうしてそのようなことが世間から許されたのか。それは雪男がサタンの子でありながらサタンの象徴たる青い炎を受け継がなかったからだ。 母の胎内にいた頃の雪男はとても身体が弱く、魔神の力を受け継ぐことができなかったのである。ゆえにその身は完全な人間のものであり、日々の検査結果も白―――つまり悪魔化していない。また祓魔師としての能力も高く、齢十三で最年少祓魔師となった雪男は多くの人に侮蔑ではなく好意を持って迎え入れられた。 ふわり、と風が祓魔師の真新しいコートを揺らす。 そこには雪男以外誰もいなかった。どんよりと曇った空の下、雪男の視界一面には十字架が整然と立てられている。そして雪男の正面にもまた十字架。他の十字架よりも少し離れた所に立てられ、見た目も小さくみすぼらしい石で作られたそれには『RIN OKUMURA』と彫り込まれていた。 「……兄さん」 決して応えない者の名を呼ぶ。 雪男は二卵性双生児の弟である。では兄の方はと言うと――― その答えは雪男の目の前にあった。 奥村雪男は生きている。生きて、今はもう十三歳で、祓魔師になった。けれど双子の兄は生まれて間も無く死んでしまい、こうして養父と自分しか訪れないような墓の下で眠っている。いや、実際にはこの墓の下に兄はいないのだ。 兄は雪男と違いサタンの炎を受け入れることができた。できてしまった。そのため魔神の後継として生まれた燐は養父の助けが無ければすぐに殺されるところだったのだと言う。だが祓魔師でありながらもサタンの子供を人間として育てると決めた獅郎のおかげで雪男だけでなく燐も人としての生を歩み始めた。 にも拘わらず、まだ首も据わらぬ頃に燐は死んでしまった。やはり半分人間では魔神の炎を受け止め切れなかったのだ。雪男の記憶には残っていないのだが、赤ん坊だった兄はある時突然青い炎に包まれて泣き声さえ上げる暇なく燃え尽きてしまったらしい。悪魔が消滅するのと同じく、灰も残さず消えてしまった。 その所為だろうか。雪男には自分が誰かの弟であるという自覚が無い。それでも燐と言う名の兄がいたことは養父から何度も聞かされていたので、こうして墓に足を運んではそこに彫られた名前の持ち主を兄と呼んでいる。 「兄さん。僕ね、祓魔師になったんだ」 顔さえ判らぬ空想の中の兄に向かって雪男は淡々と告げた。 「これからは神父さんみたいに沢山の悪魔を殺すよ。殺して、殺して、そして人間が幸せに暮らせるように。兄さんは悪魔だったらしいけど、もう死んでるし、僕も兄さんのことなんて全く知らないし、特に気にしようとは思わない。あと一応、神父さんに言われて毎年ここに足を運んでたけど、それももういらないかなって思ってる。だって貴方は悪魔で、僕は人間……しかも祓魔師だ。神父さんは尊敬してるけど、だからってあの人のように悪魔である貴方を家族だとはどうしても考えられなくてさ。だからもうここには来ないよ。これが最後だ」 バサリと片手に持っていた百合の花束を投げ捨てるように置いて、そうして雪男は兄の墓に背を向けた。 ざあっとひときわ強い風が吹く。しかし雪男は髪を軽く手で押さえただけで二度と振り返ろうとはしなかった。 「うん。それでいい」 音も無く奥村燐の墓の上に降り立ち、雪男と同じ祓魔師のコートに身を包み背中に剣を背負った少年が、そう呟いたことにも気付かぬまま。 * * * 「昨日でしたっけ。久しぶりに見た実の弟はどうでしたか」 「殆ど俺が望んだとおりって感じだな。本当はさ、祓魔師にもなってほしくなかったんだけど」 「それは無理な相談でしょう。なにせ彼の養父はあの藤本獅郎。祓魔師の中でも特別な男なんですから」 「だよなー」 にへら、と苦笑して青い目の少年は告げる。 「ま、ジジィも雪男も元気にしてるし、これでオールオッケーってやつじゃね?」 「本当に?」 大きな窓を背にして長身の男は顎の下で手を組んだ。 「本当に貴方はこれで満足なのですか?」 「……何言ってんだよメフィスト。俺がいなくなったおかげでジジィも雪男も面倒なことに巻き込まれずに済むんだぜ。これ以上何を望めばいいってんだ」 少年―――死んだはずの奥村燐は十三歳の少年の姿で、メフィスト・フェレスの机に腰掛けながら答える。 「ジジィがサタンに狙われてんのはジジィの体質とか力の所為だって聞いてるけど、それでも俺がいなけりゃ乗っ取られるような隙は生まれないはずだ。それに雪男だって見も知らぬ俺のことなんて本当にどうでもいい感じだし、これならもし俺があいつの敵になっても気兼ねなく撃ち殺してくれるだろ?」 「こちらとしてはそう簡単に貴方が祓魔師の敵になられても困るのですが……」 悪魔のくせに祓魔師達の集団の日本支部長を務め、尚且つ祓魔師育成機関としての役割も担う正十字学園の理事長でもあるメフィストは半ば呆れ顔で続けた。 「なにせ貴方は我等祓魔師の最終兵器として育てられた最強の対悪魔武器なのですから」 奥村燐にはサタンの血が流れている。しかも青き炎はしっかりとその身に受け継がれ、弟に撃ち殺されるまでの過去十七年分の記憶と、二度目の人生で過ごした十三年間の経験によって炎の制御も問題ないレベルにまで達していた。 最高位の悪魔の力を持つ一方で、決して人間には牙を剥かない。その姿はまさにメフィストの言うとおり、最強の対悪魔武器であろう。 その出生ゆえ祓魔師として正式に登録されているわけではないが、それでもかつてのように祓魔師のコートを身に纏った燐は、己に手を貸してくれた悪魔に微笑みかける。 「わかってるよ。俺は決して人間に反抗しない武器。悪魔を殺すための、人間の世界を守る武器。雪男とジジィが幸せに暮らしてくれるのが俺の望みで、武器であることはそれに繋がる。やっぱあんたがいてくれて良かったぜ」 「感謝されてるのは解るんですけど、やっぱり私は三番目以下ですか」 不満そうな顔で、メフィスト。 燐の一番はかつて彼の家族であった藤本獅郎と奥村雪男。燐に手を貸したメフィストはそれ以降になる。当然のことだ。一番の二人がいなければ燐がメフィストの手を借りて彼らの前から死を装って姿を消すこともなかったのだから。 「今更何言ってんだか」 燐は再び苦笑し、「よっ」という掛け声と共に机から下りる。そのまま扉の方へ向かったのでメフィストが「どちらへ?」と声をかけると、燐は視線だけを寄越しながら弟がつけているのと同じデザインの腕時計を示し、 「仕事の時間だろ」 「そう言えばそうでしたね☆」 「あんたが指示してるくせに何すっ呆けたこと言ってんだか……。ま、ともあれそう言うわけだから」 ひらりと手を振って燐は扉へと向かう。その背に背負われた刀は二本。一方は燐の悪魔としての能力を封印している倶利伽羅、そしてもう一方はただの鋼でできた刀だ。 「戦ってる最中に間違えて倶利伽羅を抜いたりしちゃ駄目ですよ」 「うっせぇ。それと解ってるから毎度毎度言うな」 「解っているなら結構。では、お気を付けて」 「おう」 ドアの鍵穴に鍵を差し込み取っ手を回せば、そこはもう廊下ではなく目的地に程近い廃墟の扉へと繋がっている。 十三歳の姿をした燐は、そうして扉の向こうへと姿を消した。 2011.06.17 pixivにて初出 |